飢餓の歌、乾いた水精
この時、"刺客"は初めて危機感を覚えた。
目の前の男は自分の命に届きうる。"躊躇"などする余裕はない。
異変が起きる。対峙している"刺客"ではなく、周囲から感じる違和感。例えるならばそれは死神の輪舞曲。
ボトリ、ボトリと音がした。闇夜の木々に潜んでいた鳥たちが次々と地面に落ちる音だった。"刺客"は自らが放つ不可視の攻撃の出力を上げたのだ。その影響で、遠方にいるはずの鳥たちに影響が出始めた。
「なん……だ……?何が……。」
そしてその"不可視の攻撃"を最も近くで受けることになるのは当然、猛である。明らかな異常事態だった。
最初に地面に落ちたのは小型鳥。そして次々と音は鈍くなっていることから中型、大型へと影響が進んでいるのだ。つまるところこの"不可視の攻撃"は、小さいものほど強い影響を受けているということ。
丹田呼吸による鎮痛は限界が近い。
猛は気がついていない。既にその顔面には"不可視の攻撃"の影響が出ていることに。その頬に血が伝う。眼球の毛細血管が破裂し血涙を流しているのだ。
鎮痛作用は丹田呼吸だけではない。この時、猛は脳内物質が過剰分泌され痛みを二重に無視しているのだ。
今、ここで"刺客"を止めなくてはならないという使命感と、もう少しで掴めそうな"武"への頂きという二重の快感により。
───恐らくはこの不可視攻撃の末路は"死"。命捨てる覚悟なくてはこの"敵"とは向かい合えない。
覚悟を決めなくてはならない。ここが己が死に場所か、命の天秤が揺れる。これより先は間違うことなき殺し合い。死合いである。
しかし果たして自分にそんな覚悟はあるのだろうか?今の猛には帰る場所がある。守るものたちがいる。それら全てを捨てて、今この瞬間、命を燃やし尽くすことなどできるのだろうか。
興奮を隠しきれない猛の手が止まる。それと同時に奥から誰かがこちらに向かって走ってきている。
誰だ?こんなときに一般人が混ざるのは不味い。そんな焦燥感を感じた。
「やっぱり!……あんた……ぜぇ……ぜぇ……なにしてんのよ!!こんな……ところで!!」
女性だった。司ではない。その母親でもない。だが猛はその女性をどこかで見た記憶があった。おぼろげで……名前を聞けば思い出す……そんなもやもやとした感覚。
"刺客"もまた手が止まる。じっと女性を見ていた。猛の存在をまるで気にしていないかのように。
「何とか言いなさいよ……愛華!!」
ヘルメットに入った亀裂は広がり続け、砕ける。露わとなったその姿を見て猛は絶句する。そこにいたのは国民的アイドルとして知られる愛華渇音その人だったのだから。
「枕美さん、どうしてここに?」
神社の方から走ってきた女性を愛華は知っていた。枕美美音。それを聞いて猛も思い出す。そうだ、テレビで見たことがある……と。
「司に色々と業界のことを教えて欲しいって頼まれて泊まり込みで勉強会をしてたのよ!それよりも何なのこれ!?いや……それよりも、何なのさっきの"歌"は!!」
───歌?
猛はピンと来なかった。歌とは何のことか。まるで聞き覚えがなかった。
「そう、聞こえたんだ。波長が空気を介して変化して、可聴域まで落ちたのね。でも距離かしらして僅かなデシベル数だったはず。それに原型だって酷く落ちてたのに。」
「はぁ?馬鹿にしてんの?分かるわよそのくらい!ずっとずっと聴いてたんだから!でもあまりにも酷い歌だった!!あんなのは愛華の歌じゃない!!何をしてるのよ!!」
枕美は愛華の歌をずっと聞いていた。休み時間、食事中、就寝前……ずっと。それは他でもない、彼女にとって憧れであり、尊敬の対象であったからだ。枕美は本物を知っている。愛華がどんな思いを込めて歌っていたかまでは分からないが、その歌に込められていた思いは決して偽りでないことを、歌を通して感じていた。
だが此度聞こえた歌はまるで違っていた。それは悲鳴にも似たようなもの。聞くに耐えない醜いものだった。
「私は奉条司を攫いに来たの。ここに転がっている人たちは、私の"歌"で黙らせた。それが私の力、私の武器、私の認証武装……リュラケイン・アポロン。」
認証武装とは六道衆に与えられる専用兵装。その力をもって六道衆は単独で軍隊に匹敵する力を有する。
愛華は『餓鬼道』を司る階位第四位。その異名を『乾いた水精』。
リュラケイン・アポロンとは音波兵器である。音波兵器というものは古くから兵器に転用できないか研究がされている。超低周波であればその振動であらゆるものを破壊する殺戮兵器として運用される。
此度、愛華が使用したのは超音波……人間の可聴域を超えた高周波音波である。人間は鼓膜を通して三半規管が音波を認識し、脳がその振動情報を処理して音として認識する。
しかし、その音域には限度がある。可聴域を超えたものは処理できず結果として無音として認識するのだ。
問題は、その先である。処理しきれない音波を人間の脳に与え続けたらどうなるか?答えは単純で、限度を超えた脳は異常を感じだし様々な危険信号を送り出す。嘔吐感、頭痛、目眩……やがてはショック死に至る。
かつて第二次世界大戦では捕虜の拷問にも使用された恐るべき軍用兵器である。
リュラケイン・アポロンはその仕組みを利用し、特殊な超音波を発して、他者の三半規管を破壊する。結果、不可視の攻撃として理解すらできず人々は嘔吐、頭痛、目眩の果てに死亡する。それはさながら……神話に出てくる歌で誘い船乗りの命を奪うセイレーンのように。故に彼女の異名は水精、『乾いた水精』なのだ。
「何を……言ってるの……?なにそれ?また変なキャラ付け?そんなの流行らないわよ、どうかしちゃったの?ねぇ……答えなさいよ!」
縋り付くように枕美は愛華に掴みかかる。だが愛華は冷たい視線を枕美に送るだけだった。それは枕美の見たことの無い、愛華のもう一つの姿だった。
「嘘を……ついてたの?全部嘘だったの!?今まで見せた笑顏も!ダンスも!」
「そうよ、でもアイドルは嘘つきなんでしょ?枕美さんも言っていたじゃない。」
「違う!!確かに態度は嘘だったのかもしれないけど……あんたの歌は本物だった!誰かのために捧げる……本物だった!!こんな……こんな……他人を傷つけるために使うものじゃないッ!!」
それは懇願のようなものだった。嘘であってほしいと、自分の感じた気持ちは決して嘘ではないと、認めてほしかった。自然と枕美の頬に涙が伝っていた。
しかし、そんな枕美を愛華は突き飛ばす。
「私は気がついてしまったの。意味のない人形よりも、意味のある人形でいたかった。誰かに消耗される人形よりも、誰かに愛される人形でありたかった。でも違ったの。本当の気持ちは、別にあった。」
愛華は遠い目で夜空を眺める。満月が妖しく輝く夜だった。
「私は……あの人に見てほしかった。ただそれだけ。この胸に空いた虚の正体に気がついたの。だから……私はあの人ともう一度再会するためなら、どんなことでもしてみせる。」
きっかけは奉条司が七反島の水着コンテストで話した言葉だった。
『ただその人のためだけに出てきました。ワガママな話です。』
多くの人々の気持ちに応えるのではなく、ただ一人のためにそこに立つ。その時、愛華の胸につっかえていたものが、ようやく外れた気がした。本当の気持ちを理解したのだ。
「だからね、枕美さん。私は止まらない。止められないの。私はもう知ってしまったから。みんなのために愛されるよりも、大切な人のために生きる喜びを知っていたから。そのためなら、どんな犠牲だって払う覚悟もある。邪魔をするなら……。」
猛は膝をつく。限界だった。今もこうしてリュラケイン・アポロンの超音波は猛の脳を蝕んでいる。
枕美もまた嘔吐を感じたのか口元を抑える。その様子を見て、愛華は神社に足を進める。
「……まだ、なにかあるの?」
しかし、そんな愛華の足を、枕美は掴んでいた。彼女は何の鍛錬もしていないただの一般女性。今も酷い吐き気と頭痛で正気ではいられないはずだった。
「それでも……いか……せないん……ッ!だって……だってあんたは……愛華渇音は……ッ!例え偽物でも……確かにいた……本物なんだから……ッ!」
執念とも言えるものだった。憧れは理屈や冷たい現実では止められない。覆せない。
確かにそこにあった情景が、その強い思いが枕美を奮い立たせ、気力だけで愛華の足を掴んでいた。少なくとも、愛華にとって偽りだとしても、枕美が抱いていた気持ちは本物なのだから。
「枕美さん、私はあなたのことが好きよ。尊敬してる。もしも出会う順番が逆だったなら、"こんな"結末にはならなかったでしょうね。」
愛華はその手を枕美に近づける。音波兵器は都合上即死にはすぐには至らない。確実にトドメを刺すためには、直接手を下す必要がある。
「や……め……ろ……ッ!!」
猛はそんな彼女に最後の力を振り絞り突進する。だが最早立つのもままならない状態で、決死の覚悟で無造作に行われた突進は、愛華にとって何の脅威でもなかった。
「あなたから、先に死ぬ?」
それは明白な殺意。そこにはアイドルとしての愛華渇音の姿はない。六道衆の愛華渇音がそこにいた。
瀕死の猛にトドメを刺そうと手を伸ばす。猛は必死に愛華をにらみつける。その意思は決して折れぬことはない。しかし、身体が動かない。ズタズタにされた三半規管は最早、身体の動きすら制御困難となるのだ。
「おぉぉぉおおおッッ!!」
叫ぶ。迷う必要はない。死などここで乗り越えなくてはならない。
"ここでまた負けてしまっては価値がない"、"負けたら無価値なんだ"と、猛はその思いを爆発させ奮い立った。そのためならば、命を犠牲にしてでも、乗り越えなくてはならないと。
~♪~~~♫
───その時、音が聞こえた。
静寂な神社に似つかわしくないハーモニカの音。あまりにも異様な空気だった。全員が音のする方へと振り返る。
視線の先には一人の男が立っていた。ハーモニカを口元にあてて演奏している。
「ふぉっぶっ……!もごっぶっ!」
ハーモニカを口につけながら男は何かを話す。当然のことながら上手く話すことはできない。
「駄目だこれ。誰だよハーモニカ演奏しながら出てくると格好良いって言ったやつ……あ、某だ♪」
ハーモニカを投げ捨てて飄々とした態度で男は呟く。
「し、師匠ォ!?」
「よう猛!随分としんどそうじゃねぇか♡」
その男の名はラングハット・バ・ラディン……ではなく伽羅破軍。六道会古参面子であり、六道衆の"元"『餓鬼道』。人は彼を……『孤狼』と呼ぶ。





