未来の知識、命がけの取引
───愛華と枕美は二人で行動していた。ユニットを組むということでなるべく、一緒に行動するように伝えていたからだ。
「おごっ……ごぼっ……!ごはぁ……!!」
声にならないうめき声をあげて白人男性が数名倒れていた。それを愛華は見下している。
「先ほどからずっと尾行しているみたいだけど……ストーカー?」
彼らは愛華に触れることすら叶わなかった。人気のない場所で様子を伺っていると、愛華は突然彼らに向かっていき、一人、また一人と彼らを襲ったのだ。
彼らは突然苦しみだし悶えたのだ。意味の分からない攻撃、生物兵器の類を連想させたが愛華自身は防毒装備を何一つ身につけていない。普段着だ。
「Я убью тебя!」
一人、軽症の男がいた。拉致する際の運転役として待機していた彼は愛華の毒牙から免れていた。所詮は細腕の女性。接近戦に持ち込み力比べをすれば負ける筈がないと高をくくっていた。
殺さないように言われている。ならば動きをまずは封じるためにタックルを愛華に向けて仕掛けたのだ。それに対し愛華はただ詰まらさそうに右手を前に突き出す。
「~~~ッッ!!」
グシャリ、と嫌な音がした。肉がえぐれ骨が砕ける音。
愛華の右手は男の右手を掴んだ。そしてただ、握りしめた。それだけだった。ただそれだけで肉は引き裂かれ血管は破裂し引きちぎれている。
───爆薬?炸裂弾?いつの間に?火薬の匂いはない、どうして?
意味のわからない事態に男はただ傷口を唖然と見ていた。例えようのない傷口。何をされたのかすら分からない。
「枕美さんにも……手を出そうとしてた?駄目だよね、女の子には優しくするもの……だよ?」
更に男の腕はありえない方向へと曲がり続ける。まるでストローを暇つぶしに折り曲げるような、そんな絵図であった。その時、男は理解した。この女はただ純粋な"筋力"だけで、人体をえぐっているのだ。それも信じがたい筋力。
男は悲鳴をあげるが愛華はその口に左手を突っ込む。男の歯が折れて地面に散らばった。
枕美は席を外した愛華を一人待っていた。スマホを弄りながら暇を潰している。
「……ん?誰かの悲鳴……?まさかこんな街中でね……ったく愛華のやつ、何がお花を摘みに行きたいよ……。」
枕美は男の悲鳴を一瞬だけ耳にするが、あまりにも非現実的なことなのか空耳と断じた。彼女は知らない。建物を挟んですぐそこの人気のない路地で、地獄のような光景が広がっていることに。
「ん……だめ。枕美さんには刺激が強すぎるわ。"アイドル"だもの?だから静かにしてね?」
男の目には既に涙が浮かび溢れていた。舌を掴まれている。叫ぼうにも叫べない。激痛に悶えながらも動けない。まるで重機を相手しているようだった。抵抗してもとてつもない筋力で身体一つ動かせない。
静かに愛華は男の首を掴む。ゆっくりと力を入れる。頸動脈を掴んでいた。脳に流れる血液は完全に遮断されていた。数秒もしないうちに男は意識を失う。
愛華は男が持っていたスマホを拾うとただ二言だけ相手に告げて、握り潰した。スマホは基板ごと粉砕され粉微塵に散らばる。
「ごめーん☆ちょっとお花畑が混んでて☆」
「なにがお花畑よ、普通にお手洗いで良いでしょ。なに?あんたアイドルはトイレ行かないとかそんなキャラ付けするクチだったの?そんなの今までのインタビューでなかったじゃない。」
何事もなく、愛華は枕美のもとへと戻っていった。
スマホの通話先はブラトヴォルノストのイリヤ・ヴォロヴィチ。しかしそんなことは愛華には関係なかった。
伝えた言葉はたった二言。必要最小限で端的なものだった。
『殺してはいない。ただし次に枕美さんへ同じことをしたら全部"壊す"から。』
それは警告。脅しである。人気のない路地裏では、徹底的に恐怖を刻まれたロシアンマフィアたちが転がっていた。
「ジェスチッ!」
イリヤは苛立った様子を見せて、スマホを地面に叩きつける。想像通りだった。愛華が俺の知るアイカならば、この程度の荒事は難なく対処できるはずだと思っていた。
「なんだぁ……その目は……?」
安堵した俺の表情が気に入らないのか、イリヤは転がっている俺を元に戻し、再び膝の上に乗る。そして刃物を突きつけた。
「苛つくなぁお前。殺すか?うん殺そう。」
「俺を殺したら理段に辿り着くチャンスが消えるぞ。」
彼女との交渉の余地が生まれたと判断した俺は、彼女が一番関心深いであろう言葉を選ぶ。ナイフはピタリと止まる。
「それは藤原家の婚約者だから?」
「違う。理段はトモダチを探している。俺はトモダチについて知っている。」
「お前を信用する理由がない。」
「確かにない……でもお前たちロシアンマフィアの思い通りにならないことを示した。ただ命乞いをするにしても、やり方が他にあるじゃないか。」
イリヤは黙り込む。そして突きつけられた刃物はスッと俺の喉元から離れた。
「勘違いするなよ日本人。お前のそれはただのコネだ。お前自身の力じゃない。本当に信用を得たいなら力を示せ。奴隷ではなく、狼としての牙を見せるなら……信頼してやらなくもない。」
それは猶予であった。俺に信頼を得る機会を与えるという。
拘束が解かれる。「おい」とイリヤは近くのブラトヴォルノスト構成員に声をかけると、構成員は上着を脱いで構えた。
「そいつはうちの若い奴でも一番の下っ端だ。軽くのしてやれよ?」
「い、いや違う!暴力で信頼を得たいわけじゃない!」
「はぁ?いっとくがお前程度の頭脳労働者なんて代わりは山程いる。アリードの経営はお前に任せるという言葉を聞いて、勘違いしたか?」
ロシアンマフィアであるブラトヴォルノストと対等に渡り合う力。俺自身にそんなものはない。示さなくてはならないのだ。彼らにとって俺という人間が"利用価値"のある人間であることを。
俺には唯一の武器がある。それはこの世界では反則級のもので、誰もが欲しがる力。
かつて理段は言っていた。『細かな未来は変わることがあるが、大きな時代の流れは変わらない』と。俺は未来の記憶を持っている。その記憶は紛れもない武器なのだ。
「ロシアンマフィアなら、エニアルク国は知ってるだろ?」
これは取引だ。命がけの取引。言葉を慎重に選び、イリヤに"利用価値のある男"だと思われなくてはならない。
同時に賭けでもある。最悪の選択肢をとれば、俺はただ殺されるよりも残酷な末路を迎えるだろう。





