変わってしまったクラス
しばらくしてのことだった。豊奉神社に対して噂が広がるようになる。噂の内容は予想どおりのもので「豊奉神社は借金を返そうとしない守銭奴」という内容であった。
その噂は瞬く間に広がり、奉条家にも冷たい眼差しが向けられるようになった。中には気をつかっているつもりなのか、奉条家に「借金は早く返したほうが良い」や「良い銀行を紹介しようか」などと的外れな助言を親身にしてくる者までいる始末。
そしてそれは当然、学校にも広がっていた。
司が登校して教室に入った瞬間、クラスメイトは静まり返る。そしてボソボソと本人には聞こえないようにしているつもりなのか、噂についてクラスメイト同士で話をしていた。
これから受けるであろうと思われる嫌がらせの数々。司は事前に説明を受けていて、まさにそのとおりの出来事が今、起きていて辟易としていた。靴箱には誹謗中傷の内容を示す手紙がたくさん入っていたし、友達も余所余所しくなった。
ため息をついて自分の席につく。天理の席に視線を向けるが彼はまだ登校していないようだった。
「つ、司さん!」
「わ、びっくりした。どうしたの田中くん。」
突然、クラスの男子生徒に声をかけられて驚く。司は天理から直接的な嫌がらせはしばらくはないだろうと聞いていたが、やはり身構えてしまう。
「あ、あのさ……クラスの連中はあることないこと言ってるけど僕だけは味方だよ!」
鼻息を荒くして彼は答えた。正直な話、迷惑な話だった。予想どおり、女生徒の陰口が聞こえる。これでは悪い噂がまるで事実のようで、クラスの男子を誑かして我関せずといった態度をとる悪女そのものだ。
丁重に断ろうとするが、どうも席から離れようとしない。ナイトのつもりなのだろうか。こういう時は放っといてもらいたいというのに、困ったものだった。
「おはよう、司さん。えっと……取り込み中なの?」
田中くんの応対に困っていると、いつの間にか登校していたのか天理くんがやってきた。
「あ、いや何でもないの。これからのことだよね、待って私が行くから。」
席を立ち、司は天理の席へと向かう。田中が司の席の傍から離れようとしないので仕方ないことだった。
「どう?とりあえず受けている嫌がらせの類をメモしときたいんだけど。」
「そうね……確実に言えるのは靴箱に誹謗中傷の手紙が入ってたくらいかな。あとは……多分お父さんやお母さんの方が詳しいと思う。」
受けている嫌がらせは奉条家を標的としたもの。だからその多くは神社や両親に対するものが多かった。娘である司はあまり関係ないというのが客観的認識である。
彼女が思いつく限りでも境内にゴミを捨てたり、落書きをしたり、怪文書を送りつけられていたりしている。しかし当然、それだけではないだろう。細かな話は宗田先生が聞き取りをしている。
天理はメモ帳を取り出してメモをする。誹謗中傷の手紙は完全な証拠となるため保管するべきなのだが、今回の嫌がらせはそもそも集団心理によるもの、誤った情報からの集団ヒステリーに近いということから、あくまで嫌がらせの黒幕以外は法的措置などは取りたくないというのが奉条家の方針だった。
「この短期間で随分と直接的なのが増えたな……大丈夫か?学校は別に休んでも良いと思うけど。ノートやプリントなら俺が全部代わりにとっておくよ。」
「ううん、別にいいよ。確かにこんなこと突然されたら精神的に参ってたかもしれないけど、聞いてた話のとおりだし……それに天理くんは私の味方でいてくれる。これ以上の我儘は言えないわ。」
司は先日、天理に激励されて決意していた。怒っても良いと。伝統ある神社を、大切なものを守るために戦うという決意の前には、どんな嫌がらせも霞んで見えた。
天理は司の目を見た。まっすぐ前を見ていて決してぶれることのない透き通った瞳。何度か見覚えがあった。覚悟を決めた人の目だ。ならばこれ以上、心配するというのは野暮というもの。自分に出来ることは着実に、この問題を解決することだと思った。
「よぉ司、まだそいつと付き合ってんのか。恥ずかしくねぇの?貸した金を返そうとしないで居直りなんてなぁ!」
福富の声が響き渡る。そして教室を我が物顔のように横断し俺の席までやってきて、机の上に腰掛けてきた。
「周りは皆、言ってるぞ?奉条家は恥知らずだって。法律ぅ?そんな言い訳ばかりして、義に欠けるようなことを平然とする恩知らずだってな。ほんと俺たちからしてみりゃ泥をかけられた気分だぜ、なぁ?良心は傷まないのか?」
喜々とした表情を浮かべて福富は司を責めるように、いやらしい口調で話す。見ていられないので口を挟もうとするが、司に止められる。そして司は俺に目配せをした。「私が言うから」という思いを感じた。
「借金は全部返せないから仕方ないじゃない。それでも返せるだけのものは返す。それに聞いてるわ、義を欠けるというならあなたもでしょう。お祖父ちゃんに負債になるようなものを無理やり貸して、とてもない借金にしたのはあなた達だって。騙すような手口をしておいて、義を語るなんて恥知らずも良いところだわ。」
それは普段の彼女からは想像もできない強い言葉だった。そう、あれから祖父の借金についても詳しく調べたのだ。そもそも借金をしたからといって限度はある。突然莫大な借金になるのなら、誰かが気づくはずだ。
簡単な話だった。祖父に無理やり借金を背負わせただけでなく、それをもとに投資をさせていたのだ。高齢で判断能力が欠けていた祖父に借金を元手に投資させ、結果莫大な損失を被らさせた。
無論、合法的な手続きではある。巧みな書類手続きにより、客観的には祖父の意思で借金を背負い投資したことになっている。騙されたというのは感情的な問題で、司法的には詐欺罪などには該当しない。
それは百も承知だった。それでも彼女は言いたかった。傷つけられた名誉を回復させるために。
「なに言ってやがる。いいか?お前のジジイは賭博中毒だったんだよ!借金をしてまで賭け事に興じて結果負けて莫大な借金残して死んだんだ!なにが神職だ、伝統ある神社だ!ただの賭博狂いの屑野郎じゃねぇか!そんな穢れた血をお前も引いてるから、平気で借金の踏み倒しができるんだろうなぁ!?」
その言葉は司の全身を強張らせた。決して触れてはならない聖域を穢された気がした。全身の毛が逆立つような、そんな激情的な感情が全身を駆け巡る。
「お前───ッ!!」
我慢の限界だった。祖父を侮辱され、家を侮辱され、黙ってはいられなかった。思わず手が出そうになるが動かない。振り向くと天理くんが私の腕を掴んでいた。
「露骨な挑発だな福富。それも九条の差し金か?」
天理は福富を睨みつける。一触即発な空気だった。そこでチャイムがなる。朝のホームルームが始まる時間だ。福富は舌打ちをして席に戻る。
「福富、あとで話があるんだ。すぐ終わるからホームルームが終わったら時間をくれ。」
席に戻る福富に俺は声をかける。一応伝えておかないといけないことがあるからだ。
「……ありがとう天理くん。私、今の侮辱はどうしても許せなかった。」
「気持ちは分かるけれども……。」
「手を出したら負け……なんでしょう?分かってる。耐えるわ。今は何を言われても、必ず守るって決めたんだから……!」
改めて強い女性だと感じた。彼女にとって家族や神社は特別なものだ。それをあそこまで侮辱されたのだ。いい年した大人でも、感情的になって致命的な行動を取りかねない。それでも彼女は耐えたのだ。それは簡単そうに見えて難しいこと。大切なものが、思い入れが深いものがある人間ほど難しい。だが、そんな強い思いがあるからこそ耐えれたのかもしれない。
先程の福富の振る舞いは俺の知っている福富とは少し違和感があった。何というか狡猾な立ち回り、意図的に発言を引き出しているような演技じみた態度。おそらくは九条の筋書きだろう。悪評が広まっている奉条家へのトドメの一撃。精神的に幼いとみた奉条家の娘である司を標的に、暴力沙汰を起こさせる。
そうすれば悪評の信ぴょう性は一気に高まるし、自分が原因で奉条家の名誉を傷つけてしまったという事実は司の心を容易く折るだろう。
奴らしいやり方だ。あまり時間的余裕はない。次はどういう手段に出てくるか想像もつかないのだから。





