信じた正義のために
武颯猛は駆け出していた。アストの街をひたすらに。例えあの会場にいた人々が悪辣な存在であろうとも、この身にかえてでも助け出そうとした師匠の、ラングハット・バ・ラディンの気高き意思を汲んで。
敵はマフィア。中国系マフィアと聞くときっと悪い奴なのだろう。中華料理は嫌いではないがマフィアなのだからきっと悪いに決まっている。
そう考え、ただ無心に猛は街を走っていた。
「……どこにいるんだ師匠!!」
そしてようやく彼は気がついた。どこに行けば良いのか分からないことに。
「蒼月!お前は頭が良いんだからなにか……なに!?蒼月どこだ!?ハッ……まさかマフィアに攫われたのか……おのれッ!!」
振り返り初めて蒼月天理がいないことに気がつく。彼は猛の健脚に追いつくことができず遥か遠くで息を切らしている。ただ皮肉にも猛の勘違いは正しいものであった。今、天理はロシアンマフィア『ブラトヴォルノスト』に拉致されて、意識を失っている。
頭を抱えた猛であったが、その時何者かのうめき声が聞こえた。
これは……悲鳴だ。誰かが殴られて悲鳴をあげている。
とりあえず猛は悲鳴の方へと走り出す。彼は正義に燃えていた。かつてこの拳を、武を、間違ったことに使ってしまった。
本来の武とは弱き者を守るもの。決して脅しの道具などではない。武とは哲学、人の生き方、道そのものなのだ。例えそれが家族を守るためとはいえ、その力をふるい人々を脅かしたことに変わりない。
周囲を見渡したその先、裏路地で中年男性が若い男性に殴りつけられているのを見た。
「お前!何をしている!」
思わず叫び駆けつける。殴りつけている若い男性は猛に気が付き振り向いた。
「年上を大事にしろと学ばなかったのか!その手を離すんだ!」
「何コイツ……あんたの仲間ネ?答えるヨロシ。」
「し、知りません!いや仲間です!助けて!おいあんた助けて!!」
当然のことながら猛と中年男性は初対面である。だが中年男性は我が身可愛さに猛を売ったのだ。
それを聞くと若いカタコトの日本語を喋る男は、中年男性の胸ぐらを掴んでいた手を離す。
「ひぃ」と情けない声をあげて、中年男性は地面にへたり込む。
「お前もテンバイヤね?ワタシ、紅龍会。ボスから見つけ次第痛めつけろ言われてル。この国テンバイヤだらけ。嫌ネ。」
男は紅龍会の構成員だった。そして構える。中国武術の構えだった。素人ではない。猛は一目でそれを看破した。
猛もその構えに応じる。その姿に、男は目を丸くした。
「ハズレね、ワタシついてないアル。」
紅龍会は全員、中国武術の達人である。故に相手の力量はひと目で分かる。猛の構えを見て、男は猛者と見たのだ。そして、割に合わない、"ハズレ"だと評した。その理由は───。
男は一瞬にして距離を詰める。先手必勝であった。狙うは下スネへの下段蹴り。達人相手に頭部を狙うほど愚かな真似はしない。まずはマトの大きい箇所を狙うのが定石であった。武術の多くは下からの攻撃に対して有効的な手段を持ち得ていない。多少の被撃を覚悟するか、あるいはフットワークで避けるかの二択である。
だが此度、猛はそのどちらも取らなかった。男が距離を詰めたのと同時に、猛もまた距離を詰める。
男は完全に"一手"遅れた。後の先。相手の動きを先読みし技を繰り出す武の高等技術。よもやこんな街のストリートファイトで、こんな技を使う"到達者"と遭遇するなど、交通事故にあったようなものだ。
「チッ、本当にハズレね。」
読まれていたのだ。自身が下段蹴りを繰り出すことに。それを読んで踏み込み、蹴りの威力を殺した上で繰り出す技は───
「がっ!!」
頭突きである。お互いが同じタイミングで距離を詰めたが故にゼロ距離。繰り出せる技は限られている。頭部への頭突きをくらい、男の鼻は曲がり、鼻血が吹き出る。
「可恶ッ!」
悪態。吹き出る鼻血は酸素を肺に送り込むのを阻害する。格闘戦においてそれは後々厄介となる。だが、そんな不安は杞憂であった。
「零距離戦闘術、正拳───ッ!」
「まッ───!!」
体勢を整える隙も与えず、猛は容赦ない正拳突きを喰らわした。大人が半回転するほどの、大砲のような正拳突き。一撃で意識は絶たれる。
そう"ハズレ"とは、"テンバイヤー狩り"を命じられた自分たち下っ端にはあまりにも手に負えない、猛者と遭遇してしまったことへの自虐に他ならなかった。
「おじさん、大丈夫ですか?ひどい怪我だ。」
腰を抜かして倒れている中年男性に猛は手を差し出す。中年男性は唖然としながらも猛の手をとった。
「あ、ありがとう……兄ちゃん強いんだな。空手家か?」
「いや違います。しかしどうして襲われてたんですか?ここはそんな治安が悪いだなんて……。」
「こいつらは突然因縁をつけてきたんだ。紅龍会とか名乗ってきて……テンバイヤーは抹殺するとか……冗談じゃねぇ、こちとら生活がかかってんだ。」
中年男性はテンバイヤーの一人であった。紅龍会はテンバイヤー狩りをしている。その目的は……。
猛は考える。テンバイヤーというのがよくない人たちというのは分かる。だが紅龍会はマフィアだ。マフィアだけどよくない人を退治している?なら良い人?いいや……違う!マフィアは犯罪者だ!悪いやつが悪いやつを倒しても悪いことには変わりない!
「おじさん、この中国人はマフィアだ。理由は分からないけどマフィアがテンバイヤーを狙っている。」
「は!?なんだよそれ……おいおい漫画じゃないんだぞ……。」
中年男性は猛のことを信じなかった。仕方なく猛は先程倒した紅龍会の構成員の服を漁る……あった。物騒な道具の数々。ナイフはもちろん拷問器具の類いまでも持ち合わせてる。
さすがに中年男性もそれを見てゾッと血の気が引いたかのように顔を青くする。
「わかったよ……命あってだしな……でも何でマフィアが俺たち何か……坂本さんに連絡しないと。」
「それだ……どうしてマフィアは狙うのだろう……転売されて嫌なことがあったのか……うむむ……。」
「いやそりゃ分かるだろ兄ちゃん。中国人だろ?俺らの界隈でも見かけるぜ中国人テンバイヤー。転売ってのは競争だからな、大方俺等を排除して転売を独占したいんだろ。まったく中国人らしい自分勝手な連中だよ。転売は誰もが平等にできるってのに。」
「マフィアもテンバイヤーを始めようということか!おじさん頭がいいな!」
猛はようやく謎が解けたのか中年男性の肩を掴んで笑顔を浮かべる。
「うむむ!では師匠たちが連れて行かれた先は……どこなんだ!」
「師匠……?あぁそうか!坂本さんもこいつらにやられる可能性があんのか!おい兄ちゃん頼む!あんたの腕っぷしを期待して……こいつらを一網打尽にしてくれよ!」
「それは良いが場所が分からない!おじさんは知ってるのか!」
「知らねぇ!でも中国系の連中がたむろしてる廃ビルなら知ってる!長いこと空き家になってて行政も手つかずの場所だ!治安最悪で在日中国人の巣になってる!きっとそこにいる!」
在日中国人のホームレス化は度々問題となっている。更にまずいことにそれは空き家問題ともリンクし、いつしか空き家に住み着いた在日中国人たちが居住権を主張して居座り始めたのだ。
人が住んでいる建物には居住権が発生する。これは生存権の一つでこの国では外国人にも適用される。行政代執行などにより強制立ち退きをすることも可能だが、行政代執行には根拠が必要。
彼らはあくまで空き家となったマンションに住んでいるだけであり、行政代執行をするには不十分なのだ。
なによりも、この裏にはチャイニーズマフィアが絡んでいるだけでなく華僑、親中派の現職国会議員も絡んでおり、完全不可侵地域となっている。
こうして生まれたのが在日中国人の聖地。通称『日式九龍城』である。
「わかった!おじさん案内してくれ!!」
「え、いや待て俺も行くのか!?お、おい離せ、うわなんだこいつ力つよ、そうじゃなくて、やめてくれぇぇ!!」
猛はそんな背景を何一つ知らず、中年男性の手を引っ張り駆け出した。その先は、深淵の闇よりも深い、暗い暗い闇の底だとも知らず。





