神道政策連合
豊奉神社、兼奉条司の自宅。あれから弁護士の引き継ぎは滞りなく進み、九条弁護士から宗田弁護士へと担当が変わったことで初めて具体的な話が進む。
司の両親は借金を返す必要がないと聞いて驚いたが、それでは福富グループに申し訳がないのではないかと不安の声もあげる。心底善人なのだろう。詐欺師の肩をもつなんて、ありえないことだ。そんな彼らも娘とココネの説得により、ようやく状況を理解し、宗田先生に委任することを決めたのだった。
神道政策連合に連絡をしたところ、二つ返事で快諾してくれた。今日は連合から派遣される人が来る約束日。授業の終わりを告げるチャイムが鳴って放課後、荷物をまとめる。
「天理、今日は───。」
ココネがやってきて口を開きかけたその時だった。
「天理くん、今日が何の日か覚えるよね?」
同じタイミングで司は既に準備万端なのか、かばんを持って話しかけてきた。
「勿論。服装は学生服で問題ないよな?礼服に分類するはずだし……。」
「そんなこと気にしなくても良いから、ほら早く早く。」
彼女は急かすように俺の肩に手を乗せる。
「ふ、フフ……いいさ。お家が大変な時期なんだ。私とてその気持ちは痛いほど分かる。今はそんな事態を鑑みて大目に見てやるさ。」
言葉を遮られたココネは若干不満げな表情を見せるが一歩引いて俺が準備し終えるのを見守っている。慌てて俺はカバンの中に荷物を入れると「お父さんやお母さんも待ってるんだから急いで急いで」と言って司は俺の手を握り引っ張って教室の外へと連れ出した。「あ、待てこら!」とココネも慌てた様子で追いかける。
電光石火のごとく教室を後にした三人を見て、クラスメイトたちは話題にしていた。天理が司を巡り福富と衝突していたのは既にクラスメイトの間では有名な話だった。そしてココネとの婚約関係も。本人たちの知らぬところで、色恋な話が盛り上がっていた。
ドン!と音が響く。何事かと静まり返り、クラス中の視線が音の発生源に注目する。福富だった。机を蹴飛ばしたのだ。
福富は現状が極めて面白くないと感じていた。九条の話だとこれから奉条家を精神的に追い詰めるために悪い噂を流すということだが、それにも準備が必要だという。故に手出しができず歯がゆい思いだった。
「んだよお前ら、文句でもあるのか?」
視線が自分に集中していることに気が付き、悪態をつくとクラスメイトたちは、慌てて視線を反らし、下校の準備を始めた。
舌打ちをする。一体いつになったらあの売女どもを思い知らせることができるのか、ただただフラストレーションが溜まる一方だった。
豊奉神社は都心の一等地に位置しており、古くから地元住民に愛されている場所である。夏には祭りも開かれ、敷地もそれなりに広いことから観光名所としても紹介されている。祭りの際は多くの出店も開かれ賑わいを見せるが、普段は都会の喧騒とは隔絶したかのような静かな場所で、水連の咲いた池、野鳥がときおり鳴いていて適度に整備された芝生。立派な御神木を中心に、年月を感じさせる杉林。そこから入る木漏れ日と鳥居のコントラストは、この空間の神聖さを引き立てていた。
天理もまた幼いころからこの神社に両親に連れられて祭りに行ったことがある。
つまるところ豊奉神社とは、信仰というもの以上に、近隣住民からは思い出の場所、日常の一部として愛され続けている。奉条司は幼い頃から巫女の手伝いをしていて、変わらぬこの風景を誰よりも知っている。だからこそ、ここは失ってはならないという気持ちが強かった。
学校からそのまま直接俺たちは豊奉神社へと向かった。今まで意識したことはなかったが、懐かしい感覚が蘇る。子供の頃、両親の手を繋いで大してうまくもない焼きそばや、くじに射的……つまらない思い出だが、温かな気持ちになる。そんな素敵な思い出が詰まっている。
改めて感慨に浸っている俺に気がついたのか、司は意地悪そうな笑みを浮かべる。
「その態度、さては昔、両親にお祭りに連れてこられて以来、来たことがなかったなぁとか思ってる?駄目だよ、せめて初詣くらいは来ないと。神様だって拗ねちゃうんだよ?」
図星だった。先日、司の両親を説得に行ったときはもう日が暮れていて明かりがほとんどない不気味な林の中……という印象だったが、こうして日のあるうちにくると、段々と思い出してくるのだ。
「今度の夏祭りは来てよ。何なら一緒に行こ?天理くんなら大歓迎だよ!神様だって久しぶりに来てくれて喜ぶと思うから。」
ノスタルジーに浸るわけではないが子供のころ両親に連れられて行った夏祭り。確かにこの年になって改めて行くというのは楽しそうだと、純粋に思った。
「そうだな、その時は是非とも。でもその為には……なんとしてもここを守らないと。」
「天理、ちょっといいか?」
ココネが腕を引っ張って俺に耳打ちをする。
「やばいよあの女、天性の人たらしだ。私なんか良心的だよ。真に受けると沼に沈むぞ?」
言われてみるとすっかり司のペースに呑まれていた。何というか発言が嫌味ったらしくなくて、あざとさ、媚びも感じさせない。それは彼女の態度、声色や振る舞い……それらが自然体で、腹黒いものが何一つないのだ。人は清らかなものに惹かれるもの。彼女はまさしくそういう存在だった。それでいて高潔な精神性。悪意に敏感で、下心なんて簡単に看過してしまうだろう。
それは決して悪いことではないのだが……ペースに呑まれ自分を見失ってしまった時が怖い。気を引き締める。俺はこれからあの九条と戦わなくてはならないのだ。鼻の下を伸ばしている余裕なんて皆無。
拝殿の前に立つ。五円玉を投げ入れて拍手をして礼をした。これからのことが上手くいくように願掛けだ。
「それじゃあ社務所に行きましょう。お父さんとお母さんが待ってる。」
社務所とは神主や巫女が控えている場所だ。つまるところ事務室みたいなもの。境内を見渡し位置関係を確認する。
ふと気になった。先程からずっとしめ縄がかかった木を見ている男がいる。俺たちが来てからずっとだと。
「司さん、あの木って御神木……?あれも何か珍しいものでもあるの?」
「うん……?えっと確か樹齢二千年を超える歴史ある杉だって聞くけど……御神木様だからあまり軽々しく言えないけどね。二千年の歴史なんて聞いたら凄そうだけど、自然遺産にある杉の木は万年だもの。でもでも!そもそもうちは"木"に関する神社じゃないからそこはあまり関係ないの。ただね?年月を重ねた自然物っていうのは特別な力が宿って、常世と現世の境界、つまり神さまの住む世界と私達の住む世界との繋がりが生まれる危険性もあるから、しめ縄を……。」
突然饒舌になり聞いていないことまで詳しく司は説明してくれた。
要するに樹齢を重ねた樹木というのは霊的な意味合いを持つようになり、常世と現世との繋がりを希薄にしかねないというのだ。常世とは日本神話でいう黄泉の国、死者の国とも繋がる異郷、要するに異世界だ。そこには神様だけではなく邪悪な存在もいて、そんな存在を現世、つまり俺たちが今いる世界に引き込まないように結界としてしめ縄をしているというのだ。無論、神様が降臨する場所としての意味合いもあったり、単純にしめ縄と言っても色々と奥が深い。
と、流石神社の娘だけあってそんなありがたいお話を教授してもらったわけだが……。
結論としてあの男はそんな大したものでもない木を熱心に見ているということになる。福富がどんな嫌がらせをしてくるかも分からないし、不審な人物には声がけをした方が良い。そう思い俺は男に近づいた。
「いいしめ方だ……歴史ある神社とは聞いていましたが、うん。この御神木の結界も実に良い。シンプルながら丁寧な仕事です。」
男はしめ縄を恍惚な表情を浮かべ眺めていた。
まずい、別ベクトルでやばい奴だったかもしれん。俺は近寄ったことを後悔したが、男は俺に気がついたのか、こちらに視線を向けた。
「おお、これはこれは。お久しぶりです奉条司様。」
どうやら俺ではなくその視線は司のようだった。知り合いなのか、慣れた態度を見せる。
「えっと……すいません、どちら様でしょうか?」
「これは失礼しました。私の名前は神宮寺鬼龍。神道政策連合から派遣を受けて参りました、一級神職者でございます。」





