堂々とした浮気
理段の話だと、七反島の事件のあとに茜から話があったらしく、俺のことについて色々と尋ねてきたというのだ。
そこで理段は茜に対して説明をした。俺とココネの婚約関係や藤原家のことについて……。そのことを知った彼女は酷く狼狽えた様子だったらしく、そのまま黙って港を後にしたというのだ。俺もそれは知っている。寂しそうに港を後にする彼女の姿を、俺も見ていたから。
理段は"トモダチ"、即ちプロメテウスを探すために茜の周囲を探っている。茜自身もそのトモダチ探しには協力的でお互い連絡を取り合う関係だった。
そんな中、茜は理段にこう提案したのだ。
『夏休みの間だけで良いから、りぃくんの傍にいられないか』
と。
理段としては妹であるココネと俺の婚約関係を認めており、自称「将来の嫁」だった茜の言葉はあまり好ましくなかった。
だが、同時にこうも考えた。
『そもそもココネはプロメテウスと結婚するのだから、蒼月天理が仮にココネから離れ、茜とくっついたところで何の問題もないのではないか?』
理段にとって最優先はプロメテウスの発見。そういうことから唯一の手がかりである茜とは協力的な関係でいたい。そういった理由から、理段は茜の提案を受け入れ、夏休み限定で旧藤原邸の使用人として雇うことを決定した……と言うことだ。
理段の説明を聞いて俺は心底震えていた。涙が流れそうになるのを必死にこらえる。
彼女と俺の想いは一つだ。それは過去に戻っても何一つ変わることはない。きっと俺が彼女と同じ立場なら同じことをしたかもしれない。
健気に一緒にいたいと、ただそれだけの願いを叶えるためにこうして勇気を出して故郷を離れやってきたのだ。
二人の日々は、決して嘘偽りのないものだと改めて実感し、俺の心には温かい春風が吹いたようだった。
「いや、ふざけるなぁ!!なんだそれ浮気公認ってことかお兄ちゃん!!?」
今までの説明は全て理段の口から堂々と言われたものである。
つまるところ、理段は茜が俺に対して愛情を抱いていようが特に問題とは思っておらず、その結果ココネが失恋しようがどうでも良いというような言い方だった。
これには流石のココネも激怒し、理段に掴みかかる。
「おぅ……ココネ落ち着いて……お兄ちゃんはね、プロメテウスと会いたいのです。そのためには茜さんとの付き合いは……ね?」
「はぁ!?未来の記憶とか意味不明なこと本気で言ってるのか!?前世の記憶とかそういうやつか!?痛々しいにも程があるだろ!大体、キミもそうだ!普通、婚約者のいる相手にそんな……そんな……色目を使うようなことするのは非常識的だろ!!」
ココネの怒りの矛先は当然、茜にも向かう。
当然といえば当然だ。偽装婚約の破綻に繋がりかねない存在。ここは演技であろうとも怒らなくては全てを疑われる。堂々と浮気をしようとする相手に怒りを感じない恋人などいるはずがないのだから。
しかしそれはそれだ。
俺にとって茜は人生の全てだった。例えココネだろうと、強く当たられるのは気分の良いものではなかった。ましてや彼女は本当にただの一般人。それでも未来の記憶があって、健気にこうして俺の傍にいたいとやってきた。そんな彼女を無下にすることなんてできないし、無下にする人は誰であろうと許せないのだ。
「いやココネ……」
「ごめんなさい。ココネさんの気持ちは凄くわかります。最低なことだって……きっとりぃくんからしたら気味の悪い女にしか見えないだろうって……で、でも!万が一、私と同じようにりぃくんも"ぷろめてうす"さんの影響を受けたなら……お願いします!どうか、婚約を諦めてくれませんか!」
俺がココネをなだめようとした時、茜は堂々とココネの目を見てそう答える。それは宣戦布告にも等しいものだった。
未来の記憶などという荒唐無稽な話はさておき、俺に未来の記憶が戻ったら婚約をやめてくれという話。その大前提として、俺が未来の記憶を得ると、ココネを選ばず茜を選ぶという選択があってのことだ。茜がいくら俺を愛していようが俺自身がココネを選べば意味がない。だが当たり前のことのように、そんなことはありえないと、そう遠回しに言っているに等しい。
ココネの表情筋がひくつく。ヒステリーを起こす一歩手前を理性で押し止める。あまりにも、あまりにも傲慢な物言いに。
しかし、茜からすればそれは当然のことであったし、正解なのだ。
ただ、俺と茜が本来夫婦であることを知らないココネからすると、酷く傲慢で思い上がった発言で、自分のことをまるで眼中にないと見られていると思っても仕方がないことだ。
俺は隠しているが、未来の記憶がある。そして、未来の記憶を得てから、俺の脳裏にはずっと茜がいた。ありえないのだ。俺にとって茜以外の女性を選ぶことが。
「は……はぁ??な、なんでそんなことを言われないと……。」
具体的な反論が思いつかない。茜の言っていることは感情論そのもので論理の欠片もない。敢えて言うならば浮気の正当化。だがそれも未来の記憶ではそもそも夫婦になる二人なのだからという意味不明な理屈でかわされるし、兄である理段はその未来の記憶とやらを肯定している。
この場においてココネを頼りにするのは天理のみだった。だが天理は……
「天理……先程から黙ってるけどどうなんだい?こんな意味不明な話、まさか本気で……。」
心ここにあらずといった様子か、茜の無茶苦茶な話にまるで異論がないように見え、それがココネを不安にさせた。
「……!あ、あぁ正直信じられない。信じられるわけないよ。ただ……それならそれで良いんじゃないか?」
「何を言って……」
それで良い。それは即ち婚約関係を解消することが別に問題ではないということを意味する。そのようなことを、他でもない天理の口から出るなどと、ココネは信じたくはなかった。
そんなココネの心中を察したのか、天理は焦った様子で言葉を続ける。
「未来の記憶なんてない。だったらさ、茜の言う婚約破棄なんてありえないことじゃないか。大前提として未来の記憶というのが存在することがある。そんなものはないんだから、そもそも浮気は成立しない。そうだろ?」
道理であった。
ココネは未来の記憶云々の話、プロメテウスなど眉唾ものだと思っている。故にそう言われるとそのとおりだし、反論の余地もないのだ。
だが、それはそれである。
事実としての話や、論理的な話ではなく、精神的な問題なのだ。事実が何であろうと、自分の婚約者を狙う女がいるということ、そしてそれをハッキリと否定、拒絶しない天理の態度がココネにとっては煮え切らないのだ。
「天理……確かにそれはそうだけど、この女が色目を使う可能性だって……。」
『この女を拒絶してほしい』そんな本心を隠しつつ、遠回しにココネはそんな言い方をした。我ながら面倒くさい女だと自嘲しつつも、天理の口からハッキリと言ってほしかった。
色目を使う…。
俺は思わずココネの言葉に失笑しかけた。妻とはまるでイメージが真逆だったからだ。少し想像する。妻が自分に色目を使う姿……。懸命に自分のことを思い出してもらおうと、不慣れなことをする妻の姿が目蓋の裏に現れる。
考えてみると夫婦の営みの記憶こそがやはり俺たちの関係を確かにする象徴そのものであるし、色目を使うという手段自体は仮に俺の記憶が喪失しているならば妥当な手段なのかもしれない。
「……ありだな。」
思わず呟いてしまう。
その呟きを聞き逃すほどココネは甘くはなかった。
「何がありなんだ。それだけだと、どちらの意味も取れるな?」
ココネが俺に笑顔を向けて問いかける。
肩には手が乗せられていた。ミキミキと音を立てている。骨が軋んでいるのだ。





