呪われた屋敷
「実際、目の当たりにするとでかいな……。」
今、俺は屋敷の前に立っている。
その敷地は都心でありながら広い。だがお世辞にも立派なものではなく、放置された庭から伸びた木々が塀を超えて道路に出ていて、まるで幽霊屋敷のようだった。
ここは旧藤原邸。神宮寺の提案で、買い付けた……藤原心音と理段、そしてその父親である藤原不人が生活していた屋敷であり、不人が自殺したとされる場所である。
俺とココネはこの屋敷で暮らすことになった。ココネはともかく俺は別に自宅があるのだが……泊まり込みの方が屋敷の中を調べやすいため、夏休み限定ということでお邪魔することにしたのだ。
慣れぬ手つきで門を閉ざす南京錠に鍵を差し込む。南京錠を外して門を閉じる鎖を外す。
そして門を開く。とても重たくて、ギギギ……と音を立ててゆっくりと開く。まるで止まっていた時が動き出したかのように、ゆっくりと、ゆっくりと門は開かれた。
目の前には草ぼうぼうの庭、欠けたコンクリートの歩道、そしてその奥には立派な和洋折衷の屋敷があった。
「本当に……懐かしいね。まさかまたこうしてここに戻ってくるとは思わなかったな。」
それでもココネには懐かしさを感じさせるのか。このボロボロの屋敷を感慨深そうに見ていた。
玄関の扉を開けると意外にも掃除が行き届いていて、幽霊屋敷のような外観とは裏腹に埃一つなく今にも住めそうな程だった。不動産会社が清掃会社に依頼すると言っていたのを思い出す。ありがたい話だった。
ゴクリと生唾を飲み込み俺は踏み入れる。ここに答えがあると信じて。
「やぁおかえりココネ、先に待っていましたよ。」
そんな俺の決意を嘲笑うかのように、屋敷の中には、藤原理段が待ち構えていた。なぜ!?
───差し押さえとは裁判所命令により、債務不履行を起こした相手に対してとる最終手段である。要するに借金を返すにも返せない相手に対して、公権力が介入し私財を全部没収し競売にかけて、それで得た金を借金の返済に充てる仕組みだ。
旧藤原邸は差し押さえられ競売にかけられたのだが、邸宅内の家具は全て当時のまま残っていた。その全てが素人の俺でも分かる豪華な家具の数々。普通ならば誰かしら買い取り手が出てくるだろう。
しかし結局買い手はつかなかった。理由はこの旧藤原邸と同じである。
例えば銀食器が競売にかけられ、とある富豪が落札したというが、その富豪は翌日には豚の厠で首を削がれた豚の死体の上に富豪の生首だけが置かれ、胴体はミンチにされ豚の餌とされていたという。
犯人は不明。だが察しはついた。神宮寺は言っていた。
『藤原理段はその手が既にどす黒く染まっている』
おそらく祟りの正体も理段の仕業なのだろう。目的は……旧藤原邸に隠したい何かがあるのか、それとも純粋に自分の実家を誰の手にも渡したくなかったのか……それは分からない。
そして俺は、そんな理段が淹れた紅茶を飲みながら、同じく理段が焼いたというクッキーを食べている。
「どうですか天理くん、美味しいですか……?これは私なりの謝罪の証です。脅かすようなことを言ってしまって、私も反省したのですよ。」
気味が悪い。
正直なところそんな感想だった。紅茶も焼き菓子も正直言って滅茶苦茶美味しかった。大量生産品ではとても敵わない極楽浄土に向かうような香り。一口含む度に舌がまるで小躍りするかのような天上の甘味はまるで天使の息吹のようだった。
そんなものをこの男に謝罪の証としてご馳走されている現状が、本当に意味が分からなかった。
「ところでココネ?どうしてさっきからそんな不機嫌なのですか?お兄ちゃんが淹れた紅茶に不手際が?」
「…………別に。腹が立つほど上出来だよ。帝国ホテルのラウンジで出すアフタヌーンティーセットでもこうはいかないさ。」
俺たちは応接間で理段の淹れた紅茶をご馳走している。
どこから耳に入れたのか、理段は俺たちが旧藤原邸を購入することを聞きつけて一足先にやってきてこうしてお茶会のセッティングをしていたというのだ。
それにしても謝罪の証に紅茶を提供するというのは巫山戯ているのか、それとも上流階級の人間はこういうものなのか判断に困る。
「普通じゃないよ天理?お兄ちゃんはちょっとおかしいからあまり参考にしちゃ駄目だ。」
そんな俺の心の内を見透かしたかのようにココネは補足する。
妹の辛辣な物言いに理段は笑顔を浮かべた。
「本音を言うとね、久しぶりに団欒をしたかったのです。食事にはまだ早いでしょう?それでも私たちの実家で、こうして卓を囲んで他愛もない話を交わしたかった……なんて情けない理由ですか?」
家族団欒。
考えてみると理段もココネと同じく、実家を失い放浪していたと聞く。こうして姿を現したのは、単純に懐かしい我が家に帰りたかったから……ということだろうか。
そしてこうして、この世界で唯一の家族であるココネと久しぶりに団欒したかった。真っ当すぎる理由で、俺はなにも言えない。
「は……家族団らんはもう少し後だろう。妹の恋路に過干渉な兄は嫌われるよ?」
「はっはっは、ココネには敵いませんね……まぁこれから私も同じ屋根の下で暮らすわけですし、こうして交流を深めるのは大事でしょう。」
──────ん?
脳が理解を拒んだ。理段の言葉が、空耳か幻聴か。自分の耳を疑った。同じ屋根の下?理段と?
「……はぁぁぁ。まぁそりゃそうだよね。」
「この屋敷は広い。私の部屋は隅で構いませんよ。ただやはり兄としては若い男女二人きりで一つ屋根の下というのはまずいですし。おやおや?天理くん、ひょっとして期待してたんですか?」
理段は俺を見て笑みを浮かべながらからかう。その言葉にココネも「え?」と思わず俺の方へと振り向く。藤原家二人の視線が刺さる。絶対に嘘などつけないのは明白である。
「い、いや!そういうのは別に……!でもそれは確かにそのとおりです。藤原邸は藤原家のものなんだから、理段さんが住むのは別におかしくないどころか……自然ですね。」
俺の言葉に理段のこめかみがピクリと反応する。僅かな反応だった。一瞬すぎて見間違いだったかと思うくらい。
「はっはっは、照れ隠しは不要です天理くん。思春期の男の子ですもの。そんな考えはむしろあってこそ健全。お兄ちゃんは二人の仲を別に反対していないので好きにするといいのです。」
「お、お兄ちゃん!そういう話はやめてくれ!セクハラだぞ!やめだやめ!他の話をしよう!!」
ココネは顔を真っ赤にして会話に割り込む。理段は妹のそんな態度が愛らしいのか笑みを浮かべながらも、軽く謝罪をした。
「いやいやすいません。話を変えましょうか。ココネも知っているとおりこの屋敷は大変広くてですね、住むのは良いんですが庭師や使用人などが必要です。掃除するのも一苦労ですよ。」
「確かにそうだね……使用人を雇わないと。庭も荒れ放題だし……とても人を招く場所ではないね。」
「ええ、それで実はもう雇ったんです。綺麗に掃除されているでしょう?これは彼女がしてくれたんですよ。すいません、お待たせしました。入ってきてください。」
勝手なことを。
と内心毒づくが、内心ありがたい話ではあった。事実としてこの屋敷を管理するためには使用人は不可欠。それをこれだけ綺麗にしてくれた人がいるのなら理段の決定に文句をつけようがない。
理段は鈴のようなものをチリンチリンと鳴らした。別室で待機させられていたのだろう。ドアが開き理段が雇ったという使用人が姿を現す。
「え……。」
そこに立っているのは茜……即ち妻だった。理段が用意したのか黒色のワンピースに丈の長いロングスカート。そして白いエプロン。クラシカルなメイド服を着ている。その格好はこの旧藤原邸の雰囲気とマッチしていて、いかにもな格好であった。
彼女とは七反島で再会を果たしたが、再会の喜びを分かち合えなかった。
他ならぬ目の前にいる理段のせいで。
それが、今こうしてまた俺の目の前にいる。何を言えば良いのか分からなくて、頭の中が真っ白になった。
「黒陽茜と言います。学生なので夏休みの間だけですけどよろしくお願いします。その……ご主人さま?」
彼女の名は黒陽茜であり、蒼月茜。未来で俺と結婚するはずの、今も俺が愛している女性であった。





