悪魔の肚
福富白禄は苛立っていた。本来ならば司を言いくるめていたというのに、思いもよらぬ邪魔が入ったからだ。それも陰の薄い、蒼月天理とかいう普段からゴミのように見下していた生徒にだ。しかも没落令嬢とはいえ"あの"藤原心音と婚約関係だと?彼のプライドが許せなかった。
だが同時に、気がかりだった。借金を返す必要がない?詐欺?脅迫?本当だとしたら聞いていないにも程がある。白禄は聞いていた。奉条家の娘が気になっているのなら、これを弱みに嬲るのもありだと。弁護士である九条乖離に。
「九条!どういうことだ!!?」
怒り狂った様子で九条がいるという部屋の扉を乱暴に開ける。
部屋の中には静けさを感じさせる紳士的な中年がいた。だがその目は猛禽類のように鋭く、その眼光は何もかも見据えているようだった。胸に光る弁護士バッジは、彼のそんな風貌をより印象的にさせるものであった。彼こそが九条乖離。蒼月天理に法律を教えた師であり、罠に嵌めた元凶である。
「おぉ、これはお坊ちゃん。随分と頭に血が上っているようです。コーヒーでもいかがかな?リラックス効果があると聞く。」
コーヒーカップを片手にタブレットで電子書籍を読んでいた九条は得意先の福富が血相を変えたかのように面談の予約を入れてきたので、仕方なしに時間を優先的に空けて待っていたのだ。
聞けば学校で早速、助言をしたとおりに振る舞ったようだが、横入りが入ったという。詐欺罪だの脅迫罪だのという言葉を聞いて、黙り込んでしまったというのだ。
「言ったよな九条、あんた間違いないって、違法性はないって、嘘だったのかよ!」
「結論から言うと詐欺罪にも脅迫罪にも当たりませんよお坊ちゃん。大方、奉条司をかばうためにでまかせを言ったのでしょう。私が保証します。」
よくある話だった。こちらとしては債権を正当に行使するだけのこと。債務整理に和解条件としていくつか提案すること自体に違法性はない。
というのは建前で、まぁこのお坊ちゃんの思惑は分かっている。奉条家をターゲットにするよう依頼があってから、家族構成を確認したがその一人娘である奉条司は美人の分類には入るだろう。ならば、男としてはやりたいことなど一つしかない。弁護士の仕事はそれをいかに合法的にさせるかである。
「な、なんだよ……やっぱりそうなのかよ。くそっ、限定承認だの祖父の借金に娘は関係ないだの訳の分からないことばかり言いやがって。」
「ふむ、訂正しましょう。脅迫に該当する可能性が高いですね。」
「はぁ!?いきなり手の平かえて何言い出してんだ!?おかしくなったか!?」
突然の九条の豹変に福富は苛立ちを感じずにはいられなかった。だが九条はそんな様子をものともせずため息をついて口を開いた。
「本件の場合、お互いがその事実を知っていたかが争点となります。昨日まではお坊ちゃんも奉条家も、祖父の借金は祖父が代表を務めていた宗教法人の財産を切り崩してでも返さなくてはならない、そういう認識だったのでしょう。ですがそれが今崩されました。事実を知った上で、宗教法人が所有する財産を売却することを迫るのは脅迫に相当する可能性が高いです。」
「知ってる知らないって……じゃあ九条、あんたは知ってたのかよ。神社は売却する必要がないって!!」
肩を震わせ九条に詰め寄る。そんな福富の態度をまるで意にも介さず、澄ました顔で九条は答えた。
「いやぁ、指摘されるとそうなりますね。賢い方もいたものです、きっとすごく優秀な方なのでしょう。」
無論、嘘である。だが知った上でそのようなことをしていたら問題である。故に表向きには自身も知らなかったと貫く構えなのだ。
「個人の借金の場合、相続人がいなければ借金は消滅します。借金とは相互の契約により成り立つものです。限定承認とは相続人が限定的に相続する制度ですので、返せない借金は相続されません。」
「だから!それで神社を売却するかどうかの二択に迫れるって言ったじゃねぇか!神社を売却する必要がないってどういうことだよ!?」
「必要ないですね。少なくとも私が真面目に弁護するなら売却する必要はないし相続もできると答えます。」
「さっきから言っていることが無茶苦茶じゃねぇか!!何なんだ一体!!」
九条は呆れながら個人と法人の違いを説明した。それは九条が知るはずもないのだが、同時期に天理や宗田が司に対して話をしている内容とまるで同じ。つまるところ借金は司の祖父がしたものであり、神社は担保に入っていない……そもそも入れられないということだ。
「ふ、ふ、ふ、ふざけんな!!!この三流弁護士!!!お父さんに言いつけてやるからな!!!嘘をついたって!!!」
「いえ、私は最初から説明しています。豊奉神社が欲しい。あの土地が欲しいというのなら、法人格に融資を勧めろと。何故、個人に貸し出しているのか、これが分からない。」
そう、確かに宗教施設は宗教法人法により守られているが、宗教法人が融資の担保として神社や土地を設定した場合、その時点で抵当権が発生、差し押さえが可能となるのだ。
法人ではなく個人に貸し出させた。これを天理は九条のミスだと考えていたようだが実のところ違う。九条は当然、理解していた。故に、先程の少ない会話から、債権債務の関係が法人ではなく個人に発生していることを見抜き、脅迫になると指摘したのだ。
九条の眼が光る。じっと福富を見ていた。嘘を決して許さない。そんな表情だった。
「い、いや……それは……あのジジイ、融資を提案したのに自分一人だと決められないから無理だって言いやがって……先生言ったろ?無理やり融資しても無効になるだけだって……だから仕方なく……。」
「宗教法人が融資を受ける場合は関係者の同意だけでなく公告も必要になります。私は言いましたが?数十億円の取引になるのだから根回しはしろと。」
根回しは既にしていて信者たちの買収は済んでいた。だが問題は役員である奉条家であった。豊奉神社は決して裕福な宗教法人ではない。故に事業拡大など望んではおらず、細々と続けばそれで良いと考えていた。幸い神社維持に必要な最低限の費用と奉条家の生活費が賄える程度の収入はあり、質素だが、その心は十分に満たされているこの日常を変えたいとは思わなかったのだ。だから金では動かなかった。
そこで福富は素人判断で個人も法人も変わりないと考え、奉条司の祖父に借金を背負わせた。今、わざとらしく福富に問い質しているが、もとより九条はその話を聞いていて計画を変更していた。個人と法人の違いを敢えて説明しないことにしたのだ。もしそれで何かトラブルがあっても自分は指示していない、知らぬ存ぜぬで通す。
無論、奉条家が神社を売却しなくてはならないように思想を誘導するのにも尽力していた。それが、それが何者かによって計画が狂ってしまったのだ。
だがしかし、それで終わるわけでもない。そんなことは九条も福富無限も想定の範囲内だった。
「まぁしかしお坊ちゃん。それはあまり問題にはなりません。お父上、福富無限様との話はもう済んでいます。万が一の場合の強硬策は既にね。」
強硬策。それは穏便に話が解決しないのであれば、別口で解決に持っていくという方法だ。人間は社会性を持つ生き物だ。誰もが正しさを好み、正義の味方でありたいと思っている。そこをつくのだ。即ち───。
「奉条家は借金を踏み倒す守銭奴、信者から巻き上げた金で贅を尽くす悪人。これで行きましょう。」
それは九条が最も得意とする戦い方。
合法的に相手を痛めつけるあらゆる手段をもって追い詰める。弁護士を敵にまわすということが、どれだけの地獄を見ることになるか、あの平和ボケした奉条家に思い知らせてやろうじゃないか。
表情一つ変えず、九条は頭の中で、これからの計画について思案するのだった。





