絶技、発照無形
爆発の直前に神宮寺が跳躍した理由は決して電気自動車から逃げるためではない。もとより電童により電気自動車は壁のように迫ってきており、多少の跳躍では逃れる術などない。
神宮寺の目的はその爆風を可能な限り下からの爆発としたかったのだ。爆風を推進にして飛翔する。そのためにタイミングを合わせて跳躍したのだ。
もっとも、その爆発威力は通常ならば即死。耐えきれるものではない。故に神宮寺は跳躍後、その全てを爆風へと集中した。
断ち切るのは人でもなければ物でもない。空である。達人の多くの逸話には、風を切るような……という話がいくつかある。同じことであった。爆発の衝撃波の大部分は爆風。爆風を断ち切り、空間に空を作ることで無を為す。
「中今一刀、発照無形。」
無銘の大太刀を両手に持ち、構えを変える。その姿は諦めか、あるいは奇策か。凡人には考え至らぬ理。中今の瞬き、その太刀筋は、光を超える。
───神宮寺が一級神職者として認められたのは結界術の卓越さからである。だが神宮寺は元来、神職者ではない。
しかし、奇しくも彼の生きた道筋は神職者たちが行う荒行に酷似していた。そして到達したのが中今の極致。中今とは古神道由来の哲学であり、仏教で言うところの空の概念に近い。
時間とは永遠の流れである。だがその流れには常に中心点が存在する。それを中今と呼び、その哲学は過去と未来、その流れに囚われず、今この瞬間をかけがえのないものだと大切にし、生きていくという考えである。あらゆる事象は過去と未来に繋がり、それは全てに帰結する。仏教ではこれを"因果"とも呼ぶ。
一言でかつての神宮寺を言うならば、"愚直な凡夫"であった。
神宮寺には闘いの才能が無かった。藤原理段のような天性の肉体もなければ、武颯猛のような神速の反射神経もない。
神宮寺が所属していた暴力団組長は覚えが悪い神宮寺を「才能がないな」と笑っていた。
だがしかし、決して見捨てるようなことをしたわけではない。
「才能がないなら手数を増やせ。数多の武術を身につけ敵に対して最良の技を使えば良い。」
愚直な凡夫である神宮寺は、組長の言葉を真に受けひたすら多くの武術を修めた。組長が薦めたのは内家功夫をルーツとした武術。肉体的に優れていない神宮寺は、筋力を主に使う外家功夫よりも力の流れを汲む内家功夫の方が性に合っていると考えたのだ。
こうして神宮寺は数多の武術を使いこなし、組長の横に並ぶに至った。だがそれでも組長にはまるで及ばない。模擬戦では一度も勝てなかった。
「どうすれば組長のように強くなれますか。」
そう問いかける神宮寺であったが、組長はその質問にだけは曖昧な態度をとっていた。
───いくら手数を増やそうが、圧倒的な個には敵わない。
即ち才能の差は、努力では覆らない。そんな残酷な事実を、神宮寺に伝えるのは、あまりにも酷だからだ。愚直な凡夫故に。
わかっている。
自分には才能がないことが。どれだけ鍛えようとも超えられない壁があるということが。
世の中に存在する"超越者"たちは皆、その壁を超えている。神宮寺はその手前で、ただ立ち尽くすだけだった。
愚直な男だった。そのような事実があろうとも、神宮寺は己に迷いを感じつつも、それでもなお、自分を磨き続けた。そこに答えがあると信じて。
霊山にて、神宮寺はただひたすら自身を見つめ直していた。永劫回帰。その袋小路に迷っていた神宮寺は、答えを求め山籠りを始めた。武への答えだけではない。いつしか己が人生の答えとはどこにあるのか、命とはどこにいくのか。神宮寺は彷徨っていた。
あの日、組長に出会わなかった自分はどうなっていたのか。両親や妹の不幸は必然だったのだろうか。もしも自分が上手く立ち回っていればまた違った未来はあったのではないか……。
いつしか迷いは己が巡り合いを慮るに至り、その意味を求めるようになった。
気がつけば、神宮寺はただひたすらに祈り、食事さえも摂らなくなっていた。祈りとは己が運命とこの世界そのものへの問いかけであった。
そんな日々が続き、そしてあの日のことだった。最早、感覚は既に失っていた。食事も殆ど摂っていなかった。呼吸も浅く、口にするのは滝行での清水のみ。腕は痩せ細り、餓死目前であった。体力の限界を迎えたのか、神宮寺は倒れ込む。
真冬であった。雪は柔らかく、温かい。まるで干したての布団のようだった。荒行を為せば答えを得られる。そのようなことはまやかしであった。だがそれでも神宮寺は知りたかったのだ。今、この瞬間も生きている、その意味について。
永劫の時のようだった。身体は極限まで痩せ細り、全神経が鋭敏となっていた。世界が溶けるような感覚を得る。神宮寺はこの時、"死"を理解した。それと同時に、まるで世界の全てが手の内にあるような感覚を覚えた。
草木のざわめき、岩の下に隠れている虫たち、巣で親鳥を待つ雛鳥たち……彼らの命の循環がまるでこの手の内にあるかのようだった。
「やら……なくて……は……。」
気がつけば神宮寺は立ち上がっていた。
枯れ木のようになった四肢を動かし、神宮寺はまた霊山の奥へと向かう。その心奥にある霊峰所縁の龍が宿ると呼ばれる神滝へと。
やらねばならぬ。例え四肢が折れようとも。
狂気的とも呼べる使命感が神宮寺には宿っていた。不思議と足取りは軽く、繰り返す登山の時間はやせ衰え続ける身体とは対照的に、日に日に短くなっていた。
いつものように滝に打たれる神宮寺は、信じがたいものを見た。滝から流れ落ちる水滴一粒一粒が、この目で見える。それだけではない。自身の体はかつて無いほどに冴え渡っていた。
その瞬間、神宮寺の意識は時さえも超越していた。
極限状態にまで肉体を追い詰め、飢えた身体の感覚は冴え渡り、森羅万象と一体化したようであった。意識は原始に溶け始め、全ては帰結する。
だが、だから何だというのだ。意識は先鋭化し今や周囲全ての出来事がこの手の中に包み込まれたような感覚。だがそれは、自分の求めるものとは違う。
そんな苛立ちにも似たような感情が湧いた時、荒々しい滝の音とは別に何かの声がした。幻聴ではない。確かに聞こえる。それもすぐ傍から。
意識が覚醒する。これは助けか、否、嘆きの声だった。哀しみに明け暮れ絶望に瀕した声。雪の中から聞こえる。
神宮寺はただ何も考えずに声の聞こえた場所へと向かった。積もっていた雪をかき出す。手は既にボロボロで力は出ない。爪は剥がれ血は流れ雪を赤く染めるが、それでも止めなかった。そして掘り出した先に、神宮寺は見た。そこには野良ウサギの親子がいた。
木に積もっていた雪が突然落ちてきたのだろう。生き埋めになっていたのだ。親ウサギは既に動いていなかった。子ウサギを庇うように亡くなっていたのだ。ウサギに声帯はない。だが子ウサギの声無き声が、助けを呼ぶ声が神宮寺は認識したのだ。
子ウサギは親ウサギの傍から離れようとしなかった。
「うさ……ぎ……?」
死にゆく生命。今、原始に意識が溶けた神宮寺は既に終わった命と、始まりを迎えようとする命の二つを同時に認識した。それは視覚的、知識的意味合いではなく、もっと根源的な感覚が、神宮寺の意識を突き抜けたのだ。
その時、神宮寺は理解した。
全ては、繋がっていたのだ。今ならば分かる。この感覚を通して、この生命の循環が。
この時点で、神宮寺の意識は世界の理と接続されていた。あらゆる事象、因果、万象が、手に取るように感覚で分かる。この親子の因果もまた、悟ったのだ。
親ウサギは死して死ぬべくして運命だった……いいや違う。抗ったのだ。子を死の宿命から、命を賭しその因果を変えようと、その小さな命で。
人生の答えとは見つけるものではない。ただ今この瞬間を愛おしく感じ、ただ懸命に生き抜くこと。その結果として得たものが答えなのだと。
即ち、見つけるものではなく、今までの人生こそが答えだということ。答えとは果ての瞬間。まだ終わる宿命のない者が求めるものではない。
親ウサギは自身の命を賭して、子の命を守った。それは次世代に紡ぐために、今を懸命に生きそして散っていった。親ウサギにとっての生涯の答えとはつまるところそこにあったのだ。
死ぬためにこの世界に生まれ落ちたのではない。自らの意思を託すために、未来に希望を得たのだ。言うならば、未来のためにこの世界に生まれたのだ。
今、神宮寺は子ウサギを救い出した。親の宿命への抗いが、子の明日を作り出したのだ。
声無き嘆きを聞き取ることができる神宮寺がそこにいたのは偶然か、あるいは必然か。
「答えは……すぐそこに……あった……の……だな……。」
きっと、それは運命などではない。ただ懸命に子を守る親の無償の愛。そこに貴賤はなく、この世界で幾度となく存在するもの。そこに才の不足を悔いる余地などなく、打算など欠片もない。
その強い思いが、足掻きこそが今ここに神宮寺を呼び、死の宿命を変えたのだ。
枯れた喉で神宮寺は呟く。他愛のないことであった。
求めていた武がいかに小さなことか、才のない己を悔やむことがいかに愚かしいことか。答えを求めるなどとは、いかに傲慢なことか。
違うのだ。答えは求めるものではなく、目指していくものなのだ。それこそ生命の灯火。魂の煌めきそのものなのだ。
人はいつしか忘れ去る。世界に溢れるノイズに埋もれ本質を見失う。
だからこそ、本能に刻まれた生命の本質さえも、いずれは霧の中に堕ちていくのだ。
その日、神宮寺は知るに至った。世界の理を、命の循環を、永遠の尊さを。
そして、その中で見た生命の輝き。
中今の極致とはつまるところそこにあった。神髄とはそこにあったのだ。命が紡ぎ続けるその果てで、無限に流れ続ける悠久の時の中、その一瞬を捉える。
その極致は宿命も因果さえも塗り替える。輝きは此処にあり、その内は雲淡風清の如し。
壁が崩れていく。否、元から壁など無かったのだ。乗り越えるべきは己だった。誰もが知り得る世界の理。森羅万象の本質は皆、同一。そこに差異を求め、比べることなど、愚の骨頂でしかない。
壁を乗り越えたのではない。誰もが進む道とはまるで異なる道筋。超越者をも超えた超人が生まれた瞬間だった。
子ウサギはやがて親ウサギから離れ、この場を去っていった。因果を変えた子ウサギの明日を知る術は神宮寺にはない。ただ、その姿を神宮寺は微笑みながら見ていた───。
神宮寺は目を瞑り全神経を集中させる。その瞬間、時が止まったようだった。中今の瞬間である。極致へと至った神宮寺は、中今を認識するに至った。あらゆる事象、因果、その全てが感覚として捉える。今、この瞬間を神宮寺は認識し、そして掌握する。
全方位から電気自動車が爆発するとはいえ、そこにはタイムラグがある。全てが同時に爆発するわけではない。迫る爆風。そこへ第一の太刀、続けて別方向からの爆風に二の太刀……流れるように、まるで流水のように。神宮寺はその瞬間を全て───断ち切った。
発照無形。空を断ち無を為す絶技。両断された爆風は神宮寺を避けるように流れる。その瞬きは数コンマにも満たない。まさしく絶技と呼ぶに相応しい。





