摩天の牢獄
───それから数日後。
月明かり照らす摩天楼。ビル群の明かりは漆黒の天幕に彩りを与える。日はとうに暮れているというのに、人々は世話無くひしめき合っている。
ここは不夜の街。魑魅魍魎が跋扈する、欲望の街。その灯りは人々の魂の慟哭か、あるいは嘆きの果てか、夢の残照か。
セントラルシティ中心部、高層ビル立ち並ぶビジネス街はその綺羅びやかな背景の裏で、絶大な格差が犇めいている。
その中でも一際巨大なビルがある。IT企業メサイアが保有する高層商業ビル。低階層はテナントとして開放されており、上層はメサイアの事務所だ。
最上階、ガラス張りの壁から見える夜景の煌めきは、まるで宝石箱のように輝いていたが、その部屋の主はそんな景色に目もくれず、ネットニュースを眺めていた。
愛華の移籍ニュースは天理が予想していたとおり新聞、テレビ、週刊誌、SNS……あらゆる媒体で話題の中心だった。中には根も葉もない噂話をあげる者たちもいたが、それも束の間のことで、アリードという事務所とそれを有するブルーハートは瞬く間にその存在感を増していった。
そんなニュースを見て頭を抱える男がいた。電童雷太。六道会の六道衆、『人道』を司る階位第三位の男。ここメサイアの代表取締役である。
愛華渇音は彼と同じく六道衆の一人であり、『餓鬼道』を司る階位第四位である。そして彼らの役割は六道会への利益。
ただ愛華のした行動はとても六道会の利益に繋がるとは思えなかった。むしろマイナスである。確かに話題性は高いが、福富グループという巨大資本の傘から抜けるのは、やはりデメリットの方が大きい。それとも愛華はそのデメリットよりも、蒼月天理の傘に入るのがメリットと考えたのか……電童は理解できなかった。
「あの雌餓鬼ィ……!勝手なことばかり、意味不明なことばかりしやがって……ッ!」
まるで気まぐれな猫を相手にしているようだ。電童の胃がキリキリと痛む。何故、自分があれを管理する役目を与えられたのか。心底つらかった。
ノック音が室内に鳴り響く。返事をすると静かに扉が開かれた。
呼吸を整える。電童にとって待ち望んでいた相手であった。
「待っていました。神宮寺さん。いいえ、六道衆の一人。天道を司る階位第一位。『天』の神宮寺さん。」
神宮寺鬼龍。神道政策連合に所属する一級神職者である。
カタギになったとはいえ、隠しきれないその威圧感はむしろ今の電童にとっては、心の拠り所、春風が吹いたかのように穏やかな気持ちになる。
久しぶりにマトモな相手と、理知的な人間と会話をしている気分になるのだ。
「"元"だ。私はもう階位を譲った。」
「ですが現『天』である流星は亡くなりました。あの七反島で。」
「極道だけではない。青木も死んだ。羅刹も復帰は無理だろう。」
七反島で起きた事件は六道会に深刻なダメージを与えていた。六道衆の第一位と第二位が死亡、第五位は逮捕。すなわちその戦力は半減と言える。
「青木のバカはご丁寧に私に遺言状を送っていたよ。最初から死ぬつもりだったのだろう。うまくやったものだ。電童、お前のシノギは大躍進じゃないか。」
青木が七反島にて生配信をしたのには理由があった。それは電童が運営しているIT企業『メサイア』が提供する新たなSNS『ノア』の普及。
生配信はMytubeとノアで行われた。だがMytubeは早い段階でAIによる自動監視機能に引っかかり放送が中止されたのだ。
あれだけ話題になった放送……多くの人々は続きを見たいと望み、もう片方で配信を行っているというノアのアカウント登録が爆発的に増えた。ノアは青木が行った配信全てを公開し続け、その結果、今回の事件で爆発的な普及を遂げたのだ。
そしてその裏には当然、青木と電童の密約があった。過激な配信をすることになるが、どうか中止しないでほしいと。
SNSはレッドオーシャンである。だがそれでも新規参入が途絶えないのには理由がある。シンプルに"金になる"のだ。今やノアは世界を代表するSNSたちに、アクティブユーザー数では比肩する勢いとなった。
「青木さんと羅刹さんは……自分がもう古い人間だと自覚していました。自分たちでは六道会を支えるシノギは作れない。そう私に相談してきて、今回の話を持ち出したのです。」
「あぁ、それは聞いている。あいつらは不器用な奴らだ。そういう生き方しかできなかった。だからヤクザになって……だから死ぬしかなかった。」
神宮寺にとって彼らは昔なじみ。義兄弟の契りも結んだ関係。六道会がここまで大きくなる前からの関係であった。故に思うところはある。
それを電童も理解していた。他ならぬ電童自身もまた、神宮寺と同じ世代だからだ。かつては共に肩で風を切り街を歩いた仲。
「ここも、広くなりましたね。」
かつては六道衆が集まり会議をしていたこともあった。しかし今は違う。寂しげな口調で電童は呟いた。
「改装でもしたのか?あまり変わりないが。」
「……寂しくなったと言いたいんです。六道衆も半数減ってしまった。」
とぼけているのか天然なのか、神宮寺に対して電童は真顔で答える。
「ん?あぁまぁ仕方のないことだ。仕事の量は増えるだろうが……。」
「そこまで分かっているのなら話は早い!今こそ神宮寺さんには戻ってもらいたいのです!天道とは、そもそもあなたにしか当てはまらない!"天の神宮寺"。今も多くのヤクザたちが畏れ敬っているのはあなたなのですから。」
天道。六道衆第一位。他の道と違い、天道は一位で固定されている。それは頂点を意味するもの。頂きを司る六道衆の象徴そのもの。
初代『天道』である神宮寺鬼龍を畏怖するものは今も少なくなかった。その存在は今も語り継がれる神話のように。
「おぅ鬼龍、聞いたか?今度六道衆とかいう組織を作るんだってよ。」
これは昔の記憶。まだ神宮寺が六道会にいたころだった。
足元で屈強な外国人たちがうめき声をあげている。硝煙の匂いが漂い、そこら中に銃痕や爆発痕が広がっている。その逞しい腕、顔には派手なタトゥーを覗かせ、彼らがマトモな人間でないことは容易に推察できた。
そう、彼らはロシアンマフィアである。六道会のシノギに手を出した結果、本拠地に襲撃をかけた神宮寺たちにより壊滅させられたのだ。
青木は倒れているマフィアの一人の頭を踏み潰し、そして蹴飛ばす。それを神宮寺はマフィアの死体を重ねた山のてっぺんに座り、タバコを吹かしながら眺めていた。紫煙が周囲を漂い、死臭と混ざる。
「六道衆だぁ?組長は変な漫画でも見たのかよ。青木ぃ、それガセじゃねぇだろうな?」
若き神宮寺はボヤく。組長はヤクザらしからぬ"お人好し"だ。まぁヤクザの時点で人が良いとは言えないが、比較的……という意味でだ。
「あぁ?ガセなわけねぇだろぅが。組長の心遣いだとよ。俺らの活躍に対して報酬がなさすぎるって……なぁ!おーすげ、白人の死体ってこうなってんのか。」
マフィアの死体を弄びながら青木は答える。
青木の話だと新たな組織を作り出すことで、自分たちの活躍に報いるというのだ。六道衆は六道にちなんでそれぞれ階位を与えられる。自分は『天』、青木は『畜生』のように。
「すげぇな兄貴たち!!組長にそこまで認められるなんて!!この極道、兄貴たちの下につけて感激じゃあ!!」
目を輝かせこちらを見るのは流星極道。当時はまだ入ったばかりの新参。自分を慕っていることに加え、見込みがありそうなので神宮寺は弟分の盃をくれてやったのだ。即ち義兄弟の契り。
「他のメンバーはまだ決まってねぇのか?」
「いや?もう噂じゃほぼ決定みたいなもんだぜ。『餓鬼』が伽羅、『人』が電童、『修羅』が羅刹、『地獄』が……なんとそこの流星だ!おう、やったな流星。てめぇも出世したもんじゃねぇか!」
流星は青木のそんな言葉を聞いて感激のあまり身体を震わせる。そんな様子を神宮寺は見ながら少し考えていた。伽羅、電童、羅刹……自分たち含め全員武闘派だ。なのに地獄だけは極道……妙だった。極道が弱いわけではない。だが今の極道よりも格上の武闘派はいる。武闘派だけを集めた組織なら、ナンセンスだ。
「極道、お前はそれ辞退しろ。何かくせぇわ。青木も警戒しろ。今日の話は秘密だがな、六道衆はどうも違和感がある。なんつぅか……直感だがな。」
昔の話だ。それから『天』として神宮寺は活躍をしたが、後に引退しその跡目を極道に譲った。
『天』の活動には特に不審なことがなかったのは分かったし、その時点で極道は自分に次ぐ十分な実力を有していることもあってか誰も異論はなかった。
いや……羅刹だけは「天は神宮寺意外ありえない!」と最後まで吠えていたから結局、天が何者か羅刹にだけは隠すことにしたんだった。
懐かしい話、昔話を思い出し、神宮寺は失笑する。今はもう二度と来ない日々。





