意外な伏兵
旧藤原邸の売却を担当としている不動産管理会社に連絡したところ、二つ返事で快諾してくれた。買い手のつかない不動産は負債でしかない。
固定資産税が無駄にかかるだけでなく、その管理もしなくてはならない。例えば建物の老朽化で屋根が崩れたりするなどして、それが原因で事故などを起こせば、全て管理者の責任になる。
故に旧藤原邸は腫れ物のような扱いだった。不動産価値自体は無駄に高いせいもあって、極端な値下げもできず困り果てていたのだ。何よりも不動産価値未満の価格で"たたき売り"などしようものなら、それこそ祟りに遭うのではないかと、本気で信じられていた。
「契約手続き諸々の準備をするから今すぐ来てくれだって……。」
「旧藤原邸は曰く付き物件だからね。気が変わる前に契約したいんだろう。」
俺たちは早速不動産会社に向かい契約書にサインをしてきた。ものすごく迅速に対応して不気味なほどだった。向こうからすると負債とは知らずに購入してくれた良いカモだと思ってるのかもしれない。
契約自体は済ませたが正式な登記手続きはそれなりに時間がかかる。ただその手続きは全て不動産会社がしてくれるということで、合鍵を譲ってくれた。今日は清掃業者を入れてある程度綺麗にしておくので、明日からなら住んでもらって構わないらしい。清掃費用はサービスだとか。
「あっという間だったなぁ……なんというか普通にコンビニで買い物をした気分だ。」
そんな感想が思わず溢れる。ココネもこの手際の良さには思わず苦笑いを浮かべていた。
不動産購入という急用が出来たが、ほとんど時間をとらなかったため予定どおり俺たちはアリードへ向かう。何でも司が初めて所属タレントと顔合わせをするというのだ。現地集合の約束をしているらしく、もう既に事務所にいるらしい。
「司とは色々と顔合わせが必要な人物がいるからね。これからの営業活動に大事な人物だ。既にそちらにも話はつけてて今日来ることになっている。」
手際の良い話だった。司は元々ただの学生であるため、業界関係者と顔合わせをしておくのは大事である。
事務所のドアを開けると酒見が出迎えてくれた。ただ、その表情は酷く狼狽していて気が気ではないのか、あるいは夏の蒸し暑さなのか頬を伝う汗をハンカチで拭いている。
「よ、良かった……早く説明してください。どういうことなんですか……?」
司が来ることなら事前に説明していたはずだが、酒見の態度は明らかに異様だった。普段から低姿勢の彼だが、今はその姿勢まで猫背になっていて、今にも土下座をしそうな勢いだ。何があったのか尋ねると震える指先で奥の応接室を指差す。司とは別に、来客が来ているようだ。
「司は?」
「つ、司さんは彼女の応対をしています。本人も望んでいて……あぁ本来は私がするべきなんでしょうね、すいませんすいません。」
ペコペコと頭を下げる。何がなんだか分からない俺とココネは言われるがままに応接室の中へと踏み入れた。
「あ、天理くん。遅かったね、色々と聞いてきてもう疲れちゃった……。」
部屋に入ると司と目が合う。そして手前には髪の長い黒髪の女性が座っていた。俺の存在に気がついたのか振り返る。
「やっほー、久しぶり☆元気にしてた蒼月天理くん☆」
「……は!?」
そこにいたのは国民的アイドルである愛華渇音だった。堂々とした佇まいで、アリード事務所に単身やってきたというのか。
彼女の目的が分からない。頭の中は混乱していたが、事実確認のためにも思いついたことを尋ねるしかない。
「司の……偵察に来たのか……?今日、事務所に来ることを知って?」
「え?違う違うよー。司ちゃんと話してたのは本当に偶然。今日はね、お仕事で来たんだよ?☆」
仕事……?意味が分からなかった。彼女はアイドルだ。それが芸能事務所に何をしに来たというのだろうか。理解できなかった。
ただ呆然としている俺を気にもとめず、愛華はカバンから書類を取り出して俺に手渡す。俺とココネはその書類を見る。愕然とした。流石のココネも驚きのあまり声をあげる。書類の詳細を見るまでもなく、それはあまりにも明白極まりないものだったからだ。
愛華が俺に渡した書類は移籍届一式。すなわち、アイドルとしての所属事務所をこのアリードへと移籍するものだった。
冗談じゃないかと書類を入念に確認する。手続き上、何も問題はなく、ご丁寧に相手方事務所の社印まで押印済みだった。すなわち、向こうの同意は得られているということ。
何故?どうして?理解不能だった。愛華は金の卵を産むニワトリのようなもの。それをわざわざ手放すメリットがまるでない。愛華という存在を得るということは、芸能界で覇権を握るようなものなのだ。
「どうして……?突然こんなものを渡されても説明もなしじゃあ……。」
対外的説明がつかない。発覚すればマスコミも騒ぎ始めるだろう。ブルーハートの世間からの評価額はとてつもなく上昇するだろう。理由がなければ、良からぬ噂だって立ちかねない。それはイメージダウンに繋がる。
「んー?そうだなぁ……貴方のことが気に入ったから、とかじゃダメ?」
「ダメというか嘘だろう。ビジネスの場でからかうのはやめなよ愛華渇音。」
俺の反応を待つまでもなく、有無を言わさずココネは割り込んで愛華に対して辛辣な言葉を浴びせる。だがココネのそんな態度をまるで気にも止めず、愛華はスマホを取り出して俺に渡した。通話状態になっている。相手と話せということなのだろう。
「はい。蒼月ですが……。」
「蒼月くんか、私だ、福富無限だ。正式に対面で話をするべきなのだろうが、愛華がすぐにでもというのでな、電話で失礼する。」
電話の先は福富無限。福富グループの総帥である。七反島では彼の過去のことを知ったため、どうも苦手意識を感じる。それに俺はこの手で……。
「和解だ。我々福富グループはブルーハートと全面的に友好関係でいたいと思っている。七反島では……世話になったからな。愛華の移籍はその証明でもある。」
意外なことに無限は七反島での出来事を恩義に感じており、その働きに報いようということだった。もっとも……俺たちは無限のスキャンダルとも言える話を聞いている。そういう意味でもあまり敵対したくないという思惑もあるかもしれないが……ともかく今後は対等な関係でいたいということだった。
そのことを伝えると事務所内は当然の如く騒然とする。酒見に至っては立ちくらみがしたのか倒れて横になった。
「蒼月くーん、いるー??」
騒がしい事務所の中、知った声が聞こえた。枕美美音。かつてここアリードに所属していたタレントで今は別事務所に所属している。
「ま、枕美!?なんでこんな時に……!?」
「何でとは失礼ね、アリードの隠し玉を見に来たのよ。あなたの婚約者に呼ばれたんだけど?水着コンテストのやつ。あれ私も一枚噛んでいることになってるんだから顔くらい合わせても良いでしょ?」
ココネが呼んでいたというのは彼女のことだったのか。
確かに司関連のニュースで枕美がコメントしていたという話もあった。元アリード所属のエースが隠し玉であったことを話すことで司の存在はより信ぴょう性と話題性が増したため、そのことについてはいずれ礼を伝えるべきだと思っていた。それに枕美は司を知らないので口裏合わせのために顔合わせをするというのも分かる。
「まぁ?勘違いしないでくれない?色々と芸能活動で苦戦しているようだったから助け舟を出してあげただけ。古巣が凋落すると私のイメージにも傷がつくし?」
彼女は新天地であろうとも、その堂々とした振る舞いは変わることはなかった。その点において俺は奇妙な安心感を得たのだが、今はそれどころではない。
「あ!枕美さんだぁ☆やっほー、どうしたの?この世界に戻ってくる気になったの?だとしたら嬉しいな☆」
奥から愛華が出てくる。枕美にも気がついたのか、無遠慮にズケズケと物を言う。
「はぁ!?愛華ァ!!?何であの女がこんなところにいるのよ!!」
枕美は愛華を指差し俺に詰め寄る。そう、彼女は愛華に強いコンプレックスを抱いている。彼女がいるせいで業界では常に二番手の烙印を押されてきた。比較される日々。それが彼女を少しずつ歪めていったのだ。
「えっとぉ……直接の対面ははじめまして、かな?☆アリード所属の愛華渇音です。よろしくね枕美さん☆」
愛華はそんな枕美の心境をまるで無視して挨拶をする。ちゃっかりアリード所属とも。
枕美は耳を疑うような表情を浮かべ口を開けて何かを言おうとしているが、うまい言葉が浮かばないのか指を差してパクパクするだけだった。
「あれれ?でもおかしいなぁ?枕美さんってアリードと喧嘩別れしたんじゃないの?なんでそんな」
「はじめましてじゃないわよ!!あんたとはテレビ局で二回!ロケで三回!スタジオで六回!!会ってるから!!挨拶もしてるから!!何なら同じ番組で共演もしたから!!その度に全部忘れてるんだろうがこの頭空っぽ女!!」
思ってもいない方向で枕美は愛華に怒りを露わにする。流石の愛華も面食らう……様子はなく笑顔を浮かべるだけだった。
「え!?すごーい☆あたしとの共演全部覚えてたの!?嬉しいなぁ、あたし枕美さんのこと大好きだからそんな風に覚えてもらえて☆」
「私はあんたのことが大嫌いよ!!こら、触るな!!やめろ!!蒼月くん、こいつを引き剥がして!!!」
嬉しそうに枕美に抱きつく愛華を枕美は心底嫌そうに引き剥がそうとする。
だが無理だ。愛華の力の強さは規格外なのを俺は知っている。俺でも多分力負けするだろうに、枕美が愛華に抵抗などできるはずがない。そして彼女を引き離す腕力も残念ながら俺にはない。
ともかくしばらくは混乱が続きそうではあるが、福富グループによる嫌がらせがなくなっただけでなく、愛華という戦力を得たアリードは今後、とてつもない利益を叩き出すだろう。司の頑張りが無駄に終わってしまいそうなのは少しかわいそうではあるが、元々彼女はアイドル志望でもない。むしろ、穏便に終わりそうで安心する自分がいた。





