生贄の巫女
宗田法律相談事務所。行政書士の仕事は時に弁護士の知恵を拝借することもある。それだけではなく弁護士から依頼を受けて書類の作成をしたり、あるいは弁護士の人脈を借りて手続きを円滑に進めたりなど密接な関係にある。基本的に立場は弁護士の方が上で、俺もよく先生と呼んでペコペコと頭を下げていた。
ただ宗田先生は福富が経営していた会社の顧問弁護士ではない。顧問弁護士は九条乖離という男。同時に俺に法の何たるかを"実務"を含め教えてくれた師である。
中々に悪どい男だった。福富に悪知恵を入れていたのも奴だったし、反社会勢力との繋がりもある。もっとも九条自身は「誰にでも弁護を受ける権利はある」と綺麗事を言っていたが、その目的はやはり金。一度、九条弁護士に相談をしようとしたこともあったが、多額の金額を要求され、福富からも先生の手を煩わせるなと注意されたのだ。
したがって、俺は福富とまるで無関係の宗田先生によく相談事をしていた。
もっとも俺自身、新米のころは何度もよく叱られ、怒られているので未だに苦手意識はあるのだが……その人柄は決して悪い人ではない。近所からの評判が良いだけでなく、その実力も高く評価されており、それなりに事務所は繁盛していた。
ただそれはあくまで10年以上先の話。この時代にも宗田法律相談事務所があったのはありがたいが、10年の経験はやはり大きいのではないかと内心、不安だった。
久しぶりの事務所はやはり10 年という年月がかかっていないだけあって綺麗だった。受付に案内され待合室で待つこと数分、準備ができたということで相談室に案内される。
相談室では相談者のプライバシー保護のために完全個室となっている。緊張した態度でドアノブに手をかけた。
そこには少し若く見えるが、俺の知っている宗田先生がいた。先生は微笑みながら「こちらへどうぞ」と着席を促す。
司もまた緊張しているのか、ゴクリと生唾を飲み込み、そして静かに今までのことを包み隠さず話をした。話をしているうちに、また悔しさと不甲斐なさを思い出したのか、所々声は震えて涙ぐんでいた。
「話は伺いました。結論から申し上げますと神社の存続は可能です。神社を残したいという話ですが、神社の管理は宗教法人法により定められています。先程の話だと借金の存在を奉条さんのご家族は知らなかった様子。宗教法人法では融資を受ける際は公告することが定められているので、もしも法人が融資を受けていたのなら知らないということはありえません。したがって借金をした者が奉条さんの祖父で確定です。個人の借金の返済のために神社を差し押さえにすることはできないと法律で明言されており、訴訟の必要すらないですね。」
それは俺が彼女に説明したことと同じ内容だった。彼女は言葉を失ったかのように唖然とした表情を浮かべ、俺の方をチラリと見た。
「あ、あの!本当に借金を返さなくてもいいんですか!?莫大な借金があると聞いているのに……!」
「いえ、借金は返す必要があります。ですが神社は債権のために金銭化することは認められていません。借金を返す目処がないのであれば、相続の限定承認を勧めます。」
これも先程、俺がした話。債権者からしたらとんでもなく迷惑な話だが、宗教法人という特殊な条件がそれを可能にするのだ。
「ああ、補足しますが神社全てが、というわけではありません。例えば宗教に必要のないものについては差し押さえの対象となりうるので注意してください。例えば境内から遠く離れた宗教と関係ない土地や、所有の車……これらは差し押さえられます。」
「だ、大丈夫です!それでも、それでも残るのなら……!あぁ……本当に、本当に天理くんの言うとおりだった。嬉しい、本当に、残るんだ……!」
堰を切ったかのように彼女は人の目を気にもとめず涙を流した。今まで本当に悩みに悩んでいたのだろう。突然の借金、迫られる選択、高校生にしては重たすぎる話だった。でもそれが全部解決するだなんて、彼女にとってはまるで夢のようだった。
「天理くん……?他にも相談していたんですか?そういうことは先に言ってくださらないと、弁護士にも横の繋がりがあるので。」
相談者が複数の法律相談事務所をハシゴするなんてのは珍しくない。法律相談は内容によっては弁護士の性格、経験によって異なることがある。悪質な相談者はそれを黙って相談し、逆に弁護士に対して説教を始めるものもいるのだ。
だからもし他の弁護士にも相談をしていたのなら教えてもらいたいというのが本音なのだ。弁護士同士でそういった情報を共有することで、トラブルを事前に避ける意味合いもある。
「あ、いえすいません。天理っていうのは俺です。出過ぎた真似をしました。」
そんな事情を知っている俺はすぐに誤解を解く。何であれ弁護士の印象を悪くするのは良くない。無論、弁護士には弁護する義務はあるが、彼らとて人間なのだから、やる気というのがある。ましてや宗田先生との関係を悪くするのは望ましくないと未来の知識を知っている俺は分かっている。
「ん……君は奉条さんの友人ですか。若いのに勉強しているようで感心です。なるほどうちに相談するように勧めたのも君ですか。」
宗田先生は手元の資料を見て俺に視線を移した。よく叱られていた時の記憶が蘇りつい強ばる。
「あ、いや、その点は出過ぎた真似で……申し訳ないです素人が偉そうに。」
「怒ってはいませんよ。むしろ感心しています。適切な答えに加えて専門家への相談も忘れない。大事なことです。法曹の世界は勉学だけでは正しい答えに到達しないこともよくあります。」
それは俺が初めて仕事で大きなミスをした時に言われた言葉だった。座学だけで法を知った気になった俺はミスを犯し、先生に多大な迷惑をかけた。結局先生の尽力でどうにかなったが、あの時の思い出は今も俺の胸に刻まれている。
しかしあの時とは違い、先生は対照的に朗らかな表情を浮かべていた。先生の教えに従い、俺は未然に相談することとした。それが先生にとっては好印象だったのだろう。
だが突然思い出したかのように、顎に手を当てて考え始める。突然の不穏な態度に司は困惑しながら「やはり駄目なんですか」とすがるように宗田先生に尋ねた。
「いえ……先程も言ったとおり法的には神社は残せます。ですが……先程天理さんに伝えたとおり法曹の世界は勉学だけでは正しい答えに到達しないのです。今回の話はそれに該当します。」
「そ、それってどういうことですか!?」
「借金の相手ですが、福富さん……とおっしゃいましたね?彼らのことは私も知っています。有名な資産家の家系ですから。そして悪い噂も……。」
借金の問題はただ返さなくていいから大丈夫という話ではない。法的に問題はなくても当然、債権者は納得がいかない。ではどうするのか、答えは単純で、債務者に対しての嫌がらせを始めるのだ。勿論法律に接触しない範囲で。宗田先生はそれを懸念している。
これが社会的な信用を求められる法人格なら問題はないかもしれない。だが今回の債権者は個人であり、その裏にいるのが社会的信用などどうにでも工作してくる福富グループが相手なのだ。反社会勢力とも繋がりがあるし、警察にも口が聞く。それこそその気になれば司を拉致して、今以上に酷い目に遭わせることも可能なのだ。
そんな話を可能な限りオブラートに包みながら宗田先生は司に説明した。
「そ、そんな……!そんなことってありなんですか!?だ、だって法律では問題ないんでしょう!?なのにそんなこと……!」
当然の反応だった。理不尽な暴力。許せないものである。
「法律とはあくまでルールです。ですが人間というのは感情があります。ルールだから問題ないと言われても禍根は残る。それが現実なのです……。」
「で、でも犯罪にならないんですか!?嫌がらせってそんな……。」
「そうですね証拠さえあれば法律に接触する行為もあるかと思います。ですが例えばそうですね、有名な例ですと"村八分"があります。これは明らかに違法な人権侵害なのですが、刑事事件あるいは民事事件として訴訟するのは難しいです。どうしてか分かりますか?証拠がないからです。証拠がなければ警察も捜査はしません。だから泣き寝入りをする、というのが現実としてあります。」
村八分とは閉じたコミュニティで特定個人に嫌がらせをすること。そうすることで地域から孤立させ日常生活を困難にする。田舎だけの話に思えるが、都市部でもやりようによっては可能だ。例えば取引先に働きかけて取引を禁ずるなどがある。あるいは自宅に対して、落書きや投石、騒音。悪い噂の流布など手段は様々だ。
そして共通することとして、地域全体で結託し、口裏を合わせて「そんな事実はない」と主張し証拠を残さないだけでなく、実行犯が不特定多数であることから立件も困難なのだ。
悲しいことにこれはよくある現実であり、そういったことを避けるために仕方なく法的に問題はないのに相手の要求を受けるというケースは多々ある。法曹に生きるものとしては、そういったケースを想定し天秤にかけなくてはならないこともある。
司は絶望していた。折角見えた希望が叩きのめされ、理不尽な現実を知ったことに。どうしようもなかった。村八分……神社は守れるかもれないが今度は両親が迷惑をかける。それだけではない。長く続いた豊奉神社の名誉だって傷つくし、その矛先は両親だけではなく親族にも向かうかもしれない。それは彼女にとって耐え難いことだった。
生贄、という言葉が脳裏に浮かんだ。自分が犠牲になれば皆、幸せでいられる。彼女は最初から詰んでいたことを思い知らされたのだ。そして生贄になることが、もう仕方ないことだと思うようになった。
「……あ、あはは……そ、そうなんですね。ありがとうございました宗田先生。それに……天理くんも。私のために色々と考えてくれて。でも、そうだね、仕方ないよね。うん、分かるよ。お金を貸したんだから返してもらわないと、それは気分良くないよね。だから、これは仕方ないんだ。」
自分に言い聞かせるように司はぎこちない笑みを浮かべる。宗田先生は何も言えない。どうしようもないことだった。こういった事例はよくある。弁護士として出来るのは選択肢を教えることまで。そこから先は……神の見えざる手に任せる他ない。
気まずい空気だった。同席しているココネもまた不機嫌そうな顔でずっと腕を組んでいる。だが、そんな中、俺は司の意思を確認するかのように尋ねた。
「司さん。貴方の本当の気持ちを教えてください。何度も言うけど借金は司さんがしたものじゃない。関係がないんだ。それに責任を感じる必要はない。それでも借金を返すために福富の要求を、自らを犠牲にするような選択をとりたいと思っているのか?」
俺は司の目をまっすぐ見て尋ねた。これは最終確認だ。彼女の決意を確かめるための。俺の問いかけに司は「仕方ないよ」と小さく答える。それでも俺はしつこく彼女に問いかける。彼女の本当の気持ちを聞かなくては意味がないからだ。
「……そんなの、だって!!仕方ないじゃない!!聞いたでしょう今の!!?迷惑をかけたくないの!!天理くんは分からないんだろうけど、私は嫌なの!!!私のせいで他人に迷惑をかけるのが!!神社の名誉が傷つくのが!!!分かってよ!!!私に優しい言葉をかけないで!!!!そんなことを言われたら……私は……私は……!」
「もう一度聞きます。司さんはどうしたいんですか。他人のことは抜きにして、他人の借金を返さなくてはならないと思ってるんですか?」
「いい加減にしてよ!!他人のことなんて抜きにならないの!!私が嫌だから借金は返さないだなんて、そんなのただの我儘!!どうして私の言いたいことが分からないの!!?あなたに人の心はないの!!!?」
今まで溜まっていた鬱憤を全てぶつけるかのように、憎悪さえも孕んだ目で、彼女は立ち上がり俺を睨みつけ叫んだ。ココネは「落ち着くんだ」と今にも俺に手を出しそうな彼女を止めようと手を伸ばす。
「神社は残しつつ、嫌がらせも受けない……神社の名誉を傷つけない方法があるんだ。」
俺の言葉に一同は静まり返る。宗田先生すら思わず「え」と呟いた。





