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それでもこの手が届く限り

 糸の切れた人形のように呆然としていた二郎だったが、獣の如き雄叫びをあげ二郎は無限に飛びかかる。


 「うぉぉぉ!?」


 その鬼気迫る表情も相まって、無限は思わず恐ろしさを感じたじろいだ。銃を構え反射的に手にした銃の引き金を引いた。

 だがそれは反射的なもの。当然、銃口は狙いが定まっておらず、あらぬ方向へと発射される。更に不幸なことにその銃弾は跳弾し、猛と九条を結ぶ鋼線に直撃した。


 「なっ……!なにをしている無限!!」


 思わずその衝撃にココネは手を放す。それがまずかった。結んでいた鋼線は解けてしまい、またずり落ちていく。ココネは咄嗟に鋼線を掴んだ。何とか猛たちの墜落は免れたが、両手塞がる。


 二郎は銃声に怯むことなく無限に距離を詰めて思い切り胸ぐら掴んで殴りつけた。不意をつかれた無限はそのまま倒れるが、二郎は無限に馬乗りになり、何度も何度もその顔面を乱暴に殴り続けた。無限の鼻は曲がり、返り血が二郎の拳に、顔面に付着する。それでも二郎は殴りつけることをやめなかった。

 鈍い音が響く。容赦のない拳、骨を砕く音。

 シロクは何も出来なかった。父が目の前で何度も殴りつけられている。既に意識はないのか手が痙攣している。それでも何もできなかった。

 兄の豹変ぶりに愕然としていた。父の言葉がきっかけだったのは分かる。怒りは分かる。二郎のその顔は醜く歪み、憎悪と憤怒に満ち溢れていた。

 だというのに同時に目から涙が零れ落ち続けていた。いているのだ。怒りと共に計り知れないほどの悲しみを背負っていることが、嫌というほどに分かってしまい、シロクは何も出来なかった。

 例えそれが、父に向けられた憎悪だとしても、どう止めれば良いのか分からなかった。いや、そもそも止める資格があるのか。そんな自問自答が木霊する。


 「やめろ二郎!!本当に死んでしまうぞ!!」


 だが天理は違う。例え復讐心に満たされ、やけばちになった二郎を、それでも救いたかった。無限を殴り続ける二郎の腕を使い止める。


 「まえが……。」


 二郎はそんな天理に気がついたのか天理を睨みつける。涙は枯れることなく零れ落ち続ける。


 「お前が殺したんだ……兄ちゃんを……!」


 その言葉を聞いて、天理の頭の中は真っ白になった。

 二郎は天理を思い切り殴りつける。天理は反射的に腕で庇い距離を取った。


 「お前も同じだ……お前が殺したんだ……ッ!!」


 ───何も言えなかった。

 天理にとってそれは青天の霹靂だった。だが反論などできなかった。二人を救いたかったのは事実だが、愛夢が殺されるきっかけとなったのは間違いなく自分。言い訳などできなかった。


 「二郎……お前がそのつもりなら、俺は止めなくてはならない。分かってるさ、こんなこと……。」


 こんなこと、言える立場ではないということ。

 天理もまた心の底に復讐心を抱き続けていた。未来で妻を殺された憎しみ。ただその一点で。だがしかし、愛夢や二郎と天理とでは大きく違う点がある。それは"悲劇を回避できる"という点だ。天理の最愛の妻はこの時間軸ではまだ生きている。それどころか今もこのホテルにいて、自分の名前を呼んでくれた。

 つまるところ天理の復讐心は、妻を守ることにある。殺された原因を探り、未然に防止することができれば手を汚す必要すらない。

 だが二郎は違う。もうなにをしても戻らないのだ。彼にはもう復讐しかないのだ。それ以外、何もかも失った。


 そんな二郎に、天理が復讐をやめろだのというのは、滑稽な話であり、戯言以外の何者でもない。恵まれた立場で、何を言っているのかと自己嫌悪する。

 だが、関係ないのだ。これは天理の復讐とかそんなのとは関係がない。

 ただ純粋に、二郎たちには救われて欲しかったから。それだけだった。エゴなのは分かっている。独善的なのは分かっている。それでも……!


 「二郎ッ!!聞けッ!!お前の兄、愛夢はどうしてお前に復讐の手をかけさせなかったのか、どうしてお前にろくに装備すら与えなかったのか!考えたことはないか!?」

 「黙れ……黙れ黙れ……!コロス……殺してやるッッ!」

 「お前の兄は!!自分一人で罪を背負うつもりだったんだ!!人殺しなんて業を背負うのは自分だけで十分だと考えていたんだ!!だからお前に何もさせなかったッ!最低限の護身だけに留めさせたッ!!お前の兄は……お前に真っ当な人生を送ってもらいたかったんだ!!兄の想いを無駄にするのか!?」

 「お前が……兄ちゃんを語るなッッ!!!」


 不格好なパンチだった。腕力だけで殴りつけるテレフォンパンチ。この短期間で多くの猛者たちと出会ってきた。彼らに比べると、あまりにも堂に入っていない。きっと今まで争いとは無縁で、喧嘩慣れしていないのだろう。

 しかし、それでも天理の身体には響いた。今までの戦いによる傷もある。だがそれよりも、何よりも、その拳があまりにも悲しいものだったからだった。


 ───俺に二郎を殴る資格なんてあるのだろうか。


 そんな言葉が反復する。結局のところ、一番の半端者は自分だ。復讐を誓っておきながらこの体たらく。何が復讐だ。他者の復讐にはケチをつけといて、自分の憎悪は本物だったのかと木霊する。


 「くっ……そっ!!」


 天理は二郎が殴るタイミングに合わせ、拳を躱しタイミングを合わせて画面に拳を叩き込む。カウンターだ。天理の拳にぬちゃりと血がこびりつく。マトモに受けた二郎の鼻は曲がり、血と鼻水が付着したのだ。

 戦いたくはない。痛めつけたくもない。二郎は善人であり、被害者でしかない。だが、戦わなくては、彼をここで倒さなくては更に悲劇は続く。

 二郎は戦いのスペシャリストではない。喧嘩だってしたことがない。故に天理は二郎が殴るタイミングに合わせて簡単にカウンターをすることができた。だが、そんなことは誰よりも二郎は理解していた。


 「なっ!?」


 完全に入ったカウンター。だというのに二郎はまるで痛みを感じないのか、それを無視して乱暴に殴りつける。無茶苦茶だった。後のことなど何一つ考えていない。


 「あぁぁぁああぁッッ!!」


 まるで獣の雄叫びのようだった。その時、天理は悟った。


 ───勝てない。


 二郎の力の源泉は復讐心。それも強い強い絆を奪われたことの嘆きの力。あまりにも悲しくて、報われない。もう、未来はなくただただ自棄の力。

 背負っているものが違いすぎるのだ。最早、痛覚も完全に麻痺しているのだろう。怒りと憎悪で脳内物質が駆け巡り、復讐だけのために生きるモンスターへと変貌してしまった。

 その悲しみが、天理にはあまりにも痛いほど分かる。妻の死体を見つけたあの日、青薔薇の男に刺されたあの日。どうして、どうして、大切なものを目の前で奪われ、絶望に瀕したことを痛いほど知っている自分が、二郎と戦えるのか。


 あの時の景色が鮮明に蘇る。あの時の悲しみ、苦しみがつい先刻のことのように感じる。あの時と立場が違う。俺の今の立場は、憎んでいた"青薔薇の男"そのものだ。

 タックルを食らう。蹴りや肘を食らわせてもまるで意に介さず、天理は二郎に押し倒される。そして、無限の時と同じように、何度も何度も殴りつけられる。

 天理は抵抗できなかった。まるで贖罪を受けるかのように。何もかも自分が悪いことであるかのように。

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