借金の踏み倒し方
重なった唇が離れる。マトモにココネの表情を見ることができなかった。心臓がありえないくらい高鳴っていて、自分のものだとは思えない感覚に満ちている。
「な?そういうことだ。そして改めて言うが天理の言う事は間違いじゃない。疑うなら彼の言うとおり一緒に弁護士事務所に行こうか?」
静寂に包まれるクラス。全員がそれどころではない、そんな心境だった。だがやがて、ココネの堂々とした振る舞いが真実性を帯びていたのか誰かが呟く。
「何だよそれ……じゃあ福富のやつ奉条ちゃんを騙して良いようにする気だったのかよ……。」
その言葉を、白禄は聞き逃さなかった。
「誰だ今、人聞きの悪いこといいやがったのは!!俺を誰だと思ってやがる!!騙すだと!!?ふざけんじゃねぇぞ!!誰だ!!出てきやがれ!!!いいか!!?この女はな、借金を踏み倒そうとしてんだぞ!!!?俺は借金を取り返そうとしただけ!!!何が悪いんだ!!!!」
「借金をしたのは奉条さんの祖父であって奉条さんじゃないよシロク。返済義務の無い相手に返済を求めるのは立派な詐欺行為だし、脅迫行為だ。ああ、それにそういう嘘を吹聴するのは名誉毀損にもなるかな?福富グループの御曹司が随分とお粗末なことをするものだね。」
呆然とする俺に代わりココネは淡々と事実を告げる。議論にすらならない。今回の件に限っては白禄が100%非があるのだ。奴も若い。これが年を重ねると法律を悪用する狡猾な男になるのだが……今はただの子供だ。百戦錬磨の弁護士でもない俺でも、簡単に論破できる。
事実、詐欺や脅迫という言葉は流石に効いたのか、白禄は何かいいたげに身体を震わせて俺を睨むが、結局何も言わずに教室から出ていった。
「何あれ……本当に最低……。それよりも天理くん。さっきの話だけど、弁護士を紹介するって、どうしてそんな知り合いがいるの?」
真っ当な疑問だった。普通の高校生が知り合える関係ではないとは……思う。弁護士の知り合いがいるのは事実だ。ただしそれはこれから先の話。今の俺とは何の関係もない。だから適当なことを言うと信頼も損なわれるだろうし、慎重に言い訳を考える。
「実は親戚が亡くなった時に相続権で争ったことがあったんだ。そのときとても親身になってくれた弁護士がいてね。俺は直接の顧客じゃないから覚えてもいないだろうけど、すごく良い先生だよ。」
「あぁなるほど。確かに実体験なら安心かも。ありがとう天理くん!それじゃあ早速教えて!」
「そうしたいのは山々なんだけど……その前に確認をしたいんだ。豊奉神社って言ったっけ。由緒正しい神社なら間違いないと思うけど……。」
俺はあることを司に確認をとった。司は何のことか分からない様子だったが即答だった。彼女にとっては当たり前のことすぎてピンと来なかったのだろう。その当たり前という認識が更に安心させる。
「天理くん!喧嘩をしたって本当なの!?」
遅れて美咲先生がやってきた。クラスの陸上部員は俺と彼女の関係を幼馴染だと思っているので、言い争いを始めたあたりで呼びに行ったのだろう。賢明な判断だとは思う。福富はプライドが高い。もしもあの場で女生徒に咎められるものならば、逆上して平然と暴力を振るっていただろう。
「先生、それは誤解です。天理くんは無抵抗でした。一方的に殴られたんです。」
殴り返してしまえば喧嘩となる。その場合、お互いに非があることとなり、加害者被害者の関係はなくなる。故に俺は手を出さなかったのだが、それだけではない。そもそも学校なんてのは治外法権に近いところがある。これが町中なら紛れもない暴力事件なのだが、恐らくは今回の一件は有耶無耶になる。福富にはそれだけの発言力もある。
仮に俺が手を出していれば、むしろそこをついて俺だけが暴力事件の加害者に仕立て上げることもできるだろう。もっとも今回は別に福富を訴えるつもりはないし、この件を大きくするつもりはない。
ことの経緯を美咲さんに話した。
「そうなんだ……でもよくそんな空気が収まったね。福富くんは意外と大人な態度を示してくれたってことなのかな……?」
「そ、そうだ!先生!この二人が婚約関係だって知ってたんですか!?」
クラスメイトの一人が我に返ったかのように美咲さんに問い詰める。それが呼び水となってクラス中が騒ぎ出し始めた。当然のことだった。突然、クラスメイトが婚約発表したのだから誰だって驚く。美咲さんも目を白黒させていた。
「あぁそりゃそうだよな……隠すって言ったのに、なんで話すんだよココネ……。」
「いやぁーだってむかつくじゃないかアイツ。まぁまぁ些細なことさ。むしろこれからは校内で堂々とこういうこともできるという利点もあるわけだしな。ハハハ。」
そう言ってわざとらしく、ココネは俺の腕に腕を絡める。
「や、や、やっぱり誤解じゃないじゃない!ふ、ふ、ふ、不純異性交遊なんだ!!あ、いや婚約関係なら不純でもなんでもない……?うぅ……この場合どうなの……?」
美咲さんまでクラスメイトと一緒になって追求してきて、その場は大混乱だった。皆が落ち着くのに、質問責めは終わることがなく、放課後になってもその話は続いた……。
落ち着かないクラスメイトたちだったが、司の家庭事情を助ける必要があるということで、ようやく開放してもらえた。遺産関係について司から再度確認し、現状を整理する。
まず祖父が死んだ時点で相続手続きが起きるのだが、そこで弁護士の介入がない筈がない。司はおそらく子供だから蚊帳の外にされているのだろうが、彼女の両親は弁護士相手に相続の説明を受けているはずだ。その上で莫大な借金を返さなくてはならないという話になっていたというのならば……。
そもそも彼女は罠に嵌められていた可能性が高い。彼女の祖父の相続を担当している弁護士はおそらくは福富とグルだ。ココネとの口論で何か言いたげだったが、言わなかったのではなく言えなかったのだろう。福富の無駄な自信は弁護士の存在からなのだろうが、弁護士が言っているから間違いないと言ってしまえば、それは奴の謀略を自白したことになる。
何にせよまずは相談だ。弁護士事務所に連絡をとってもらい相談予約をとることにした。幸い今日の放課後は空きがあるようで、すぐにでも行動に移せそうだった。説明すると司は勿論、ココネもついてくるという。





