ファースト・キス
司はどうやら借金に悩まされ友達に相談しているようで、そんな様子を友達はかわいそうにと慰めの言葉をかけている。彼女は本気で悩んでいるのに、その取り巻きは何一つ解決策を提示しようとせず、同情するだけだった。普段ならまぁそんなものだと無視してたのだが、どうも問題は深刻なようで、無視できるものではない。
「だから言ってんだろ司ちゃん?全額返さなくても一年間だけ俺の言うこと何でも聞くならチャラにするって。」
下衆な目を向けて、司に絡む男は福富白禄。かつて……というより未来での俺の雇用主だがろくな思い出はない。彼の家は裕福で、クラスでは発言力があった。話から察するに彼女の祖父は奴から多額の借金をしていたのだろう。そして祖父が死んで初めて司の家族は知って、パニックになっているといったところだ。
先程まで司に同情的な態度を示していた女生徒たちも白禄の登場で距離を置き離れていく。彼の発言力の高さがうかがえる。
「何でもって……そんなこと約束できるわけ……。」
「あぁ?じゃあ借金を返すしかねぇなぁ?かわいそうに、祖父が残した神社も取り壊しだな。長く続いた伝統ある建物も、司ちゃんのせいでお終いかぁ。」
白禄の言葉に司は視線を落とす。彼女は実家の遺産に強い思い入れがあるようだった。神社という言葉に強く反応を示していた。
「奉条さん……福富くんの話受けてもいいんじゃない……?借金はとんでもない額なんでしょう?家を売り払っても返せない額なんて……たった一年間じゃない。」
彼女の悩みを聞いていた女生徒たちはまるで白禄を支持するかのように、司に話しかけていた。それは慰めではない。諦めを促しているだけだ。分かる。連中は、司のことなど本気で気にはかけていない。むしろ、人が破滅するのを楽しんでいる節もある。
何よりも簡単にできる解決方法があるのに、それを誰一人教えず、結果彼女が不幸になるのはどうしても見過ごせないし、胸糞悪かった。
俺は立ち上がり白禄と司、二人の間に入る。
「司さん、借金はどうしても返したいの?無しにする方法があったとしても?」
「なんだお前、突然話に入ってきて。」
不愉快そうに白禄は俺を睨みつける。だが無視して俺は司の目をじっと見つめた。返事をただ待つ。
「なにかあるの……?えっと……天理くんだっけ……?」
「ああ、つまるところ借金を引き継がなければいいんだ。」
俺の言葉に白禄は笑い出す。そして司もまたため息をついて残念そうな表情を浮かべた。
「おいおい、それって遺産を放棄するってことか?笑わせるなぁ?司ちゃん??」
馴れ馴れしく白禄は口角を歪めて、まるで勝ち誇ったかのように司へと話しかけた。そんな様子を見て司は不愉快そうな視線を送り、俺に目線を合わせる。
「遺産の相続放棄をすれば借金も返す必要はないという話でしょ?何度も聞いた……でもそれって祖父の神社もなくなるってことよね?借金の差し押さえで売却されて、取り壊されるの。知ってる?豊奉神社。都心一等地に位置してて、売却したらビルを建てるんだって。そんなの私、絶対嫌。先祖代々大切にしてたものなのに、私の代で終わるなんて耐えられない。」
彼女の実家は神社であり、由緒正しき歴史をもつものらしい。もっとも裕福というわけでもないし、平凡な家庭ではあるのだが……彼女にとって実家の神社は思い出の場所で、特別なものだった。それを失うのは、何よりも耐え難いことなのだ。
「はーこれだから人の気持ちがわからない陰キャは嫌だね、な?てなわけで司ちゃん、一年間だけで良いから楽しくやろうぜ?」
「いや神社は売却する必要ないし、借金も返す必要ないぞ?」
「は???」
白禄は呆気にとられたかのような間抜けな声をあげる。
「おいおい、お前頭は……。」
「そんな方法があるの!!?」
呆れたような、半分バカにしたような態度で白禄は口にしかけたところを被せるように、教室に響き渡るかのような大声で司は驚きの声をあげた。
「ああ、相続の限定承認を使えば良い。」
「限定商人……?」
商人ではなく承認である。俺は軽く微笑んで説明をした。
限定承認とは即ち、遺産を相続する際に資産となるもの、負債となるものを計上して、負債は全て精算した上で、その価値が余ったもののみを相続するというやり方である。
相続放棄とは異なり、部分的に引き継ぐことが可能な制度だ。
だが、俺の説明に納得がいかなかったのか、司の表情は深く沈んでいく。対照的に白禄は「ククク」と趣味の悪い笑い声を立てていた。
「あのね……天理くん……確かに土地や建物を売れば借金は減るかもしれない。でも聞いてなかったの?それじゃあ意味ないの。私は神社を守りたいって聞いてなかったの?」
彼女はすこし苛立ったようにそう答えた。
「やめてやれよ司ちゃん、そいつバカなんだよ。人の話なんも聞いてないでやんの。お前もう黙っとけよ、まじでうぜぇって自覚してくんね?」
そして白禄はヘラヘラと笑いながら俺に向けて暴言を放つ。まるでピエロを見るような視線だった。
「いや、神社は売らないで済むし、借金の返済義務もなくなるよ。」
「お前さ……マジでいい加減にしろよ。」
ついに我慢の限界が来たのか白禄は俺の胸ぐらを掴む。だがクラスの皆は止めようとしない。頭のおかしいやつがクラスの美人の気を引こうとしてる。そんな哀れみの表情だった。
だが俺は無視して言葉を続けた。
「限定承認を行う場合、その資産価値を計上する必要があるんだけども、宗教施設はその対象外だ。つまり借金返済を目的として神社を売却する必要はないんだよ。」
今にも殴りかかろうとした白禄の拳が止まる。
「加えて、司さんの実家は由緒正しき神社なのだから宗教法人として認められているんだろう?宗教法人には税制面で優遇措置がとられていて、その一つに相続税の免除がある。更に言えば神社の所有は司さんの祖父個人の所有ではなく宗教法人、即ち法人格の所有なわけで祖父の借金とは無関係だ。」
「てめぇそれ以上でたらめを言うんじゃねぇ!!」
白禄は俺の言葉を遮るかのように俺の顔面に拳を叩きつけた。吹き飛ばされ教室に転がる。
「天理くん!ひどい、なんてことを……ちょっと福富くん、なんてことをするの!!?」
司は俺に駆けつける。ハンカチを顔に当ててくれた。血が付着している。鼻血だろう。鼻血なんて出したのは久しぶりだ。
「つまり……相続の限定承認をすれば司さんのおじいちゃんの個人的な所有物……いわゆる神社に関する宗教施設全般は相続できるし、神社本体に至っては法的に事業継承を着々と済ませれば問題ないんだよ。司さん、あんた騙されてるよあいつに。」
騙されている。その言葉に顔を真っ赤にして白禄は叫んでいた。何を言っているのか聞き取りたくもないので無視をする。大事なのは司にその事実を知らせることだ。
「その言葉……信じていいの?悪いけど私、あなたのこと全然知らない。ただの高校生のあなたの言葉を信じる理由がないわ。」
当然の理屈だった。勿論その答えを俺は既に用意している。
「弁護士を紹介するよ。いい人を知っている。ああ、金はいらないよ。弁護士ってのは無料相談をしているところもあって、紹介するのはそういうところだから。」
「無料相談って、そんな親身には教えてくれないんじゃないの?」
それは誤解だ。弁護士の性格による。無料相談を一種の社会奉仕と考えている正義感の強い弁護士もいれば、宣伝活動の一環だと考えている者もいる。そもそもやる気がないなら無料相談なんてやらないのだ。
だが今回に至ってはそんな心配すら必要にない。
「司さん、はっきり言うけどね。今回の話は凄く低レベルな話なんだ。確かに無料相談は三十分間とか法律相談するには短すぎるけどね。今回に限って言えば弁護士は即答するよ。借金は払う必要がないってね。ついでにいえば弁護士すら必要がない。限定承認の手続きは行政書士に依頼すれば終わる。何なら俺がやろうか?」
「ふざけんな!でたらめばかり言ってんじゃあねぇぞ!!大体何なんだお前はよ、突然横から入ってきて調子こいてんじゃねぇぞ!!」
クラスメイトはざわつく。だがしかし皆、半信半疑だった。いや、クラスの立場から考えると白禄の言う事のほうが正しいに決まっている。そんな空気も流れ出す。
そんな空気を呼んだのか白禄はニヤリと笑い俺に向けて拳を振り上げた。
「いいや、彼の言うことは正しいよシロク。そうやって暴力的になるのはキミも知ってるからじゃないのか?」
その拳は振り上げられたところで止められた。
「誰だてめ……!」
白禄は怒りを露わにして振り返った。そこにはココネが立っていた。
「同じクラスだがこうして話すのは始めてかな?」
「藤原か……はっ没落令嬢がこの俺に媚びへつらうために転校でもしてきたのか?その心意気だけは買ってやるよ。守銭奴が、愛人にでもなりに来たのか?今や底辺も良いところだが、身体だけは上物だもんなぁ?」
下劣な物言いをしながら手を伸ばす白禄だったが、それをココネにはたかれる。一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに見下したような、小馬鹿にしたような表情を見せた。
「何もかも失っても……プライドだけは一丁前ってやつか?でも露骨だな、大方俺に気にかけてもらおうと、今もこうして間に入ったんだろ?素直になれよ藤原、外面だけは良いお前だ、今からでも媚びへつらえばマシな未来があるかもよ?」
「別に気にかけてもらおうと間に入ったわけでは……。」
「おっと!言わなくても分かるさ!勘違いしないでよねってやつだろ?ハハ、まぁそういう素直じゃないところもかわいさの一つ……ってやつか?だってそうだろ?お前がこんなゴミクズ……おっと失礼、天理みたいなやつを庇い立てする理由なんてないんだからなぁ!」
「彼は私の婚約者だよ?許婿の正論を支えるのは許嫁として当然のことじゃないか。」
白禄が固まる。クラスは静まり返った。俺も唖然とする。今、ココネはなんといった?
「あー……悪い。ちょっと聞き取れなかった。今なんて?」
「だーかーらー。天理は私の婚約者だよ。どいてくれないか奉条さん。ほら天理、あの間抜けに私たちのラブラブな関係を見せつけてやろうじゃないか。」
殴られた俺の介抱をしてくれていた司を無理やりどかしてココネは俺の前に立ち視線を合わせるようにしゃがみ込む。一体なにをするつもりなのか、問いかけようとしたその時だった。
唇と唇が重なる。驚きと戸惑いで胸が満たされる。彼女の髪の匂いや肌の感触、呼吸の音を感じる。金縛りにあったかのように身動き一つとることができず、まるで永遠に続くかのように思えた。





