運命の分かれ道
「そ、そういうこと……いや……どういうこと??」
経緯を説明したが美咲さんは理解できない様子だった。俺も説明しておいて理解できていないのだから仕方ない。ココネは頬を染めながらキッチンからお茶を出してきた。結局、ジャージ姿のままで美咲さんと対峙することになり、とても恥ずかしそうにしている。
「すいません、こんなだらしない格好で……それにこんな場所で。不愉快なようでしたら腹を割いてこの命もってお詫びします……。」
どこの鎌倉武士だお前は。
酷く緊張もしているようで、完全に自分のキャラを忘れているようだった。
「別に私は気にしないよ藤原さん。いい匂い、このお茶美味しい……。」
何気ない一言だったが、その言葉にココネは目を輝かせ微笑む。まるで初恋をした乙女のようだ。
「けど、どうして藤原さんの家なの?改めてお礼をしたいのに……天理くんのご両親にもちゃんと挨拶しようと思ってたのに。」
美咲さんがなぜここに来ることになったのか。それは単純なことだった。あのあと陸上部員たちと買い物を済ませた彼女は俺に連絡をとり、一連の話をきちんとした形で俺の両親含めてお礼を言いたかったということ。それなら俺は本当にお礼を伝えるべき相手を教えてあげるのが筋だと思ったのだ。そう、それがココネだ。俺はただ彼女に頼まれただけ。美咲さんを窮地から救い出したのは、ココネ以外の何者でもない。
だがココネからはお金の話は絶対にするなと言われている。それは俺も理解している。きっと美咲さんは、自分の窮地を救ったのがファンの遺産ではなく、目の前の少女が身銭を切ったことだと知ると、必ず自分を犠牲にしてでも返済すると言い出しかねないからだ。だから俺は慎重に言葉を選んだ。
「その……今回の話は偉そうなこと色々と言いましたけど、全部ココネが描いたものなんです。俺はただ彼女の指示で動いていただけ。だから、お礼を伝えるのは俺ではなくて、彼女なんです。」
「そうなんだ……ありがとうございます藤原さん!その……たまたま同じ学校だけども、今は教師としてではなくて、一人の人間としてお礼を伝えたいの。本当に、本当にありがとうございました。」
手を握る美咲さんに、ただただココネは顔を真っ赤にしていた。
「でもどうして?その……私、あなたとは初対面な気がするけど、どうしてそこまでしてくれるの?」
「何か美咲さんがアイドルしてたころに色々と元気づけられたらしいですよ?」
「ゴフッ!ゴホッ!ゴホゴホッ!!」
動揺し、飲みかけたお茶が気管支に入ったのか咳き込む。
「し、知ってたの……?」
落ち着きを取り戻した美咲さんはココネに尋ねるが、ココネは頬を染めて俯いたままなので俺が代わりに答える。美咲さんは俺の答えに深い溜息をついて観念したかのように話し始めた。
元々、アイドル活動なんてしたかったわけではないらしく、学校で友達と一緒に撮影した動画がたまたまマスコミの目に止まり、そこから電撃的にテレビデビューするようになったという。不幸なことに当時の友人は皆、乗り気で断るに断れない状況ができあがってしまい、結果アイドル活動を始めてしまうことになったとか。
それでもやるからには全力でと楽しんでいたのだが、段々とすれ違っていく友人との意識の差から、引退を決意し陸上に集中することになったのだ。
アイドルのときに稼いだお金は全て違約金で失い、結局残ったのはそんな活動記録だけだったという。だが今回はそれが幸いした。アイドルとしての立場は隠すが、華やかな陸上の実績に加えそういった芸能活動も高く評価され、こうして教師として即採用まで持っていったのだ。
「い、いやぁー……恥ずかしいなぁ……。私なんかにこんな……。」
「私なんか……じゃない。」
初めてココネは口を開いた。その表情からはいつもの凛々しく理知的な姿が戻っていた。
「私は姉さん……美咲さんの姿に勇気づけられたんです。誰もやれなかったことを堂々と、当然のようにする貴方を見て、こんな女性になりたいなって。だからどうか、そうやって卑下しないでください。今の貴方は見てられない。数年の歳月は人を変えるのに十分なのかもしれないけど、あのときの貴方はもっと、前を見ていた。皆に夢を与えていた。教師をするのなら、責任を持ってください。生徒の憧れを裏切らないで。」
真摯な言葉だった。それは咎めるというよりも、ただ純粋に願うものであった。かつて彼女は確かに美咲に救われたのだろう。それは美咲本人は覚えてはいない些細なこと。記憶にも残らないほどに当たり前のようにしたことだったのだろうが、それはココネにとって大きな出来事であり、人生観を変えるものだったのだ。
だからこそ今の、不甲斐ない態度は耐え難いのかもしれない。らしくない態度だと思いながらも、伝えたかったのだ。夢を与えられ変わった人がいるということを。
その言葉は美咲に強く響いたのか、表情が真剣なものになる。年を重ね忘れてしまった志。それをココネは訴えていた。決して忘れてはならない大切なものを、美咲は失いかけていた。
「……ごめんね、そうだよね。うん!と、なれば早速今日買った道具を使って……あはは、でもまさかまたこんな格好して走ることになるなんて思わなかったなぁ。」
陸上部員と話していた道具の話だろう。言葉とは裏腹に彼女は機嫌が良さそうだった。
ココネはそんな彼女を見て少し表情が和らいでいるように感じた。
美咲先生が陸上部のコーチを引き受けてから、少しだけ学校での日常に変化があった。陸上部といえば体育祭などで分かりやすく活躍する華形。クラスにも二、三人はいるようで、目が合えば挨拶を交わし、たまに世間話をする程度の関係性になった。
おかげでクラスには大分馴染めて浮いた存在からはマシにはなったのだが、やはりそれでも距離はあって、あくまで俺は美咲先生のおまけみたいな扱いだった。
「偽装婚約の話はクラスのみんなには話さないようにしよう。余計な混乱を招くだろうし。」
「あぁ分かった。私もクラスを掌握するのに時間かかりそうだしね。少し厄介な相手がいてね……。」
偽装婚約の話はクラスにバレないようにココネと約束をしたこともあってか、クラスでもココネは特に俺に対して話しかけようとはしない。今の問題は俺一人で解決しなくてはならないのだ。
机に突っ伏しながらどうすれば現状を打破できるのか。そんなことを考えていると女子の世間話が聞こえた。
「おじいちゃんが亡くなって……それで多額の借金があることが分かって……私もうどうしたら良いか……。」
クラスの女子が一人、泣きそうな声で友達に愚痴をこぼしている。彼女の名前は奉条司。
その髪は銀色で夜空のように深く、滑らかに流れ、整った顔はその煌めいた髪によって引き立っていた。透き通るような白い肌にくっきりとした瞳。彼女は、まるで絵画から飛び出したような美少女だった。ココネが転校してこなければ……いや転校してきた今でも双璧を為す存在であることは明白だった。事実、ココネも俺が司に視線を向けていたことに気づくと「あれは強敵だ」と呟きながら俺の足を踏みつけたことがある。同性でも認めるものなのだろう。
元々俺とは縁もない存在だった。確か記憶だと当初は清廉潔白で清楚さを感じさせる女生徒で学校でも人気があったのだが、途中で良くない噂のある連中とつるみだしたと聞いている。





