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矜持と理想

 天理は羅刹の背後をとる。手にはジーンズパンツ。ここCuteの商品であった。それを束ねて、バッグ越しに羅刹の首に絡ませる。そして、そのまま絞め上げた。


 「がっ……!ゴハッ!!がぁぁぁぁぁあああぁぁッッッ!!!」


 羅刹はジーンズパンツを掴む。しかし、とてつもない力だった。ありえないことだった。格闘技術で負けることならまだ良い。だが、だが……!

 今、羅刹は天理に完全に腕力勝負で負けているのだ。恐ろしい力で絞め上げられている。ただ純粋な、圧倒的暴力を羅刹を身をもって体感している。抵抗しようのない、ただ理不尽な力による武に……否!武ですらないこの首絞めに!

 バッグを掴む。首を締め上げるジーンズが掴めないのならば、まずは視界を奪うバッグを何とかする。思い切りそのバッグを引っ張る。圧倒的膂力により、バッグはメキメキと音を立てて引き裂かれた。視界が開けた。

 そして間髪入れず跳躍。更に回転。羅刹は格闘家である。素人の力任せの一撃に遅れをとるなど、ありえないのだ。あってはならないのだ!回転回し後ろ蹴り。首絞めなど関係ない。背後にいるのならば、そのまま無視して蹴りを叩き込むのだ。

 羅刹の蹴りは空を振る。天理は羅刹が回転した瞬間ただならぬ気配を感じ取り、距離をとったのだ。


 「ハァ……ハァ……タヌキめ……隠していたか実力を!!」


 構える。問題ない。この男の膂力は外見とは裏腹に自分より上。だが技術がない。ならば勝てる。ただの猛獣に負けるほど、総合格闘技は弱くは───。


 「ぜぇ……ぜぇ……蒼月……勝つぞ。」


 気づくと、後ろに血まみれの猛が立っていた。息を切らしながらも、猛は構える。このとき、初めて羅刹は戦慄した。前門の虎、後門の狼とはこのことか。今、自分は確実に追い込まれている。それも小手先ではない。小細工などではない。純然たる暴力そのものに。


 「来い羽虫どもッ!貴様らなんぞとは踏んだ場数が違うこと証明して見せようッ!!」


 羅刹は叫ぶ。戦いとは彼の矜持であった。故に許せぬのだ。無様な敗北は。そして同時に格闘家としての意地でもあった。積み重ねてきた鍛錬。それは決して否定されることなどあってはならない。

 羅刹は現状を分析、戦力を再認識する。天理と猛。危険なのは猛の方だ。膂力では自分が上回っているが、技術、反応全てにおいて自分より一つ次元が違う。技術とは、時に純粋な膂力を上回るもの。ましてやここはリングの上ではない。あらゆる搦め手が可能なストリートファイト。

 対して天理は信じがたいことに自分よりも膂力こそは上回るものの、技術はまるでない。反応も人並み。ならばいくらでも対策のしようがある。ただ力を振り回すだけの単細胞に負ける道理はないのだ。

 故に、狙うは天理。一対多の原則は、弱いものから確実に潰すこと。

 猛に最大限の注意を払いながら、天理へと視線を向ける。天理もまたそれに応えるように構えた。

 ───来る。またあの時の、重い一撃が。ライフルに貫かれたかのような、理外の一撃がくる。

 狙うはカウンター。一撃はなんとしても耐え抜く。全身の筋肉を集中し、天理の一撃に合わせて全力のカウンターを叩き込み、一撃で殺す。それが羅刹の作戦だった。


 「なに───」


 それは、一瞬のことだった。羅刹が己が作戦が過ちであったことに気がついた時には遅かった。今まで素人のような、獣のような動きだった天理が、突如流水のような構えを見せ、その右手を前方に突き出す。


 サクッ


 そんな音がしたような気がした。淀みなく、あまりにも自然に放たれた動き故に読めなかった天理のその一撃は、貫手突きであった。天理の手刀が、羅刹の胸部に突き刺さる。胸骨の隙間から心の臓を掴み取る。これは、この技は暗殺拳の一種。源流は中国拳法に通じる必殺拳。その一撃は心臓を停止させ、一撃で死に至らしめる。

 たばかっていた。羅刹は己が不覚を恥じた。今まで獣の如き振る舞いをしていたのは、全てこのため。武術を知らぬ素人と見せかけ、確実な一撃を決めるために。

 だがしかし、それは矛盾でもある。自分を上回る膂力。そしてそれに見合う武術。最初から、自分と正面から戦っていても負けることは無かったはずだ。なのに何故、あのような真似を、児戯を繰り返していたのか。


 「青木!!何故だ!!なぜあのような小娘が『天』の正体を知っていて、おれには何も知らされないのだ!!」


 これは、走馬灯だろうか。会議が終わり、自分は知らない『天』の素顔を、あろうことか新参者の愛華が知っていたことに激怒した俺は、青木に詰め寄っていた。


 「羅刹さん、あなたの実力は誰もが認めてますよ。ただですねぇ……その……愛華さんでしたっけ?彼女の言う事、正論なんですよ。」

 「貴様もあの小娘の味方をするというのかッ!何故だッ!答えろ青木ッッ!この際『天』のことはどうでもいい、何故なのか理由を言えッ!!」

 「『天』はですね、全てにおいてあなたより上なんですよ。他の六道衆は『天』にできないことが出来る。愛華さんなんて女性ですしもう役割が全然違います。けど、あなただけ『天』の完全下位互換なんですよ。だから『天』の素顔を知ると、きっとあなたはそれが認められなくて、勝てぬと分かっていても『天』に挑む。それは六道会にとっては大きな損失なのです。最初に言ったとおり、あなたの実力は認められているんですよ?」


 青木はそう淡々と答えた。

 最強だと思っていた自分が、実はただの井の中の蛙で、『天』はその上にいると。明言したのだ。


 自分は『天』の素顔を知らない。ただ分かることは、自分よりも格上の存在で、自分よりも才能に満ち溢れていて、自分がその存在を知ると強いコンプレックスを感じるということだけ。


 何故、蒼月天理は今になって本気を出してきたのか。舐めていた?いいや、彼の戦いぶりはいつだって本気だった。演技でもない。


 『彼は少し今ナイーヴなんです。今の彼はそんなセンチメンタルな気分なのです。温かく見守りましょう。』


 ふと、会議での青木の言葉を思い出した。彼とは『天』のこと。


 ──────二重人格。


 突如、人が変わったような武と暴を見せつける蒼月天理に、羅刹はその言葉を連想させた。


 「貴様……貴様は……ッ!貴様が天ッッ!!」


 心臓の鼓動が止まろうが関係ない。最早、意地であった。最後の力を振り絞り、胸を貫く右手を掴む。そしてその拳を振り上げた。六道会のため?違う。他の何者でもない。己自身の矜持のために、この男を否定したかった。


 「やれ、武颯猛ぶそうたける。」


 冷たい言葉だった。まるで冷えた氷柱を背中から突き刺したような。そんな冷淡な言葉。

 同時に凄まじい闘気を感じた。すぐ真横、避けるには……あまりにも遅い。


 「はあぁぁッッ!!」


 猛が叫びながら放った技は上段後ろ回し蹴り。足先、肘、腰、膝の各関節を基点に回転させ加速し、重心を乗せて放つ一撃。多種多様の蹴り技の中でも、圧倒的な威力を誇るとされるこの技は、一撃で脳を昏睡させる。

 羅刹は既に朦朧としていた。天理の手で心臓を一時的に停止させられ、完全に脱力している状態。彼がいかにその肉体を頑強なものにしていようとも、脱力した状態では無防備。

 それはまさに羅刹にとって死神の鎌のようなものであった。叩き込まれる。猛の一撃が羅刹の後頭部へ。鈍い音が響き渡り、羅刹の意識は絶たれた。

 前のめりに倒れる。巨人が堕ちた瞬間だった。


 「ぜぇ……ぜぇ……終わった……倒した……ぞ。」


 既に猛の身体は満身創痍。勝利の勝鬨をあげる余裕すらなかった。

 ふと猛は天理の様子がおかしいことに気がつく。瞳孔が定まっておらず、まるで正気がないようであった。突然の豹変には猛自身困惑を隠しきれないこともあってか、声をかけようと近づく。


 「蒼月……お前、大丈夫か?」


 猛は手を伸ばすが反応はない。やがて天理はふらつき地面へと倒れた。自分より余程疲れが溜まっていたのだろう。猛は倒れた天理に声をかける。


 「あぁ……何が、あったんだ……?体中が痛い……。」


 天理はまるで寝ぼけているかのように周囲を見渡し頭を抑えていた。どうやら意識を失ったのは一時的なことのようで、天理は猛が声をかけると意識を取り戻した。


 「終わった。このゲーム、俺たちの勝利だよ。蒼月。」


 おそらく記憶が混濁しているのだろう。猛は天理に向けて、この狂ったゲームの終わりを告げた。そして猛は天理に肩を貸す。長い夜は、こうして終わろうとしていた───。

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