夢で出会った男
羅刹と名乗った巨人は少しずつ俺に近づいてくる。それは確実な死だった。
死にたくない。今の俺は死に対して酷く恐怖感を抱いている。だってこのホテルには妻がいるから。もしかしたら妻は記憶を持っているかもしれない。死ぬわけにはいかないのだ。激痛に耐えて俺は身体を動かす。
「なん……とか……助かる手段は……。」
周囲を見渡す。武器になりそうなものはいくつかある。だがそれは棒切れのようなものばかりで、とてもではないがあの巨人に立ち向かうには心もとない。
そうこうしているうちに羅刹は俺の目の前にきていた。
「ブルーも巫山戯たことを。このような雑魚は我の望むものではない。死ね、凡夫。憤ッ!拾ァ!!」
その丸太のように太い脚から放たれる下段蹴り。それは死そのものであった。それはまるで大型トラックに轢かれる瞬間を思わせるほどの、絶望感。
周囲の構造物ごと粉砕し、火薬が炸裂したかのような衝撃音がフロアに響き渡る。パラパラと粉砕されたコンクリートが、砂利となって撒き散らかされ、砂煙が舞う。
羅刹は舌打ちをした。手応えがない。煙が晴れ、その理由がわかった。
「通気口……ッ!」
羅刹の一撃により著しく変形しているが、そこには人一人入れそうな通気口があった。追いかけようにも、変形した通気口に相まって羅刹の巨躯ではとても入れそうにない。
「はぁ……ッ!はぁ……はぁ……!」
通気口の先で俺は呼吸を整えていた。今も心臓がバクバクと脈打つ。死んでいた。今、俺は確実に死んでいたところを、助けられた。
「この通気口、ステン製だぞ……?あんな容易くぶち壊せるかぁ?どんなバケモンだよアレ。」
男は先ほどの様子を見て軽口を叩く。俺は知っている、この男を。どうしてここにいるのかは分からないが、とにかく助かったことに感謝する。
「ありがとう。えっと……その……。」
「ミカだ。本名はミシェル・ガブリエル。ミカって呼べ。ついてねぇなぁ兄ちゃん。」
そうだ、この男はミシェル・ガブリエル。悪夢で出会った俺の友人。実在していたのだ。それは何を意味するのか、俺は少し混乱したが今はそれどころではない。
「青木とかいう配信者がデスゲームを始めたんだ。いや、それよりどうしてここに……。」
「知ってる。このフロアにも放送が響いてたからな。実況するつもりだろアレ。俺がここにいるのは……クハハ、ひねくれモンでなぁ、火災警報出たとき無視してたんだわ。」
ミカは笑いながらそう答えた。夢の彼は電子戦が得意だった。この状況を覆す何か方法があるかもしれない。
「何とかする?なにいってんだ、ここに潜んでりゃ良いだろ。あんなバケモンと真正面からやり合う必要あるか?」
俺の提案はミカに速攻で拒否された。だが言われてみればそのとおりだ。あんな怪物と真正面からやりあうよりも逃げ回ればいずれ警察がくる。その時がくれば終わりだ。ミカの言うことは間違いなく正論だ。
だが、そんなことをあの青木という男は許すだろうか。何か嫌な予感がした。俺は全神経を集中させる。まだ緊張の糸を切ってはならない。何か、何かまずい気がする。ここにいるのは───。
そのとき、風が吹いた。少し生暖かい湿った風。その風の中に感じた違和感。もしも神経をとがらせていなければ気づかなかったかもしれない不調和。匂いがした。この匂いは。
「ミカッ!!こっちだ逃げるぞ!!」
急いで近くの昇降口から飛び降りた。瞬間、空気が爆発した。通気口が一瞬にして炎に包まれる。
もしもあのままあそこにいれば、確実に死んでいた。ミカは愕然としていた。意味不明な事態に。
「な、なんだありゃあ!火炎放射器でも使ったのか!?」
「ガソリンだ、揮発したガソリンを通気口に送り込んで一気に着火したんだよ。」
「ガソリン……言われてみるとそんな匂いがしたような……送風機でも使ったのか?ただそうか……そういうのもあるのか。」
「そういうのって何だ?」
意味深なことをつぶやくミカに俺は尋ねる。
「あぁ、来る途中にバッグがいくつか置かれてあったんだ。中身はほら、こんなのだ。」
ミカが俺に見せたのはスタンガンやタクティカルペン、水鉄砲などだった。
「ホテルのもの……じゃないよな。ということは青木が用意したものか。」
青木はこれをゲームといっていた。これがゲームとしての要素の一つということか。あのような化け物を相手するのに素手では盛り上がらない。武器をあえて与えることで視聴者を興奮させるつもりなのだ。
『おっと、ようやくボーナスアイテムに気がついたようですね嬉しいです。』
そしてアナウンスが聞こえた。青木の声だ。予想通り、バッグは青木が用意したもの。これを使って抵抗しろというのだ。だが使用できるのはこちらだけではない。羅刹もまた同じように使用してくるという。早いもの勝ちというわけだ。
『しかし困りましたね……一人のつもりがノイズがちらほらと……まぁ良いでしょう!生放送にトラブルはつきもの!飛び入り参加は認めますよ、頑張ってくださいねぇ?』
ミカの存在にも青木は気づいたようだった。
「いや……今の言い方は……。」
「気がついたか。どうやら複数人、このフロアにはいるみたいだ。まずは仲間探しと行こうじゃねぇか、ええと……。」
ミカは言いよどむ。そうだ、俺はミカを知っているがミカは俺のことを知らない。夢と現実をごっちゃにしていた。
「天理。蒼月天理だ。よろしく頼むよミカ。」
「OK蒼月、短い間かもしれねぇが、一緒にこのふざけたゲームをクリアしようじゃねぇか。」
ミカはそう言って笑みを浮かべながら手を差し出した。俺はその手を握る。共闘し、あのバケモノを、羅刹をどうにかして無力化する。それが俺たちの共通目的だった。
───おかしい。何かがおかしい。
青木は平静を装いながらも違和感を感じていた。
なぜ自分は、蒼月天理を指名したのだろう。蒼月天理……誰だっけこいつ?記憶が朧げで喉まで出かかっている感覚。生放送の最初なのだから芸能人とかの方が盛り上がってたはずだ。最初の犠牲者はショッキングな方が視聴受けは良い。
なのにどうしてあんな平凡な男子高校生を選んだのか、自分で自分が理解できていなかった。
それにモニターに映るミカという男。これもまたイレギュラーだ。一対一の予定だった。でないとコントロールが難しい。羅刹が負けることはありえないが、エンタメとしてあまり面白くない。一対多をするならば、場が盛り上がってきたところでやるもので初っ端からするものではない。
違和感、違和感、違和感……。だが視聴者数は増えてきている。目論見は順調だ。ならば問題はない。
そう結論づけて、青木は実況を続けた。フロアに設置したいくつもの隠しカメラ。それらを操作して、最高の瞬間を抑えるのだ。
「あー……羅刹くん。逃したのは仕方ない。ただそろそろ急ぎたまえ、視聴者に飽きが来る前に、一人くらいは殺してより刺激を与えないとね。」
マイク越しに羅刹へと指示を送る。位置情報までは教えない。羅刹にはリアルを演じてもらいたいからだ。奴は役者ではない。故に台本があると陳腐なものになる。羅刹のような暴力の化身が本気で人を殺すために探し回ることが、リアリティとエンタメを生むものだと考えて───。





