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新任教師

 ───体育の授業が始まろうとしていた。体操服に着替えてグラウンドに向かっていた。今日は最初だけ男女集まるということらしい。なんでも新任の体育教師を紹介するということだ。

 転校生に新任教師。今日は真新しいイベントで盛りだくさんだ。もっとも男子連中はそんなこと微塵も興味がなく、ココネに視線を向けていた。ココネは一月と言っていたが、もう何人か落ちているのが明白だ。


 「今月から新任の鈴木美咲といいます。この学校の卒業生です。陸上競技は自信があるので、皆さん仲良くしてくださいね。」


 また聞き覚えのある名前と声が聞こえた。俺が前を向くとそこには美咲さんがいて目が合う。軽く手を振ってきた。

 幻覚だろう。幻聴だろう。俺は現実逃避して彼女を無視した。今日は情報量が多すぎる。挨拶が終わると男女分かれて授業が始まる。俺は授業に集中することにしたのだ。


 「ちょっと!何で無視するの!?わたし手を振ったのに!!」


 体育の授業が終わると美咲さんは俺に真っ先に向かって駆け寄り抗議の声をぶつけた。何事かと周囲の視線が集中する。一番何事だと思いたいのは俺自身だというのに。


 「な、なんで……なんでみさ……鈴木先生までこんなところにいるんです?」

 「せっかくだから教師になることにしたの。言ってなかった?私、ここの卒業生。未来ある若者を導く聖職……!やりがいがあると思わない?」


 そんな話はまるで聞いていない。それよりも彼女は短大生のはずだ。高校教諭になるには四年生大学を卒業するのが必須で更に半年近い採用試験を突破して初めて教師という立場になれるはずだ。

 そんな俺の疑問を彼女は見透かしていたのか得意げな顔で答える。


 「フフン、特別免許を知らないのかな?」

 「特別免許!?……陸上、卒業生……そうかその手があったか。」


 特別免許とは通常の教員免許とは別枠で設けられるものだ。民間等で優秀な成績を残したものを教員として迎える制度のことで、特別免許による採用は通常の試験スケジュールと異なり短期的なものも少なくはない。

 彼女は陸上競技に自信があると先程の自己紹介で言っていた。想像するに陸上競技で華やかな記録を保有しているのだ。加えてこの学校の卒業生。採用は恐ろしくスムーズだったに違いない……!


 「理解早くない?ちぇっ……せっかくマウント取れたと思ったのに。」

 「いやしかし……それじゃあ鈴木先生はどんな功績で特別免許を取ったんですか?」

 「インターハイ女子1500優勝と短大の頃に東京女子マラソン3位かなぁ。」


 化け物じゃないか。

 ああ化け物は失礼だ。超がつくほどのエリートアスリートだった。だが俺には疑問が湧いた。シンプルな疑問だった。


 「何でそんな華やかな経歴を持っていてあんな会社に……?」


 陸上競技に力を入れている法人は少なくはない。広告塔として彼女を雇う会社はたくさんいるだろう。そんな俺の疑問に彼女は真面目な顔で答えた。


 「私は走るのが好きだから陸上を始めたの。それをお金儲けに使いたくないだけ。穢れるような気がしたから。実際スカウトはたくさん来たけど全部断っちゃったの。今思うと……うーん……やっぱり今でも間違いないと思ってるかな。」


 まっすぐな目でそう答えた。眩しすぎる。俺にはとても彼女の理想というか精神性が眩しすぎて直視できなかった。

 そしてそんな会話を聞いてか黙ってみていた周辺の人たちは騒ぎ出した。


 「すげぇ先生インターハイ出てたの!?」

 「今の話、感動しました!」

 「今度、私に教えてください!顧問もしてくれるんですよね!?」


 俺の存在などまるで無いかのように、沢山の人が詰め寄る。ぎゅうぎゅう詰めだった。俺は何とか、そんな人の群れをかき分けて抜け出して……ため息をついて後にした。

 当然のことだが、俺の知っているこの高校にそんな凄い経歴の女体育教師はいなかった。言うならば、俺が彼女の人生を変えたことで、少しずつ、運命もまた変わってきているのだ。

 あまり派手に動きすぎると、まったく知らない未来へと変わり未来の知識が意味をなさなくなる。気をつけなくてはならないことだと自覚した。少なくとも、学校に関する未来は、彼女の登場によって変わってしまった。もう予想がつかない。


 美咲先生はすぐに学校のみんなと打ち解けた。年が近いというのもあるのだろうが、何よりも華やかな功績、そしてそれをひけらかそうとしない性格。好かれないのがおかしい。初めて出会った時、歩道橋で身を投げようとしていた彼女がまるで嘘のようだった。

 ココネはずっと放心状態だった。憧れの人がすぐそこにいるというのに、クラスメイトが声をかけても曖昧な返事をするだけで心ここにあらずといった様子だ。てっきりココネが何かしたのかと思っていたが、彼女も美咲さんが来ることは知らなかったようだ。

 しかし美咲さんは彼女の存在に気がついているとは思うのだが、特に会話もない。ココネの一方的な思い入れなのだろうか。


 ───学校のグラウンドは吹奏楽部の練習している楽器の音が聞こえたり、掛け声をあげて部活動に精を出している生徒たちの声。この時間には殆ど縁のない場所だったが、今となっては懐かしい光景。俺はコーチを引き受けることになったからと、何故か美咲さんに連れてこられていた。


 「そういえば天理くんは部活に入らないの?そうだ、陸上部に入ればいいんだ!ね?いい案じゃない?」


 丁重に断った。走ることは好きじゃないし、疲れるだけで非生産的だ。健康維持のための運動なら部活動でやる必要はないし、青春の場としてだって部活動以外にもたくさんある。

 そんな俺の答えに彼女は肩を落としてがっくりと残念そうな態度を見せる。


 「先生、それで部活動の時間なんですけど……。」


 部員たちとスケジュールの確認が始まる。部活動というのは基本的に日が暮れるまで。土日祝も当然出るのだろう。俺が働いていた環境に比べると温いものだなと今は思う。それは美咲さんも同じだろうか。


 「……あ!ごめん天理くん!ちょっと長くなりそうだから先に帰ってて!……あ。」


 完全に気が抜けていたのだろう。途中で失言に気が付き口を手で覆う。どうやら俺は美咲さんと一緒に帰る予定だったようだ。初耳だ。退職後の手続きか何かで相談事でもあったのだろうか。


 「先に帰ってて……?先生、天理くんと一緒に帰る予定だったんですか?そもそも何で一緒にいるんです?何かあるんですか?」


 考える時間も与えてくれず、生徒の一人が疑問を浮かべる。ここで答えるのに間があくと邪推されるのは明白だった。経緯を話すのは抵抗があった。遺産相続の話からしなくてはならないのだが、それ自体が嘘であまり人に話すとぼろが出そうだからだ。


 「実はその、恥ずかしいから隠してたけど美咲先生と俺は幼馴染なんだ。そうでしょう先生?」


 だからもっと簡単な嘘でごまかすことにした。美咲さんからしても、あまり話したくないことだろうし、彼女の反応に賭けた。突然の俺の捏造した関係に「え!?」と素の反応を一瞬見せたがすぐに気を取り直して同調する。


 「そうそう!昔はりーくん、みーねぇみたいな関係だったんだよねぇ、いやぁ懐かしいなぁ。」


 そういって俺の頭を掴み胸元に抱き寄せてくる。まさかそこまでフランクにやるとは思わなかった。


 「そうだったんですか……幼馴染だからなら確かに親しげなのも……。」


 だがそんな過剰とも言える演技が功を奏したのか、女生徒は納得いったようだが、残念な表情を浮かべ呟く。


 「それで美咲先生からコーチのことを相談受けてたんだ。今日から学校に新任するけどって……ただ久しぶりで陸上関係の道具がなくて買い物に誘われてたんだ!いやぁいくら幼馴染だからって生徒を荷物持ちに使うなんて酷いよなぁ!」


 あとは苦肉の策だった。そもそも必要な道具があるなら事前に買うのが当たり前で、新任当日に買いに行くのは変だ。そこを突っ込まれないことを祈りつつ勢いでごまかすのだ……!


 「え……?先生はすでにジャージも着てるしランシュも履いてますよね。それ新品でしょう?色で分かりますもん。」


 色でわかるのか。確かに美咲さんの足元を見るとピカピカの靴を履いている。ジャージも新品特有の輝き。とてもじゃないが新しく必要だとは思えない。どうすれば良いんだ。俺は脳をフル回転させるが知識が足りない。そもそも陸上の知識なんてさっぱりだ!


 「もしかして……レーシンググッズを揃えるつもりだったんですか!?うわぁぁ!!是非!是非みたいです!!インターハイの走り!!私たちのためにそこまでするつもりだったなんて……!」


 俺の予想とは裏腹に女生徒たちは勝手に盛り上がり、黄色い歓声をあげる。彼女たちはかなり興奮しているみたいで話したこともない俺に、喜々と説明してくれた。

 よく分からないが、陸上競技というのは専用の道具がそれなりにあるようで、美咲さんが今、着用しているのはあくまでトレーニングに使う汎用的なものらしい。

 無論、大会に向けて普段から使用し身体に慣らす必要があるのだが、そもそも大会に出ない顧問などはそこまで揃える必要はないのだ。これは別に陸上に限った話ではなく、大会で記録を出そうというのなら、いい道具は必要不可欠だということだ。


 「じゃあさ天理くん、先生の道具は私たちがついていくから大丈夫だよ。大体、あなた男性なんだからサイズとかわからないでしょ。それとも……私たちと一緒に行く?」


 女生徒数名プラス女教師の集団に一人……。考えるだけで空気の読めなさが強い。


 「ま、まさか。女性同士でしかできないこともあるし、先生との買い物は任せるよ。」


 俺の言葉に女生徒は「ごめんね、ありがとう!」と笑みを浮かべて、またよくわからない専門用語で盛り上がる。

 勝手に話がまとまって、勝手に蚊帳の外になった。

 望ましい流れではあった。ともかく先程の失言は納得してくれたようだし、美咲さん本人も悪い気はしていないようだ。ならばと、俺は別れの挨拶を美咲さんと取り囲んでいる女生徒たちにして、この場を立ち去った。彼女らは上機嫌に挨拶を返してくれた。


 「そういえば何気に今のが、時間逆行して初めてマトモに生徒と話した気がするな……。」


 心臓に悪いことも多々あったが、学生らしい会話をしたことを実感しながら、帰路についた。スマホが震える。メッセージだ。送信者は……ココネ。

 そういえば、ココネを途中から見かけていない。てっきり大勢のクラスメイトに囲まれリア充ライフを送っているのかと思いきや、まだ下校していなかったようだった。待ち合わせの空き教室へと向かう。


 「まったく酷いじゃないか。フィアンセを待たせて一人で帰るなんて。」


 教室の戸を開けると彼女は一人、茜色に染まる教室で机の上に腰掛けていた。少し不機嫌そうに眉をひそめる。

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