稀代の巫女
「えっと……奉条司と言います。今日は学校の行事で来ました、よろしくお願いします。」
明らかに他の参加者と違う素人感。当然だ、彼女は普通の女子高生だ。他の参加者たちの冷ややかな視線が痛い。野次が飛んだ。ここにきて完全に素人の参加者が来て、観客も好奇の視線を送っている。
「巫女さんなんだろー?神楽とかできねぇのか?」「巫女っぽい水着とかなかったのかー!?」
司の水着姿は先ほど見たショートパンツタイプの水着ではなかった。白を基調としたビキニタイプの水着。覚えがあった。一緒に水着を選んだ時、彼女が恥ずかしそうに着ていた水着だ。見ると司は頬を染めていた。本当は今も恥ずかしくて逃げ出したい気持ちで一杯なのだろう。
野次にしどろもどろしながらも、律儀に彼女はそれに答えていた。健気ではあるが、それは観客の心を掴むわけではなく、むしろ笑いものにされているようだった。
観客の嘲笑はまだ良い。こういう場なのだから想像に容易いことだった。だが、俺が我慢できなかったのは彼女に薄ら笑いを浮かべる同じ参加者たちだった。酷く見下したような態度で、それが俺は気に入らなかった。同じ舞台で、例えライバルとなりうる相手であろうと、敬意を払うことをしない、そんな態度が無性に腹立たしかった。
「気にするな!いつもどおりで良いんだ!普段どおりでやれば、そんな連中相手じゃないさ!!」
気がつくと俺は叫んでいた。その声が届いたのか、司は俺の方を向いた。目があった。気がついたのだ、俺が見ていることに。失敗したかもしれないと後悔した。知人に見られるのは、もしかしたら下手に緊張を大きくするだけかもしれないと。
「えっと……それじゃあ奉条さん、何か自己PRはないかな?参加動機とかでもいいよ。」
進行役の女性が司にマイクを向ける。司の目にはもう迷いはなかった。頬を染めて恥ずかしそうに少し身体を丸めていた彼女はそこにはいなかった。
「私、好きな人がいるんです。」
突然のカミングアウトに観客は騒然とする。進行役も少し焦った様子だった。
「本当は水着コンテストに興味なかったんです。でも今は違う。その人は今も凄く苦しんでいて、私のことなんか眼中になくて、心のなかでは別の女の人で占められていて、ずっとずっと、悲しいことを忘れられないで囚われ続けているんです。」
そう言って、司はバツの悪いような微笑みを浮かべた。
それは俺が前、司に話したことだった。元カノ……いいや妻のことだ。
観客たちは静まり返った。司の言葉はまるで夜の森に響き渡るオルゴールのように夢幻的で、いつの間にか闇を照らす月のように人々の心を奪っていた。観客たちはいつの間にか、言葉を失いただ黙って司の言葉に耳を傾けていた。
「今の私はまだその女の人には及ばない。でもいつかきっと、その人の代わりになる日が来ると信じて、いつか私を見てくれる日が来ると信じて参加を決めました。だって、いつまでも悲しいことに縛られ続けるなんて、絶対に間違ってるから!だから……。」
───だから。違う未来も考えるのも大事だと、彼女は言いたいのだろう。血塗られた未来、復讐という妄執に囚われ続ける人生。それはきっと、とても哀しくて、救われない物語。幸福、幸せに生きることを選ぶこともできると、彼女は手を差し伸べているのだろう。
それは、それは……俺みたいな人間にはとても勿体ないくらいの慈愛だった。恋心とか関係なく、人を慈しむ心。
「……凄く個人的なことで申し訳ないですけどね。私は他の参加者と違って大層な目的もないです。ただその人のためだけに出てきました。ワガママな話です。」
最後にもう一度、司は観客たちに笑みを浮かべて、ペコリと頭を下げて、ステージから下りていった。複雑な笑顔だった。太陽や星の輝きのような笑顔ではなく、例えるならばそれは、一輪の花。荒野に咲いた、名もなき花であった。
進行役は唖然としていた。忘れていたのだ。司に与えられていたステージに立つ時間が既に過ぎていたことに、他の参加者から指摘されて初めて気がつく。
観客は静まり返っていた。完全に呑み込まれていた。最初のあどけない表情、多少容姿は良くともそこらの少女と変わらない彼女が打って変わって別人のように、垣間見せた神秘性に息を呑んでいた。
たった一人に向けられた慈愛。水着コンテストとはまるで対極的な振る舞いをした彼女が、観客にとっては強く印象に残り、そして同時にそんな慈しみ深い、他の参加者にはない聖母の如き振る舞いが、心に深く突き刺さる。
同時に彼らを蝕む罪悪感。理屈ではなかった。司の言葉、仕草、その一挙一動は、皆の心にまるで大樹の根のように深く根付いていた。己が恥、醜さを見てしまったように、酷い後悔に満たされる。
そして同時に、それに気づかせてくれた彼女に対して、愛が芽生える。それは性別を超えた感情。心酔。無条件的絶対愛。ただ彼女の助けになりたいと願う、打算のない愛だった。
進行役の女性が慌てながら次の女性参加者を呼ぶ。だがもう歓声は上がらなかった。皆、余韻に浸っていたのだ。
司は神道政策連合でアイドルのようにあがめられている。それは決して狙って得た立場ではない。天性の所作、振る舞い、その全てがまるで人を惹きつけるのだ。まるでそれは救いを求め教えを乞う殉教者たちのように。
アイドルの語源は神の偶像という説がある。実体のないカリスマ。ただそこにいるだけで、他者を惹きつける正体不明の何か。司は巫女として、その才覚が群を抜いていた。天賦の才とも呼べるその力。それは現代でいう、アイドルとして天才的な才能を無自覚に振る舞っていることになる。
「……決まったな。知られてしまった、司さまの本質が。」
神宮寺はそう呟く。彼が危惧していたのは決して司が水着コンテストで恥をかくことではない。むしろ逆だ。その強すぎるカリスマが表に出ることを防ぎたかったのだ。
背を向けて神宮寺は会場から離れていく。
「どこに行くんです?」
「既に勝負は見えた。分かっていた勝負だ。凡夫は天才に敵わん。同情するよ、司さまと比較されることになった、一般人連中をな……あぁそうだ。これを渡しておこうか。」
神宮寺は上着のポケットから名刺を取り出す。携帯電話番号が書かれていた。
「これから今以上に司さまの身に色々と面倒が起きるかもしれん。その時は迷いなく俺を呼べ。お前のためには働かないが、司さまが危機ならば俺がいかなる手を使ってでもその障害を叩き潰してやろう。念を押して言うが、お前のためには働かないからな。くだらん用で呼んだらお前を殺すぞ。」
そう言い残して神宮寺は立ち去る。風のように。
水着コンテストの女性部門はその後も続き、投票が始まった。神宮寺の発言どおり、司が圧倒的大差をつけて優勝した。
優勝者はステージに登り愛華とのツーショットをとることになっている。満を持してステージに水着姿の愛華がやってきた。愛嬌のある笑顔で観客に手を振った。観客の一部はそれに応えて歓声をあげる。だがそこまでだ。何かがおかしい。それは愛華自身が違和感に気がついていた。
そして司が改めてやってくる。先ほどの凛々しい態度からうってかわって、また最初に登場したときと同じように、拙い態度で緊張を見せながら。しかし観客の態度は今度は違っていた。
「頑張れー!」「ファンになったぞ!」「俺たち皆、あんたに投票したぞ!」
それは老若男女問わず、司への労いの言葉だった。明らかに愛華よりも観客の盛り上がりが違う。予想外の展開に、進行役は戸惑っていた。
「へぇ~貴方が女性部門の優勝者さん?どこの子なんだろう?プロが多いって聞くけど、うーん?何か素人さんっぽいなぁ……?」
愛華はじっと司を見つめる。吟味しているのだ。今後の商売敵に。だがそれは違う。司はただの一般人だ。アイドル何かでは決してない。
「はい、株式会社ブルーハートが運営する芸能事務所アリードに所属してます。はじめまして愛華さん。」
───なにを、言っているんだ?
なんてことを、司は堂々と言い放った。





