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あやかし隠し  作者: ISTORIA
第三話 波乱の祭事
8/8

波乱の祭事:下


 冷たい空気が肌を刺す。悪寒が肌を這うように全身を巡り、不快感が込み上げる。

 それ以上に声を出せないほどの痛みが体の奥を(むしば)み、呼吸すらままならない。

 意識を手放したくても、どういうことか気を失うこともできない。痛みのせいだと思うが、体温を奪う感覚に〝違う〟のだと本能が(ささや)く。


「どお? あのお方から授かった殺生石(せっしょうせき)の味、素敵でしょぉ?」


 聞き覚えのある、神経を逆撫(さかな)でする甘い声。


 身を守るために体を起こしたくても、指一本も動かせない。

 正しい呼吸の仕方さえ忘れてしまったような苦しさに焦燥感を抱えていると、突如として頭に強い衝撃が走った。

 痛みと振動で、鈴音に〝蹴られた〟のだと察した。


「キャハハハハハ! いい気味ぃ! 不細工な小娘の分際でぇ、あのお方の隣に立とうなんて烏滸(おこ)がましいのよ!」


 腹部への衝撃により体が転がる。

 一瞬だけ呼吸が止まった。まともに呼吸ができない今では致命的な攻撃だ。

 鈴音は無抵抗の美琴を黒い駒下駄(こまげた)で何度も蹴り、頭を踏みつける。

 血が流れるほどの痛みを感じるが、それ以上の痛みが体の芯を(おか)す。


(せっしょう、せき……って……)


 思考がままならない中、頭の(すみ)に何かが引っかかる。

 どこかで聞いたことがあるのに、苦痛のせいで思い出せない。

 必死に思い出そうとしていると、鈴音は上機嫌に語った。


「あのお方は、玉藻前様の亡骸の一部とされる殺生石をお与えくださったのぉ。あの陰陽師をおびき寄せるためにねぇ?」


(おん、みょ……じ……?)


 陰陽師とは誰のことだろう。

 ぼんやりとする思考の中で、鈴音は嘲笑(あざわら)う。


「よかったわねぇ? あの男はあんたを助けに来る。あんたのせいで、あの男は死ぬのよぉ」


(あの……おと、こ……? たす、け……?)


 鈴音の言葉が理解できない。

 自分を助けてくれる陰陽師とは誰なのか。今までそんな陰陽師はいなかったのに。


 ……いや、一人だけ知っている。


 人間社会を知るために入学した学校で起きた危機から救ってくれた少年が一人。

 肝試しの夜も、オカルト研究部の部員達も、学校で鈴音の罠にかかった時も。


(……はる……ま……さ……?)


 安倍晴政。一学年上の、美しい少年。美琴を何度も救ってくれた陰陽師。


「どぉ? 自分のせいで、あの男が死ぬなんてぇ。嬉しい? 嬉しいわよねぇ?」


(し……? あの……ひと……が……?)


 陰陽師として一流の実力を持ち、何度も美琴を助けてくれた。

 安心するほど頼もしくて、とても強い人。

 そんな晴政が、美琴が原因で死ぬ。自分のせいで、鈴音に殺される。


(……う、そ……)


 今まで見てきたどの陰陽師より強い晴政が死ぬわけがない。

 だが、人質に囚われている美琴を利用されるとどうなるのか。

 きっと晴政は、美琴が傷つくことを(いと)う。美琴のために無抵抗のまま殺されるだろう。

 最悪の現実が脳裏に過り、自分が死ぬ以上の恐怖が込み上げた。


(い……いや……っ)


 今まで助けてくれた晴政のことだ。今まで通り助けにくるはず。

 しかし、今までと違って助けを求められない。助けに来れば、美琴を利用して鈴音に殺されてしまう。


(こな……い……でっ……!)


 この瞬間、初めて助けに来てほしくないと願った。


「さあ……あの男が釣れるまで遊びましょうねぇ!」


 鈴音の手に妖火が生み出される。


 きっと火傷では済まされないだろう熱気に恐怖を(あお)られる。

 しかし、今の美琴は逃げる(すべ)がない。

 心の奥底で助けを求めた瞬間、脳裏に浮かんだのは晴政の笑顔。


(――ああ。やっぱり……わたし、は……)


 理性は助けに来ることを拒んでも、どうしても心は晴政を求めてしまう。

 その理由を自覚しているからこそ、込み上げる悲壮感に涙が溢れた。


「ギャアァァ!」


 突如として鈴音の悲鳴が聞こえた。

 妖火で美琴を傷つけようとしたはずなのに、どうして鈴音が断末魔を上げるのか。


「――〝(ばく)〟!」


 直後に聞こえた、鋭い一声。

 何かが倒れる音の後、駆け足で近づく足音に心臓が跳ねる。


「美琴……!」


 まさか、そんなわけがない。

 心では否定するのに、声が、匂いが、温もりが、彼の存在を肯定(こうてい)する。

 体を包み込む力に安心感を覚えて、美琴の眦から涙がこぼれた。



     ◇  ◆  ◇  ◆



「美琴……!」


 夏季休暇前に渡した自作のお守りの気配を辿り、稲荷大明神の導きを()て異界へたどり着いた晴政は、頭から血を流す美琴の痛ましい姿に心が痛む。

 駆けつけた時には、(すで)に鈴音が妖火で美琴を傷つけようとしていた。それを(はば)み、跳ね返したのは自作のお守りの効力のおかげ。

 まさか自分が放った攻撃が返ってくるとは思わなかった鈴音は火達磨(ひだるま)になったが、肌に火傷を負う程度で済んでいる様子から、本気の攻撃ではなかったのだと察する。


 怒りが込み上げるが、美琴の着物の合わせ目から覗く〝異物〟が視界に入った途端、血の気が引く。


「これ、は……!?」

「――殺生石よぉ」


 地面に転がる鈴音は、身動きの取れない体で晴政に告げる。

 痛みにより(にご)った声が、愉快そうに(わら)う。


「あのお方から頂戴した殺生石を埋め込んでやったわぁ。その小娘、あと一日ももたないわよぉ?」


 憎悪を(たた)えた血走った眼で、神経を逆撫でする声で、晴政を挑発する。

 このまま晴政の攻撃を受ければ、施術者である鈴音を通して、殺生石を埋め込まれた美琴にも傷を与えられる。運が良ければ命を摘みとれるように呪術を施したのだ。


(さあ、早く攻撃しなさい。その瞬間がアンタの絶望よ……!)


 守りたい者が、自分の手で傷つくのだ。晴政の絶望に歪む顔を(おが)むまで、鈴音は彼の精神を煽ろうとした。


 ――しかし、晴政は鈴音を一瞥(いちべつ)もしない。美琴を見つめ、何やら呟いている。


「……? 何言って……!?」


 ドクリ、心臓に痛みが走る。

 嫌な音を立てた鼓動(こどう)に思わず手を動かす。

 いつの間にか縛魔(ばくま)の術が解けていたが、それ以上に嫌な予感が頭の中を()める。


 恐る恐る胸部に触れると、指先に違和感を覚えた。

 硬く冷たい感触。嫌な予感が加速し、自身の胸元を見る。

 そこには、美琴に埋め込んだはずの殺生石が――。


「ひっ!?」


 激痛より混乱が先立ち、引きつった声をあげた。

 鈴音の反応に成功したのだと悟った晴政は安堵の吐息を漏らし、冷え切った酷薄(こくはく)な眼差しを向ける。


「忘れたのか。俺が呪詛返しの術を使えるって。施術者に呪物を返す術だって、使えてもおかしくないだろう」


 淡々と語る晴政は、美琴を抱えて鈴音へ向く。

 今の美琴は重厚な着物姿。片手で抱き上げるのは難しい。

 片手だけでも空けるために膝に乗せ、危害を加えられないように抱え込む。


「前回のように逃げられると思うな。お前はここで調伏(ちょうぶく)する」


 二度と美琴を傷つけないために、抹消する。


「や、やめて……! 助けてぇ……!」


 鈴音は恐怖に染まった震える声で助けを()う。

 今は(みじ)めな姿だが、見目の好い鈴音は自分自身の武器を知っている。

 庇護欲を誘う美貌で涙すれば、大抵の男は隙を作るほど(だま)されてきた。

 だが、それは悪手(あくしゅ)だ。晴政は彼女の甘い思考回路に、より一層殺意が湧く。


「ここまで美琴を傷つけて何を言っているんだ? 傷つける覚悟があるなら、やり返される覚悟も当然あるよな?」

「ヒィッ!」


 冷徹に告げると、鈴音は悲鳴を上げる。

 這いつくばって逃げようとするが、殺生石による苦痛で動きが鈍い。

 今のうちに――


「ほう。なかなかやるではないか」


 真言を唱えかけた直前、謎の男の声が聞こえた。

 重苦しい殺気と邪気に危機感を覚え、咄嗟(とっさ)に護符を刀印に挟んで結界を張る。

 直後、漆黒の闇が襲いかかった。

 ――否、違う。これは炎だ。結界越しだというのに熱気を感じた晴政は、どれだけ苛烈な妖火であるのか手に取るようにわかって冷や汗を覚える。


「〝散〟!」


 裂帛(れっぱく)の気合を込めた叫びに呼応して、黒炎が掻き消える。

 視界が晴れると、そこには見知らぬ男が立っていた。


 襟足の長い黒髪。鋭い赤眼。妖艶な美貌に合う、彼岸花の和装。

 だが、人間ではない。その証拠に、頭に三角型の獣耳、後ろには九本の尾が見える。


 一目で理解した。凶悪な大妖怪――九尾の妖狐だと。


 かつて鳥羽(とば)天皇に寵愛され、保元(ほうげん)の乱、平治(へいじ)の乱、武家政権樹立のきっかけを作った史実の下敷きを持つ伝説の大妖怪・玉藻前。またの名を白面金毛(はくめんこんもう)九尾の狐。

 起源は中国最古の王朝・(いん)。中国三大悪女の一人とされる、最後の王の妃・妲己(だっき)。そこから褒姒(ほうじ)、華陽夫人へ名前を変え、若藻として日本へ渡り、玉藻前に至る。

 こうして大嶽丸(おおたけまる)酒呑童子(しゅてんどうじ)と並ぶ日本三大妖怪となったのだ。


 まさか同一かと脳裏に(よぎ)るが、違う。


 玉藻前と異なる男。髪も、狐の耳も、九本の尻尾も、黒曜石の如き漆黒。

 伝説の大妖怪ではないが、楽観視できないほど禍々しい妖気を纏う。

 泰然(たいぜん)とした笑みを浮かべているが、熟れた柘榴(ざくろ)のような目は笑っていない。


 身の毛が弥立(よだ)つ。

 本能が恐れを(いだ)く。

 だが、妖狐の男が美琴を狙う黒幕だと思うと怒りが湧きあがり、気丈に視線を返す。


「不快だ」


 妖狐の男が機嫌を害した声色で呟く。

 黒く染まる長い爪の先から黒炎を(とも)す。

 蝋燭(ろうそく)(ともしび)程度だが、そこに秘められた熱量は凶悪。

 晴政は恐怖よりも反撃を行えるよう臨戦態勢に入る。


「く、や……さまっ……!」


 しかし、そこに弱々しい声が水を差す。

 視線を下げれば、地面を這いずる鈴音の姿が。


「役立たずが。何度失望させれば気が済む」

「くや、さま……?」


 氷のような冷酷な眼差しに見下ろされ、鈴音は恐怖に震える声を漏らす。


「我は言ったはずだ。白狐の姫は我が定めた伴侶だと。それを害するとは……」


 温度のない凍えるほどの声が、鈴音の芯を(すく)ませる。

 主君の目的は知っている。だが、女として許容でいなかった。

 その行動が、破滅を呼ぶと考えることすらできないまま振る舞ったのだ。


「使えん駒は不要だ」


 利用価値のない、むしろ邪魔でしかない配下は必要ない。

 指先の黒炎を手のひらに移し、火力を増す。

 邪悪な妖火の熱気を前にして、鈴音は絶望する。


「そ、んな……! 玖夜(くや)、さま……! 玖夜様ああああ!」


 無造作に放たれた黒炎を浴びて、鈴音は断末魔を上げ――焼失した。

 骨も、灰すら残さず燃やし尽くされた配下の結末に、晴政は柳眉(りゅうび)(ひそ)める。

 鈴音は調伏するべき敵だ。滅するつもりでこの場に乗り込んだのだ。

 しかし、黒幕による無情な最期は(あわ)れだと思う。

 だが、それはそれ。


「待たせたな。次は貴様の番だ、陰陽師」


 酷薄な笑みを口に刷く。

 このままでは前準備もない晴政に勝ち目はない。

 だからこそ――


「悪いが、戦うのは今じゃない」

「……なに?」


 眉を寄せて怪訝な顔の黒幕。


「玖夜だったか。覚えておく」


 最後にそう言った直後、晴政はずっと唱えていた術の句を締めくくる。

 次の瞬間、異界から晴政と美琴の姿が消えた。

 隠形(おんぎょう)の術ではない。晴政の霊力の残滓(ざんし)から微かに神気が感じられる。

 美琴ではない。弱っている彼女は力を貸す気力もなかった。

 これは――


「……御狐神。あの小僧にそこまで肩を持つか」


 おそらく愛娘を救うために力を貸したのだろう。でなければ異界から抜け出せないどころか侵入すらできない。

 下位とはいえ、神に気に入られているのだとしたら――


「また我の障害となるか、陰陽師め」


 ただの陰陽師の子供と(あなど)ると痛い目を見るだろう。

 九尾の妖狐――玖夜は、憎々しげに吐き捨てた。



     ◇  ◆  ◇  ◆



 次の日の本宮祭は無事に終わり、一族に乞われてしばらく養生した美琴。

 とはいえ学友との約束があるため、夏祭りの数日前に京都を()つ。

 仮住まいであるアパートでゆっくりしていると、宅配便で大きな荷物が届いた。


「これ……」


 差出人は親。そして、中身は――。




 入口の時点で、軽快な祭囃子(まつりばやし)が聞こえる。

 立ち並ぶ屋台から離れていても、香ばしい匂いが届く。


「美琴ちゃん、まだかな~?」


 開催地の入口で、動きやすい夏服を着た榊原が呟く。

 その隣にいる洒落(しゃれ)たロゴのシャツが目立つ五十嵐は、携帯端末を片手で(いじ)っていた。


「龍樹は興味ない? 美琴ちゃんの浴衣姿」

「そりゃあ……って、なに言わせようとするんですか、部長」

「弓弦でいいって言ってるじゃん。今は部活動じゃないし」


 学校でもオカルト研究部の活動中でもないプライベートなら、気軽に呼んでほしいと榊原は言う。

〝部長〟という呼び名に慣れてしまった五十嵐は後頭部を掻き、視線を逸らす。


「まあ……信田の浴衣は見たい……けど……」

「けど?」

「引かれねえ?」


 恋人でもない、ただの部活動の先輩に浴衣姿を想像されるのは、生理的に忌避(きひ)されないだろうか。

 思春期の女子高生は繊細で、その手の話題は教室でもよく耳にするのだ。

 嫌な想像が脳裏に過る中、榊原は溜息を吐く。


「龍樹ってそういうとこ繊細だよなぁ。美琴ちゃんは気にしないと思うよ」


 美琴の性格を知っているからこそ言えることだが、五十嵐は不安がる。

 失恋したからこそ、これ以上は嫌われたくない。その心境から神経質になっているのだと察せられる。

 難儀だなぁと呆れていると――


「お、お待たせしました……!」


 美琴の声が聞こえた。走ってきたのか、声が少し掠れていた。


「ああ、気にしな、い……」


 ピシッと笑顔が固まる榊原。

 目玉がこぼれそうなほど見開く五十嵐。

 呼吸を整えた美琴は顔を上げると、二人の異様な反応にギョッとした。


「な、何ですか? どこか変でした?」


 美琴は慌てて身嗜(みだしな)みを確認する。


 青白い布地に描かれた、薄紅色や桃色の芍薬(しゃくやく)や小花、藤色の蝶。

 桃色の帯で、太鼓に整えた上にリボン状に束ねた帯の端を載せ、藤色の吉祥(きっしょう)結びの飾り組紐を中心に飾った、〝たまてばこ〟という上品ながら可愛らしい帯結び。藤色の紐と白い芍薬の帯飾りが、より上品に引き立てる。

 白い足袋に、桃色の鼻緒(はなお)が可愛らしい下駄。手元には箱型の巾着。

 そして、〝くるりんぱ〟という流行りのアレンジを加えた髪型。纏め上げた三つ編みは程良く崩し、柔らかく印象付けるお洒落なまとめ髪。


 どこか崩れたのか心配になったが、五十嵐は慌てて大声を上げた。


「いや、変じゃない! まったく変じゃないからな!?」

「ほ、本当ですか? よかった……」


 びっくりしたが、美琴はほっと安心する。

 五十嵐の声で我に返った榊原も、しげしげと美琴を観察する。


「いやほんとによく似合ってるよ。美琴ちゃんの髪の色は薄いから、濃い色合いかと思っていたけど……淡い色も可愛いね」

「ありがとうございます。頑張って着付けました」


 褒められて嬉しくなった美琴ははにかむ。

 その笑顔に、五十嵐は落ち込む。


(先に〝可愛い〟って言いたかった……!)


「五十嵐先輩?」

「ああ、気にしないでいいよ。さ、行こうか」


 榊原はそう言うと、人通りの多い道へ踏み出した。




 たい焼き、かき氷といった定番の食事系の屋台、金魚すくい、スーパーボールすくい、水風船のヨーヨー釣りもあれば鯉釣り、的当てといった遊戯系の屋台が所狭(ところせま)しに立ち並ぶ。

 一通り見て回った美琴達は、まずは遊戯系の屋台に立ち寄る。


「あっ、破れちゃった……」

「こういうのは勢いと技量がものを言うんだ」


 一匹も金魚を救えなかった美琴は肩を落とす。その隣では榊原が次々と金魚を掬っていく。まさに神業と言っていい手際に、金魚すくいの屋台を営む店主は愕然(がくぜん)とする。


「ま、まさか……伝説の金魚すくい名人か!?」

「なにぃ!?」


 店主の大声に連鎖して、金魚すくいに自信のある客が押し寄せた。


「えッ!? ちょっとぉ!?」

「名人! 是非(ぜひ)ご教授を……!」

「いいや、まずは勝負からだ!」


 客の波に押し退けられた美琴はよろけたが、咄嗟の機転で五十嵐が救出。

 榊原は客に囲まれて逃げられなくなってしまった。


(調子に乗って金魚すくいに手を出すんじゃなかった……)


 とほほ、と肩を落とした榊原は、遠くにいる美琴と五十嵐に手を振る。

 かろうじて視界に捉えた五十嵐は手を振り返し、美琴の手を引く。


「信田、行くぞ」

「えっ!? で、でも……」

「弓弦先輩はしばらく相手をするようだからさ、それまで時間を潰すぞ」


 なんとも奇跡的な口実ができた。

 五十嵐は心の中で拳を握りしめ、美琴を連れてその場から離れた。

 次々と遊戯系の屋台を楽しむと、最後に射撃の屋台に立ち寄る。

 すると、そこには見知ったクラスメートがいた。


「安倍も来てたのか」

「……五十嵐? 美琴も……」


 火縄銃(ひなわじゅう)を模した射撃用の銃を受け取ったその人物は顔を向け、驚く。

 五十嵐とクラスメートの安倍晴政だが、普段と違う装いだった。


 榊原や五十嵐のような気楽な洋服ではなく浴衣。

 藍色より渋い反物(たんもの)には、雪花絞(せっかしぼ)り特有の白い模様が均一に入り、それを薄墨色の帯で締めている。生地に合わせた藍色の鼻緒の下駄も(あわ)せて、晴政の美貌をより引き締まったものへ印象を変化させ、凛々しく魅せる。


 無意識に見惚れる美琴の様子を横目に、五十嵐は咳払(せきばら)いして晴政を見やる。


「おい、安倍。勝負しないか?」

「勝負?」

「射撃だ。景品を多くとった奴が勝ち。勝者には信田と祭りを楽しむ権利がある」

「……えっ!?」


 どや顔で言い出した五十嵐に、美琴はギョッと目を丸くする。


「……なるほど。なら、負けられないな」

「ハンッ。そのすまし顔を崩してやるよ」


 挑発的な態度で言い放った五十嵐は、屋台の店主に支払ってコルクの弾丸を受け取る。

 弾は五個。五発分の中で多く景品を取れた方が勝ち。

 ルールを説明しなくても理解している晴政は、標的に向き直る。

 天鵞絨(ビロード)の棚の上に一つ一つの台があり、その上に景品が置かれている。

 台は白色だけではなく、赤色もある。

 理由を知っている晴政は、赤色の台にある景品を次々と撃ち落とす。


「――よっしゃあ!」


 最後の一発の後、五十嵐は力強く拳を握った。

 手に汗握る真剣勝負の中で、五十嵐は景品を五個も獲得したのだ。

 つまり、全弾命中。

 菓子類から子供が喜ぶ小さな玩具が袋に詰められる様子を得意げに見て、晴政へ視線を向けると……。


「……は?」


 五十嵐は無意識に(ほう)けた声を漏らす。

 晴政が撃ち落とした景品は、ライターやマスコット人形といった重みのあるもの。

 全て赤色の台に載っていた景品で、撃ち落とすには難しいものばかり。

 そして、五発全てを使い果たして獲得したと言うことは――


「すげーな色男! 特典をゲットした客は今のところアンタだけだ!」


 ボーナス特典で飾られている商品を選ぶ権利が与えられる。

 全弾命中の上で特典景品――合計六個の景品を獲得したのだ。

 五十嵐を上回った晴政はすまし顔の下で、大いに安堵していた。

 一か八かの賭けだった。負けるリスクが高かったが、美琴と祭りを楽しむためだった。

 だからといって陰陽術は使っていない。これは真剣勝負なのだから、卑怯な手は使いたくない。それこそ美琴に失望されかねない。


「それで、どれを選ぶ?」

「……これを」


 そう言って選んだのは、ぬいぐるみ。ウサギやクマといった定番の中で祭りにぴったりの、両手で抱えられるくらいのふわふわした狐を選んだ。


「へえ、意外だな」

「彼女に贈るんだ」


 美琴に視線を送れば、店主はニヤリと笑う。


「……ほう。性格もイケメンじゃねえか」


 心の底から感心した店主は狐のぬいぐるみを大きな袋に入れて、別の袋に景品を入れて晴政に渡す。

 店主なりの心遣いに、晴政は礼を告げて美琴に歩み寄る。


「受け取ってくれるか?」

「……はい」


 優しい眼差しで贈られ、美琴は頬を赤らめて受け取る。

 袋から覗く狐の耳を見て、自然と頬が緩んだ。

 近くで見ている五十嵐は、まさに当て馬だと自分を俯瞰(ふかん)して、ガックリと肩を落とす。


「あーあ。まあ、負けは負けだ。安倍、美琴の側から離れるなよー」


 五十嵐は(きびす)を返し、軽く手を振ってその場から去った。


「粋だねえ」

「うおっ!? ゆ、弓弦先輩……いつの間に……」


 急に現れた榊原に心臓が縮む思いをする。

 ニコリと笑った榊原は、ドギマギする五十嵐の背中を叩く。バシッといい音が響いた。


「いてぇ!?」

「さっさと行くよー」


 それは榊原なりの(はげ)ましだった。

 察した五十嵐は力無く笑い、「馬鹿力かよ」と悪態をつきつつ後に続いた。


 遠ざかる背中を見送った美琴は、晴政に向き直る。


「あ、あの……いいんですか?」

「ああ。こっちこそ俺でいいのか?」

「もちろんです!」


 力強く返事すれば、晴政は柔らかな笑みを浮かべる。

 優しい微笑に、美琴の心臓が高鳴る。


「行こうか」


 差し出される手のひら。

 はぐれないためだと自身に言い聞かせながら、晴政の手を取る。


「……はい」


 晴政に恋愛感情は無い。期待するとつらいだけ。それでもこのひと時を大事にしたい。

 美琴の淡い笑顔を見て、なんとなく気付いた晴政は美琴の手を引き寄せる。


「わっ、晴政さん?」

「何の気持ちもなく勝負をしたわけじゃない」

「……えっ?」


 耳元で囁かれた言葉に顔を上げると、晴政の顔が近くにあった。

 端整な美貌を間近で直視して、どうしても頬が熱くなる。


「少しは意識してくれると嬉しいんだけどな」


 晴政の目には、いつもと違う熱量が込められていた。


 心臓が強く脈動する。じわりじわりと熱が広がる。

 打ち上げられた花火の音が響いても、甘く高鳴る鼓動は掻き消えなかった。

 色とりどりの花火を背に微笑む晴政は、一枚の絵画のよう。

 無意識に見惚れる美琴の紅潮(こうちょう)した頬を見て、晴政は笑みを深めた。


「今はただ楽しもう」


 何もかも忘れて、このひと時を楽しめばいい。

 いつか別れる日が訪れても、出会えてよかったと心から思えるように。

 鮮やかな思い出になるように記憶に焼きつけるために。

 この恋心を、いつまでも色褪(いろあ)せずに残したくて。


「――」


 夜空に大輪の花が咲き、弾ける音で消される声。

 抑えきれない想いを口にした晴政の切ない笑顔が、美琴の心に刻まれた。




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