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あやかし隠し  作者: ISTORIA
第二話 恋の操り人形
6/8

恋の操り人形:下



 美琴は直感に従って人気の少ない場所を重点に五十嵐を探した。

 あちらこちらを見て回っていると、完全に人の気配を感じなくなった。


(どうして? さっきまで人の気配があったのに……)


 急な空気の変化に嫌な予感が(よぎ)る。


 周囲を見渡しながら階段を下りると、校舎裏の廊下に立ち尽くす少年を見つけた。

 見慣れた後ろ姿で、五十嵐だと判った。


「五十嵐先輩! あのっ、お話が――」


 呼びかけると五十嵐は、ゆらりと不自然な動きで美琴へ向く。

 その表情はつい先程と打って変わって、能面のような無表情。

 よく見ると、目に光が無い。


「五十嵐……せんぱい……?」


 不穏な空気が満ちる中、ゾワッと背筋に悪寒が走る。

 彼は五十嵐龍樹だ。それは間違いない。だが、五十嵐ではない何かだと感じてしまう。

 後ろ足を引きたくても階段のせいで立ち(すく)んでしまい、頭の中が真っ白になる。


「どう、して……」


 五十嵐が虚ろな声を発する。


「どうして……どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして! どうして!!」


 徐々に硬質を帯び、狂ったように同じ言葉を繰り返す。


「信田」


 急に熱が冷めた声で呼ばれた。

 背筋が凍り付きそうな狂気を感じて、美琴の肌が粟立(あわだ)つ。


「どうして俺じゃないんだ? どうしてあいつなんだ?」

「……え?」


 五十嵐の言葉に、美琴は引っかかる。

〝どうして自分を選ばないのか〟――そこまでは分かる。


(〝あいつ〟って……誰?)


 しかし五十嵐は、美琴が別の人物に好意を持っているのだと思っているようだ。


 思い当たらなくて美琴は戸惑う。その間に、五十嵐が一歩ずつ近づく。

 美琴は危機感を覚えて階段を駆け上るが――


「俺から逃げるのか」


 ゾッとする声が耳元で聞こえた。

 振り返った瞬間、首を圧迫するものを感じた。


「ぅぐっ、ぁっ!?」


 背中に衝撃が走り、小さな悲鳴が口から漏れる。

 薄目を開けば、五十嵐が美琴の首を掴んで、踊り場の壁に押さえつけていた。


 ずっと「どうして」と繰り返し呟く五十嵐に恐怖を覚えるが――


(操られ、てる……?)


 五十嵐の目に光が無い。それどころか顔から感情が読み取れない。能面の如し無表情で美琴の首を締め上げる。


 徐々に握力が強まり、呼吸が詰まる。

 これでは五十嵐を止められないどころか死んでしまう。


(晴政……さ、ん……)


 (かす)みかける意識の中で助けを求めたのは、家族でも友達でも先輩の榊原でもない。

 いつも美琴を助けてくれる、信頼できる人だった。


「――ノウマク・サンマンダバサラダン・センダマカロシャダ・ソハタヤ・ウン・タラタ・カン・マン!」


 よく通る声が鋭く真言を唱えた。

 次の瞬間、五十嵐の体が硬直し、手の力が緩まる。

 呼吸がしやすくなった途端、美琴は五十嵐を突き飛ばす。

 喉に手を当てて新鮮な空気を吸い込み、盛大に()き込む。


「美琴! 大丈夫か!?」


 涙で(にじ)む視界の中で、倒れる五十嵐を受け止めた少年が美琴に駆け寄る。

 彼は心の中で助けを求めた人物――安倍晴政だった。


「はる、ま……さ……?」

「無理にしゃべるな。ゆっくり深呼吸しろ」


 温かな手のひらが背中を優しく撫でる。

 晴政の心の底から心配しているという表情を見て、安心感を覚えた。

 途端、じわりじわり込み上げるものを感じた。

 呼吸が詰まり、言われた通り深呼吸すると、はらり、涙がこぼれ落ちた。

 次第に引きつった声が漏れ出る。それが何なのか分からなくて困惑すると、優しい温もりに包まれる。

 鼻腔(びこう)(くすぐ)伽羅(きゃら)の香りで、晴政に抱きしめられたのだと気付く。


「もう大丈夫だ。怖かったな」


 頭を撫でながら柔らかな声音で囁かれ、心音が高まる。


 ――怖かった。


 今まで命の危機を感じるほどの恐怖を味わったことがなかった。

 この日、この瞬間、初めて〝死〟を意識するほど追い詰められたのだ。


「ぅっ……うあっ、ぁっ……!」


 未知の恐怖を自覚した途端、嗚咽(おえつ)が漏れ出る。

 しゃくりあげるほど泣きだした美琴を、晴政は強く抱きしめる。

 その温もりに凍えそうな心が弛緩(しかん)して、声を抑えようとする理性が飛んでしまう。


 他人の前では見せないはずの弱み。けれど、晴政と出会って変わった。

 晴政の前では本来の自分を(さら)け出せるのだ。


(ああ……そう、か。私……晴政さんが――)




     ◇  ◆  ◇  ◆




 間に合った。そう認識した途端、晴政は力が抜けそうになった。

 駆け付けた時には、五十嵐は美琴の首を絞めていたのだから。


 不動金縛りの術をかけた上で突き飛ばされた拍子なのか、五十嵐は身動(みじろ)ぎ一つもとることなく横たわっている。

 早いうちに元凶を叩きたいが、美琴の心を優先して泣かせてやる。すると、今までにないくらい声を上げて泣いたのだ。


 もっと早く駆け付けられていたらと不甲斐(ふがい)なく思うと同時に、元凶に怒りが湧く。

 宥めるよう頭を撫で続けながら解決策を考えていると、美琴は(はな)(すす)って泣き止む。


「……ごめんなさい」

「気にするな。間に合ってよかった」


 優しく頭を撫でてやれば、美琴は頬を赤らめて俯く。恥ずかしがっている仕草に(なご)みつつ、晴政はある手を思いつく。


「美琴、五十嵐にかけられた呪詛(じゅそ)を何とかしてもいいか?」


 ようやく落ち着きを取り戻した美琴に尋ねると、彼女は驚き顔で目を見開く。


「呪詛……!? い、五十嵐先輩、大丈夫なんですかっ?」


 五十嵐が操られているとは判っていたようだが、それが呪詛だとは気付かなかったようだ。

 青ざめる美琴は五十嵐を心配する。操られていたとはいえ、五十嵐に害されたというのに。


(やっぱり美琴は清いな。さすが白狐の姫君だ)


 清らかな性根を持つ美琴の在り方に、こちらまで心が洗われるようだと感じる。

 晴政は微笑を浮かべて頷き、床に落とした鞄の中から和紙と木製の筒を取り出す。


「和紙と……それは、筆入れ?」

「ああ。携帯できる朱墨(しゅずみ)専用の筆だ」


 漆黒の筆入れの(ふた)を開ければ、赤く彩られた内側に筆と、筆先側の端に容器がある。容器の蓋を開ければ、〝賢者の石〟とも呼ばれる鉱物「辰砂(しんしゃ)」を混ぜた墨――朱墨が入っていた。


 辰砂は古来より水銀の精製に欠かせない重要な赤褐色の石。他にも顔料や漢方の原料として珍重されている。押印用の朱肉(しゅにく)にも使われ、朱墨もそのうちの一つ。

 古来中国において、水銀は不老不死の妙薬とされていた。実際は人体には毒だが、その伝来により魔術や錬金術と深い関わりがある。

 故に護符も、原材料である辰砂によって作られた朱墨が適切なのだ。

 特にこの朱墨は晴政の霊力を強く含ませているため、強い護符を作れる。


 晴政は迷いなく筆を執る。流麗に綴られたのは、不動明王に関連するもの。

 筆を片付けた後は、乾いた護符を人型に折って五十嵐の(ひたい)に乗せる。


 準備は整った。晴政は姿勢を正し、両手に数珠を絡めて印を結ぶ。

 そして、不動明王に連なる神仏の名前から唱え始めた。


「もえん不動明王、火炎(かえん)不動王、波切(なみきり)不動王、大山(おおやま)不動王、吟伽羅(こんがら)不動王、吉祥妙(きちしょうみょう)不動王、天竺(てんじく)不動王、天竺逆山(さかやま)不動王。

 (かや)しにおこなうぞ。逆しに行い下ろせば、向こうは血花(ちばな)に咲かすぞ。味塵(みじん)と破れや、そわか。

 もえゆけ、絶えゆけ。枯れゆけ。生霊、狗神(いぬがみ)猿神(さるがみ)水官(すいかん)、長縄、飛火(とぶひ)変火(へんび)

 その身の胸元、四方さんざら、味塵と乱れや、そわか」


 晴政は長い呪文を何も見ることなく朗々(ろうろう)(そら)んじる。

 (よど)んだ空気が徐々に澄んでいく。反して、五十嵐の内側から重苦しい気配が滲み出始めた。

 肌で感じる限り、この呪詛は並の僧侶(そうりょ)では浄化できないほど強力だ。

 だが、晴政は(ひる)まない。それどころか大和真言を唱えている間も恐れをはねのける気迫すら感じられて、美琴は鳥肌を覚えながら食い入るように見つめる。


「向こうは知るまい。こちらは知り取る。向こうは青血(あおち)黒血(くろち)赤血(あかち)真血(しんち)を吐け。泡を吐け。

 即座味塵に、まらべや。天竺七段国(ななだんこく)へ行えば、七つの石を集めて、七つの墓をつき、七つの石の外羽(そとば)を建て、七つの石の錠鍵(じょうかぎ)おろして、味塵、すいぞん、おん・あび・ら・うん・けん・そわかとおこなう。

 打ち式、(かや)し式、まかだんごく、計反国(けいたんこく)と、七つの地獄へ打ち落とす。

 おん・あ・び・ら・うん・けん・そわか」


 最後に五字真言で締めくくる。

 すると、五十嵐の額にある護符が黒く染まり、塵に変わって消えていく。


「ぎゃああああああああああああ――!」


 突如、おぞましい声が空気を裂く。

 身の毛が弥立つ断末魔(だんまつま)にゾッと背筋が凍る中、階段下から妖気を感じ取る。


 晴政は素早く数珠を右手に巻き付け、護符を構える。

 美琴を(かば)うよう階段下を睨めば、そこに青白い火の玉が生じる。

 薄暗い校舎裏だからこそ判る色に警戒を高めると、揺らめいた火の玉から猫耳の少女が姿を現した。

 花魁のようにはだけた着物を着こなす少女は顔を押さえ、(うめ)きながら晴政を睨む。

 遠見の術で見た時は可愛らしい容貌(ようぼう)だった。


 しかしその顔の半分はどす黒く(ただ)れ、今や(みにく)い鬼女の形相(ぎょうそう)に変わり果てていた。


「おま、え……おまえぇぇ……! 陰陽師かぁ!」


 おどろおどろしい声で叫ぶ猫又の娘。

 後ろで美琴が微動した気配を感じて、視界に入らないよう背中で隠す。


「今頃気付いたか」


 観察していたのなら、途中で判るはずだ。

 よく見ると両手の爪の色が(こと)なる。おそらくマニキュアでも塗りながら高みの見物に(きょう)じていたのだろう。

 だが、その余裕が(あだ)となった。(おのれ)策略(さくりゃく)を過信し、失敗したのだ。


「それで、どうして美琴を狙う。彼女が稲荷狐の姫だからか? それとも、お前の背後にいる奴の命令か?」


 他人、それも美琴に近しい人物を操って、美琴を殺そうとしたのだ。お粗末(そま)な結果となったが、計画性がうかがえ知れる。

 鎌をかけてみると、猫又娘は奥歯を噛み締めた。


「〝あのお方〟の命令……? 違うわ。これは私の独断よ」


 背後に誰かがいるのだという言葉が聞こえた。

 注意深く質問するが、猫又娘は口が軽いのか次々と答えた。


 誰かに仕えているのであれば、その者を守るために秘匿(ひとく)するよう心がけるのが配下の鉄則。

 だが、猫又娘にはその配慮は無いようだ。


「稲荷神の祝福を受ける稲荷狐の娘。その価値は計り知れないものよ。〝あのお方〟が目をつけるのも当然よね。……でも、そんなの許せると思って?」


 冷ややかな声を出し、血走った目で美琴を睨みつける。


「〝あのお方〟に相応しいのは、この鈴音。ブスはお呼びじゃないのよ……!」


 明らかに嫉妬と受け取れる言葉に不快感を覚える。しかし晴政は、それ以上に新たに発覚した問題を知って頭痛を覚える。

 猫又娘――鈴音の言う〝あのお方〟は美琴を狙っている。それに反感を持ち、嫉妬した鈴音は美琴を殺そうとしたのだ。


 美琴は思っていた以上に複数の悪意に目をつけられているようだ。一層気を引き締めて守らなければならない。

 そう思うと同時に、鈴音の独善的(どくぜんてき)愚行(ぐこう)に腹の底から怒りが湧きあがった。


「くだらない」


 衝動的に吐き捨てれば、鈴音は片目を(すが)める。


「……何ですって?」

「くだらないと言ったんだ。嫉妬で他人を傷つけるなんて馬鹿げている。自分の感情を制御できない子供そのものじゃないか」


 重みのある声が響く。感情を抑制しようとするも、制御が利かない。

 だが、今はそれでいいのかもしれない。


「そんな幼稚(ようち)癇癪(かんしゃく)で彼女を傷つけるなんて、お前の(した)う〝あのお方〟とやらに失望されてもおかしくない」


 思うままに言えば、鈴音は顔色を変えた。


「……そんなこと、ないわ。〝あのお方〟が私を失望するなんて……!」

「するさ。そいつが狙っているのは稲荷狐の姫だろう? その彼女を害すれば失望するだけじゃない。お前、命がないぞ」


 淡々と憶測を挙げるが、鈴音には効果覿面(てきめん)だった。

 どうやら自分の目的を邪魔するなら鈴音を排除するのも(いと)わない妖怪のようだ。


「そんな……そんなの、ありえない、ありえない!」


 想像すらしていなかったのか、晴政の言葉を何度も否定する。

 しかし、一度芽生えてしまった「ありえる」可能性は撤回(てっかい)することができない。


 瞳孔(どうこう)を開き、頭に爪を立てて()(むし)りそうな衝動に駆られる。

 そんな中、ある手段を思いつく。


「……そうよ。あんた達さえ殺せば――!」


 鈴音の独走を知っているのは、晴政と美琴だけ。ならば隠滅してしまえば証拠は残らない。

 血走った目で睨む鈴音は狂気的に笑う。

 まさに妖怪らしいおぞましい顔で、一息に飛びかかる。

 だが、晴政は(すで)に行動に移していた。


「オン・キリキリ・バザラ・ウン・ハッタ!」


 素早く唱えられた軍荼利(ぐんだり)明王の真言により、襲いかかる鈴音の爪が宙で(はじ)かれる。

 軍荼利明王は五大明王の一尊。様々な障碍(しょうがい)を除くとされ、その真言には疫病や不浄を祓う力を持つとされる。


「バザラ・ヤシャ・ウン!」


 (はば)まれたことで身動きが取れなくなった鈴音。その隙を(のが)さず、晴政はすかさず印を結んで次の真言を唱えた。

 裂帛(れっぱく)の気合が込められた呪文が完成すると、鈴音は後ろへ吹き飛ばされた。


「ぎゃあああ!」


 鋭い痛みと共に宙に身を投げ出された鈴音。受け身をとれないまま、もんどりうちながら転がり、土埃(つちぼこり)(まみ)れる。

 今が好機(チャンス)。晴政はとどめを刺すべく護符を構えるが――


「お、のれぇっ……!」


 おどろおどろしい声が低く響く。

 鈴音は強い妖気をその身に渦巻き、ゆらりと顔を上げる。

 ぐしゃぐしゃにほつれた乱れ髪の隙間から、細く鋭い縦長の瞳孔が覗く。


 次の瞬間、鈴音を中心に炎が生じる。


 晴政はすぐさま護符を放つが、青白い炎によって届く前に燃えてしまう。

 揺らめく炎に包まれる最中(さなか)、鈴音は微かな隙間から晴政を睨む。

 ただの人間ではない。己が殺すべき相手だと、網膜(もうまく)に刻むために。


「覚えてなさい……! いずれお前も殺してやる!」


 捨て台詞を吐いた途端、青白い炎の勢いが盛んになる。

 しかし、それも一瞬のこと。鈴音の姿とともに、火花のように消え失せた。


「逃げたか」


 胸の内に舌打ちの衝動を隠した晴政は苦々しく呟く。

 逃してしまったのは痛いが、美琴を護れた。今はそれだけで充分だと納得しよう。


「……ごめんなさい」


 肩の力を抜いた晴政の後ろで、美琴が謝る。

 意気消沈した小さな声に、晴政は戸惑う。


「美琴は悪くないだろう?」

「でもっ、あの妖怪に狙われることになってしまった! 私のせいで……!」


 悲痛な声で言う美琴の様子で、晴政は思い出す。彼女がどれだけ責任感が強く、人一倍相手を思い遣っているのか。

 自分が何者かに狙われているというのに、晴政の身を(おもんばか)っている。

 巻き込んでしまったことに強い罪悪感に(さいな)まれる美琴の泣きそうな顔に、晴政は胸の痛みを覚えた。


(まったく、こんな時までお人好しだなんて)


 呆れると同時に、美琴らしいと思ってしまう。

 晴政は彼女への理解が深まっている自分自身の変化を自覚して、力無く苦笑した。


「美琴のせいじゃない。これは俺の自己満足が招いた結果だ」

「……え? 自己満足……?」


 思わぬ言葉に復唱してしまう。

 不思議そうな美琴の様子に、晴政は柔らかな微笑とともに彼女の頭を撫でる。

 美琴は大きくて優しい手のひらの温もりを感じて、心臓が甘く跳ねる。


「美琴は覚えてないだろうけど、昔に会ったことがあるんだ」


 今でも覚えている、瞼を閉じれば蘇る、大切な思い出。

 打ち明けると、美琴は瞠目した。


「……ぅっ」


 その時、五十嵐の呻き声が聞こえた。

 互いに五十嵐の存在を思い出して、無意識に距離を置く。

 じっと見守っていると、五十嵐は気だるげに瞼を開いた。


「五十嵐先輩、大丈夫ですか?」

「……しの、だ? おれ……なんで……」


 どうやら気を失う前の出来事は覚えていないようだ。

 安堵した晴政は、五十嵐の疑問に答える。


「熱中症で倒れていたんだ」

「……安倍? 何でお前まで……」

「彼女に呼ばれて来た。迂闊(うかつ)に動かせないから保険医を呼ぼうかって相談していたところだ」


 それなりの理由を作って言えば、五十嵐は納得した顔で息を吐き出す。


「気分はどうだ?」

「……さいあくだ」


 呪詛に(おか)されていたのだから、気分が悪くて当然だ。

 通常なら数日は寝込むのだが、言葉を話せるくらいなら大丈夫だろう。

 だが、完全に浄化できたわけではない。ひとまずは病院へ送り、家ぐるみで付き合いのある腕の立つ住職を紹介しよう。


「ひとまず保険医を呼んでくる。無理に動くなよ」


 晴政は今後の予定を立て、その場から離れた。




   ◇  ◆  ◇  ◆




 階段の踊り場に二人きりになった美琴と五十嵐。

 部室で美琴から逃げた手前、五十嵐は気まずい思いをする。


「五十嵐先輩」


 対する美琴は、凪いだ心境で向き合った。

 彼女から感じられる静謐(せいひつ)な雰囲気に、五十嵐は息を呑む。


「榊原先輩から聞きました。……五十嵐先輩の想いを」


 ぎくりと心臓が固まりかける。

 榊原に自分が抱える美琴への想いに気付かれていたなんて思わなかったのだ。

 同時に理解した。この話題を持ち出したということは――


「――わかってる。信田は俺に恋愛感情は持ってないんだろ」


 部室での会話で思い知った。信田の想い人が誰であるのか。

 (しゃく)な相手だが、頼りになる男だと知っている。

 だから、あの男になら(たく)せると思った。


「安倍と上手くいくといいな」

「えっ?」


 美琴が動揺の声を上げる。

 驚き顔で赤らんだ頬に、五十嵐は苦笑いを浮かべた。


「ど、どうして……?」

「信田って意外と分かりやすいからな」


 そう言うが、美琴はつい先程まで自分の恋心を自覚していなかった。

 まさか自覚していない時から気付かれていたのだと悟った美琴は赤面する。


 居た堪れなくなって縮こまる美琴の様子に、五十嵐はモヤモヤした不快感が消えていくのを感じた。


(信田が幸せになれるなら……いいか)


 悔しさはある。けれど(わだかま)りはなく、すっきりとした解放感を覚える。


「頑張れよ」


 五十嵐はいつも以上に明るく、ニカッと笑った。




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