第92話 手を差し伸べてくれた少年二人
車両がほんの微かに揺れた気がした。
ふと、我に返って辺りを見回した。
隣の座席で小泉の母親が静かな寝息を立てている。座席上の棚に備え付けられていた毛布を取り出し、彼女にそっと掛けた。車内は静寂に包まれ、大半の人が疲れ切って休んでいるようだった。
紗綾は、ハンドバッグを開けて携帯端末を取り出した。本当ならHMDを使ってT.S.O.内にログインしたかったのだが、避難する中で荷物を置いたホテルの部屋に戻ることはできなかったのだ。
とりあえず、T.S.O.のメッセンジャーを開くと、ロザリーとサファイア、それにイズミがログインしている状態だとわかった。音声通話は周りの状況もあって使えないので、テキストベースでメッセージを作成する。
「あの時、私を助けてくれた姉離れできない男の子と、T.S.Oに引き留めてくれた男の子。いいえ、もう二人とも男の子なんて呼べませんね……」
今度は自分が力になってあげる番だ。もちろん、私にできることは何もないかもしれない。でも、自分から動かなければ何も変えることはできない。あの時、彼らに教えてもらったことを実践しよう。紗綾は、小さく息を吐いて自らに気合いを入れたのだった。
◇◆◇
「えっと……紗綾さんと出会ったのって本当に偶然だったんだよ?」
「柏陽さんと呼べと言っただろ!」
「あ、はい……」
小泉の怒声に、ヤレヤレといった態度を隠しきれずに僕はため息をついた。
ミサキ-1の管制室。その端にある打ち合わせ用の簡易スペース。
声が聞こえない外から見たら、現在進行中の捜索について、ルート設定をした僕に小泉がなにか文句をつけているように見えるんだろうなと思う。
「まあ、簡単に説明すると、僕たちの仲間のピンチのところに柏陽さんのキャラ──クルーガーさんが偶然通りすがって助けてくれたってのが最初の出会いだったんだ。でもって、その後、お礼にうちのギルドハウスに招待したんだけど……」
どうしてあの場所にいたのかは話を濁していたので、深くは聞かなかった。ただ、自分をT.S.Oに誘ってくれた友人がプライベートの事情でゲームを辞めてしまって、一人きりになってしまったので、クルーガーさん自身も引退しようかと考えていたと話してくれた。
その時の表情は今でも思い出せる。静かに笑っていたけど、どこか全てを拒絶するような雰囲気もあった──
◇◆◇
「そういう事情なら、しばらく僕たちのギルドに入ってみませんか? それでやっぱりあわないってなれば、その時に辞める辞めないって、あらためて考えればいいし、せっかく、そこまで成長させたキャラクターを捨てちゃうのももったいないかなって──」
そこまで言って、僕は慌てて手を振った。
「もちろん、クルーガーさんの事情が最優先ですし、ただ、僕としては仲間が増えるのは嬉しいですし、僕もT.S.Oが好きなので、そういう人が一人でも多く居てくれる方が嬉しいかな……って」
上手く言葉で表現できたかは微妙だったが、続けて年少組たちもまとわりついたりして、クルーガーさんは困ったような表情を浮かべながらも、僕の顔を正面から見つめて「……そうですね、もう少し、続けてみましょうか」と笑ってくれたのだった。
◇◆◇
──と、思い出したことを、素直に小泉に話したら、絶対にまた怒鳴りつけられる。
なので、僕は言葉を選んで短くまとめた。
「それまで、一緒にプレイしていた友達が引退しちゃったって聞いたから、なら、とりあえず僕たちのギルドに入らないですか? ってダメもとで誘ってみたんだよ。そうしたら、意外と上手くいっちゃって、ずっとお世話になってるカンジ……かな?」
「その一緒にプレイしていた友人とは誰なんだ!?」
激しくテーブルに拳を叩きつける小泉に、僕は反射的に逃げの姿勢を取ってしまう。
「知らないよ! てか、聞いてない! そんなのクルーガーさんのプライベートなんだから聞けるワケもないじゃない!」
「……まあ、当然だな」
僕の予想に反して、そう言いつつ、再び腕を組もうとする小泉。その動きが一瞬止まる。
「それはいつ頃の話だ?」
「あ、えっと……二年前くらい? 冬の頃だったかなぁ」
「……」
僕が答えると、小泉は視線をテーブルに落として口の中でなにか呟いていた。
「……二年前ということは、あの時期か……ということは、もしや……」
「えっと……あの?」
小泉が不意に顔を上げる。
「その友人の話は本当に聞いていないのだな」
「うん」
「そうか」
小さく頷いてから小泉は立ち上がる。
これで解放されるかと、僕が胸をなで下ろそうとした時。
「だが、それとこれとは話が別だ! 今後、柏陽さんとの付き合いは控えてもらおう!」
「てか、またムチャクチャなこと言い出した!」
鬼の形相で怒鳴りはじめる小泉。
結局、今回の捜索プランに関して、僕が理不尽に責められていると勘違いした常盤さんが、止めに入るまで、僕は小泉をなだめすかしたり、話題を逸らそうと試みたり、必死に抗わざるをえなかったのだった。




