第77話 壮行式
宇宙実習壮行式当日、オノゴロ海上都市上空は、雲一つ無い澄み渡った青空が広がっていた。
その蒼穹へと伸びる三本の柱を、数千人の人々が見上げている。
軌道エレベータ【ヤタガラス】は地上から宇宙ステーション【カグヤ】を繋ぐ三本の伝熱ケーブルを特殊金属で補強した柱と、それをレールとして上昇する三基の昇降機【ミサキ】の総称である。
ミサキは昇降機といっても、外見は全面黒光りするガラス張りの大規模ビルのような外見をしている。紡錘形の本体部分が、白い台形の基部に収まっている形だ。
その三つの白い基部への連絡通路が繋がる中央広場に地上駅の設備が整えられており、駅に直結した宿泊施設に併設されている海とヤタガラスを一望できる空中庭園が、壮行式の会場となっていた。
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「航さん、お久しぶりです」
不意にかけられた声に振り向くと、淡い色を基調としたシンプルなフォーマルスーツを身に纏った女性が、僕に向かって微笑んでいた。
「紗綾さん!? どうしてここに?」
思わず驚きの声を上げてしまう僕。柏陽 紗綾さん。T.S.O.の中で一緒にプレイしているギルドメンバーのクルーガーさん、そのプレイヤーだ。
紗綾さんがなにか思い出したように口に手を当てる。
「そう言えば、航さんたちにはお話ししてませんでしたっけ。宇宙学園に私の知り合いも在籍してまして。今日はその縁でお招きいただいたんです」
「あ、そうだったんですね。世の中って、意外と狭いですね」
そう言ってひとしきり笑い合う。
以前、会った時も思ったが、スラッとした姿勢に、上品そうな服を完璧に着こなしている。宇宙学園の礼服に着られているといった態の僕なんかは足下にも及ばない。こうして並んでいると、なんだか引け目を感じてしまう。
そんな僕の姿を、馬子にも衣装とバカにした花月が、こちらを見つけて人波を抜けてやってきた。
「航、どうしたの? 向こうでみんなが待ってる……って、あ、紗綾さんだ!」
そう声を上げるなり、流れるように紗綾さんの手を取って上下に振る。
「どうしてここにいるの?」と問いかける花月に、僕が「生徒に知り合いがいるんだって」と伝えた。
不意に花月が動きを止めた。
「そうだ! せっかくだから深海くんたちも呼んでくるね!」
そう言い残すや否や、素早く来た方へと戻っていく。
「なんか、慌ただしくてすみません……」
「いえ、花月さん……くーちゃんらしくて、ホッとします」
紗綾さんと直接会うのは二回目だが、やはりT.S.O.内で一緒に活動しているからだろうか、よそよそしい雰囲気は感じない。ゲームの中では男性キャラクターなのだが、それでも違和感を感じないのが不思議だ。
「それにしても、航さんたちもこんな大変な状況の中で宇宙に上がらないといけないんですね……」
そう小さくため息をつく紗綾さん。
大変な状況、一昨日、サファイアさんが慌ただしくログアウトした後のことだった。
昼食の時間に見ていたニュースで緊急の速報が流れた。
──全世界の量子サーバシステムネットワークから日本の量子サーバが切り離される。
それは、ディールクルムの本社があるシアトルの午後七時、日本時間の正午に行われた会見で発表された。六時間の猶予の後、日本の量子サーバシステムは海外との接続を全て、強制的に切断されるという内容だった。
その一方的な通告は、日本社会にパニックをもたらした。
ディールクルム社は、事前に日本政府にこの可能性を通告していたとも発言し、混乱は一気に拡大する。
経済、運輸、交通、情報、サービス……今や、世界的な量子サーバネットワークの恩恵を受けていないものは無いといって過言ではない。まず、敏感に反応したのが日本の金融市場である。ほとんどの金融指標において恐慌一歩手前の状態に陥った。さらに、各分野におけるシステム担当者、担当部門が強制的な切断の影響を最小限に抑えるための対応に追われることとなる。そのため、急に提供が停止されるサービスが続出し、国民生活に目に見える影響となって広がっていった。
当然ながら、この状況を招いた政府にも批判の声が殺到する。
しかし、それ以上に、厳しい声に晒されたのは、ディールクルム社が原因と明確に発言した、VRMMOサービスのトルネリア・サーガ・オンライン、三国兵乱オンライン、Heavenly Bullets Online だった。
もちろん、責任を問われるのは各開発運営会社と、それらの親会社であるノーザンライツ社である。
だが、被害を受けた人々のやり場のない感情がゲーム本体と、そのゲームのプレイヤーに向けられてしまうのもしかたがないのかもしれない。
特に、関連情報としてT.S.O.の闇王戦の動画が各メディアによって拡散されたこともあり、悪い意味で航たちも注目される対象となってしまっていたのだ。
「まぁ、犯人の虚言に踊らされた愚か者って扱いですけどね」
自嘲気味にため息をつく僕。
紗綾さんは気を取り直して小さく笑う。
「ですが、こういう状況だからこそ、宇宙へ上がるのも気分転換になるかもしれないですね──」




