第46話 動き出す現実
「……そろそろか」
銀髪を揺らしながら少年は小さく伸びをしてから座椅子から立ち上がる。六畳程度の広さの和室には、複数のモニターや情報端末が乱雑に配置されている大きめの座卓と座椅子、そして部屋の隅に畳まれた寝具一組だけが置いてあるだけ。
銀髪の少年リーフは静かな足取りで部屋を出る。隣の居間を廊下から覗くと老夫婦がお茶を飲みながらテレビの情報番組を見ていた。お婆さんがリーフの姿に気がつき、緩慢な動作で手招きしてきた。
「病院の帰りに北斗さんに会ってね、航くん、来月には夏休みで帰ってくるからって伝えておいてって」
「……うん」
「それは楽しみだなぁ」
ひゃっひゃっと歯の間から息が漏れるような声で笑うお爺さん。少年は表情を変えずに歩み寄って少し乱れた上着を整える。
お婆さんが代わりに「ありがとね」といってから、思い出したように言葉を続けた。
「そうそう、壊れちゃったって言っていた天体望遠鏡だけど、今日が収集日だったからゴミに出しちゃった。でも、本当に良かったのかい? 私には難しくてよくわからないけど、修理に出しても良かったかなって。今さらだけどねぇ」
「完全に壊れちゃってたから」
端から見ると言葉少なでぶっきらぼうな態度にも見えるが、老夫婦は全く気にしていないようだった。
「今日の夕飯は唐揚げにしようと思ってるの、あとで深海さんのところに買いに行こうと思うけど、それでいい?」
「うん」
自分が買いに行こうかと言いかけてから、言葉を呑み込むリーフ。この前「なんでもかんでもリーフに頼むと一気に老け込んじゃうからね」と笑われたことを思い出したのだ。
どこの誰ともわからない自分を引き取ってくれた老夫婦に、少年は純粋に感謝している。例えそれが過去に喪った息子や孫の代わりだったとしても、自分に注がれた愛情であることは間違いないのだから。
チクリと心に何か刺さったように感じて、そっと胸に手を当てる。
「外に行ってくる」
そう言い残して、リーフは家の外へ出た。七月も終わりに近づき、北海道のさらに北東部に位置するこの街でもジンワリと汗ばむくらいの気候になっていた。
さっき、お婆さんから聞くより先に、リーフは航たちが夏休みに帰ってくることを知っていた。昨晩、メッセンジャーアプリで少しやり取りしたのだ。航は青葉の様子を知りたがっていたようだったが、あまり期待に添える話はできなかった。
「余計なこというなよな」と青葉に釘を刺されていたことも言わなかった。
航と青葉、文字通り死にかけていた自分を拾った二人。本当に余計なことをしたものだと今でも思っている。
だが、それとは別に受けた恩は返さなければと思う。ふと、笑みがこぼれる。自分がそんな考えを持つとは想像もできなかった。老夫婦がいつも夕方に見ているテレビの時代劇の影響かもしれない。それくらいしか理由が思いつかない。
それにしても、と思う。どうやら、あの二人、最近は何か行き違いがあるようだ。まあ、今までも同じようなことは何回かあったが、なんやかんやで元の鞘に収まったりしてるので、あまり気にしてもしかたがない。
それよりも、やらなければならないことがある。
「……そろそろ潮時」
夕焼けに紅く染まる空の下、少年は人気のないあの路地を横目にポツリと呟いた。
◇◆◇
「はあぁ……」
屯田はデスクに戻るなり頭を抱えてしまう。
上司に攻略の進捗を報告に行った際に、とんでもない重荷を負わされてしまったのだ。
そもそも、最近は事件の影響も落ち着き始めていて、屯田自身、攻略もそう急ぐ必要は無いと思っていた。
だが、自分の想像もつかないところで大きな動きがあったという。
「日本の量子サーバシステムが全世界ネットワークから切り離される!?」
先日、T.S.O.をサービス単位で分離ができない以上、量子サーバシステムの最小単位である国家単位でシャットアウトすることになるという、ディールクルム社からの期限付きの通告が日本政府に対してあったというのだ。
現状で、今回の影響は日本国外のシステムに波及はしていない。そのため、とりあえず日本のサーバシステム内に封じ込めておいて、世界各国への波及を防ぎつつ、事件の解決を図るというのが建前だ。
本音では、今、日本の量子サーバシステム内を踏み台にして、同様のことが諸国で発生しないように、今のうちに蓋をしてしまえということだろう。
今やあらゆるシステムが世界各国とリアルタイムで密接に繋がっている。もし、世界から切り離されたらどうなるか。金融市場を始め国内外を繋ぐ運輸システム、情報システムがすべて停止し、日本国内の経済は大混乱に陥ることは疑いない。
まだ、この通告があったことを日本政府は公開していないが、内部はパニック一歩手前といった状況だ。
「そう言われても、どうしようもないですよ……」
さすがに建前を取り繕うこともできず、本音が漏れてしまう。
責任重大だぞといわれても、自分ができることには限界がある。それも、何の責任もない一般市民を巻き込んで協力してもらっての上だ。他言無用だと付け加えるように念を押されたが、それなら最初から伝えないで欲しかった。
「はぁぁぁぁ……っ」
もう一度、屯田は盛大にため息をついた。




