第38話 アオ、激怒
学園の昼休み、僕は日当たりの良い中庭に面したベンチで目を閉じていた。
海から吹き抜けてくる初夏の風が心地よい。仮眠を取りたいところだけど、心身ともに疲れがたまっているせいか、昼寝どころか、夜も寝付けない日々が続いている。
T.S.O.の現状はお世辞にも楽観できる雰囲気では無くなってきた。
先行ギルドが十層を突破し、最深部も見え始めてきた頃、多少の紆余曲折を想定しつつも、クリアまで一ヶ月はかからないだろうとの観測がネット上に流れた。
だが、その予想は外れた。
十一層からマップが格段に広くなり、構造もさらに複雑になっていたのだ。
一番大きな問題は、事前に運営が公開していた情報が、ここにきて全く役に立たなくなってしまったことにある。夜の密林地帯というコンセプトは同じマップだったのだが、フロア内での大きな高低差など、構造が全く違うものに変わってしまっていたのだ。また、モンスター達の種類や行動も複雑化していた。特に地形を利用した戦術的な集団行動を取る敵が厄介この上ない。
T.S.O.プレイヤーが攻略を進める間に、事件の犯人も動いていたということか、というか、こんな介入のしかたをしてくるあたり、性格の悪さが見えた気がしたのは僕の思い込みだろうか。
とにかく、さすがの三大ギルドも攻略方針の再検討を迫られた形になった。
○
「……大丈夫? だいぶ疲れているみたいだけど」
背後からかけられた声に目を開ける。
「花月が探し回ってるわよ、お昼食べてないんでしょ」
そう言って、サンドイッチとコーヒー牛乳を差し出してきたのは常盤さんだった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
僕が素直に受け取ると、常盤さんは少しだけ笑って、短く断ってから隣に腰を下ろした。
「……やっぱり昨日のことを気にしてるの?」
その問いかけに言葉が詰まる。
というか、そのことを直接聞いてくるあたりが彼女の性格なのか。
だが、別に隠すことでも無いと思ったので、小さく頷き返す。
「うん、まさかアオにあんなこと言われるなんてね」
☆
「こんの、いい加減にしろよな!」
ギルドハウス内にアオの怒声が響き渡った。
留守番をしていたピーノとザフィーアが顔を見合わせる。
ボロボロの状態で皆が戻ってきたことではなく、言葉は乱暴でも滅多に怒気を露わにしないアオの剣幕に戸惑っているようだった。
ロザリーさんが俯く僕とアオの間に割って入る。
「アオ、そこまでにしておきな」
「コイツ、一回キチンと言って聞かせないとダメだ!」
姐さんの制止を振り払って、アオは僕の襟元を掴んできた。
正直、アオが怒るのは無理もない。ついさっき、僕たちのパーティは全滅しかけたのだから。
○
十一層の、おそらく中盤。先行ギルド経由で入手していた新しい地形情報と、モンスターの配置などを確認しながら進んでいたさなかだった。そんな僕たちの前に、突如、先行していた三大ギルドの一つ、三月ウサギの一隊があらわれたのだ。
「すまん、撤退中なんだ、可能なら援護してくれ!!」
そう叫んだ三月ウサギの魔術士姿の男に見覚えがある、確か幹部の一人だ。
その彼が必死の形相で助けを求めてきたのだ。ぱっと見、僕たちより多人数のパーティのようだ。前衛職のキャラが交互に殿をつとめて押し寄せてくる巨大な昆虫のようなモンスター達の攻撃を凌いでいる。
「みんな距離をとって! ギル、【魔力増強の陣】を!!」
叫ぶと同時に僕も味方の魔法詠唱速度を速める星霊神の奇跡を発動させた。
「サファイアさん、ミライ、ジャスティス、敵の先頭にぶちかまして!」
「そうこなくっちゃ、いっけー!」
待ってましたとばかりに巨大な【光線魔法】を放つ魔法少女ジャスティス、さらにミライが放つ複数の火の精霊術が尾を引いて追撃し、トドメとばかりにサファイアさんの太陽神の奇跡による攻撃が複数の昆虫を吹き飛ばす。
「引くタイミングは任せたからな!」
そう叫ぶアオを先頭に、ロザリーさん、クルーガーさんの前衛トリオが斜めに敵先頭集団へと切り込み、三月ウサギの陣形を立て直す時間を稼ぐ。
「くー、前衛の回復は一旦引いたタイミングで! それまで余裕があったら、三月ウサギの援護して、イズミは念のためくーについてて……次の魔法のタイミングは合わせて一斉に、そのタイミングで前衛後退ね!」
仲間たちから了承の声が上がる。魔法と物理攻撃の反復を繰り返しながら、三月ウサギの後退に寄り添う形で支援していく。完全に巻き込まれた形ではあるが、こうなった以上、安全なところまで同行せざるをえない。自分たちだけ別行動で逃げようとしたところで、敵も分かれて向かって来る可能性が高く、危険すぎる。
「魔法、今!」
僕の声に合わせて、目が眩むほどの魔法エフェクトが敵集団先頭で爆発する。
敵が怯んだタイミングで前衛トリオが距離を取り、イズミをともなったくーちゃんが回復に向かう。どうやら三月ウサギの方もこちらの意図を理解してくれたようだ。無言のうちに連携が構築され、効率が良くなっていく。
しかし、敵の強さも量も想定以上だった。
なんとか逃げ切れるか……と思った矢先に三月ウサギの殿が崩れてしまったのだ。
「やばい……!」
三月ウサギの女性剣士が昆虫モンスターたちの中に呑み込まれる。
今は引くタイミング、じゃないとこちらの前衛トリオも含めた殿軍が混戦状態になってしまう。
頭ではわかっていたが、ここで引いてしまうと女性剣士を見捨てることになる。
見捨てる……死んでしまう。
ほんの一瞬だった。
その迷いが事態を手遅れにしてしまう──




