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第34話 教官室にて

(かつら)教官、どうかされたのですか?」


 三住(みすみ)の問いかけに、桂は自分が無意識のうちにため息を漏らしてしまったことに気がついた。


「あ、ゴメン、たいしたことじゃないんだけど」


 手にしたタブレット端末を机の上に戻して、軽く腕を伸ばす。


「そういえば、そろそろお昼の時間ね、って、あいかわらず三住教官は愛妻(あいさい)弁当なのね、うらやましいわ」

「恐縮です……人によってはあまり良い顔はされないのですが、妻がどうしてもというので、つい」


 ピンク色の可愛いキャラクターが刺繍(ししゅう)された袋を抱えた三住が恥ずかしそうに笑う。桂は素直な気持ちでうらやましかったのだが、皮肉と取られてしまったことに気がついた。脳裏に堅物(かたぶつ)の教頭の顔が浮かぶ。


「気にすることはないわ、良い奥さんじゃない。むしろ、嫌味(いやみ)を言ってくるようなヤツは(ひが)み半分なんだから、流しておきなさいよ」

「そう言っていただけると助かります」


 隣の席についた三住が弁当を広げ、桂も通勤時に購入した購買のサンドイッチのセットを取り出す。

 今期、任についている教官は校長と教頭を除いてちょうど四十名、普通の学校のように教官が集まる職員室のような部屋はなく、二人一部屋の執務室(しつむしつ)が割り当てられている。


「それはそうと、なにか問題でもあったんですか?」

「問題というわけでもないんだけど……」


 桂はサンドイッチを持っている反対側の手で、机の上の端末を操作する。

 画面に表示されたのは桂教室の生徒達の情報。


「最初はそんなに手がかかるとは思っていなかったのよね、そもそも厳しい選考の結果だしね」

「そうですね、学力も当然ですが、性格や思考力など、さまざまな側面から評価されますからね、自分が学生の立場で受験してたら、たぶん無理でしたよ」


 桂はその冗談を「私だって危ないわよ」と流そうとしたが、三住は全力で否定してくるか、逆に皮肉ってしまったと勘違いして激しく自責(じせき)の念に囚われる姿を想像してしまい、ぎりぎり押しとどめた。


「グリーンヒルや九重(ここのえ)あたりが、あちこちかき回しているみたいだけど、それぞれ落ち着いた相方がフォローしてくれているから今のところは順調かな……まあ、(あずま)はいろいろな意味で手がかかるとは覚悟していたけど」

「最初は首席の小泉(こいずみ)君と同室にして、協力してもらおうという若松(わかまつ)教頭の提案に桂教官がストップをかけたんですよね」

「東と小泉の相性は最悪だと思ったのよね……むしろ、東の相手は普通で、かつ現実を抵抗なく受け入れることができる、言っちゃえば諦めが良いタイプが合ってると思ったのよね」


 そこまで呟いて、また大きなため息をつく。


「別に他意は無かったんだけど、そこまで言うならお前が面倒見ろって言われちゃったのよね。あれは失策だったわ」

「やっぱり、問題はその東君なんですか?」

「いいえ、東はアレで結構わかりやすいし、組み合わせた相方……北斗(ほくと)との相性が予想以上に上手くいったみたいで、とりあえずは大丈夫そう。というより北斗の方がいろいろ問題でね」


 スラッとした形の良い人さし指を動かして端末に北斗 航の情報を表示させる。


「彼、成績も性格も普通……特に可も無し不可も無しっていうところなんだけど、その分柔軟性っていうのかな、何でもかんでも自然に受け入れちゃうのよね」

「それがなにか問題なんですか? むしろ伸ばすべき長所だと思われますが」

「うん、その通りで、実際にうちのクラスの中心的存在は彼で、そして、そのおかげで上手くまとまっているのは事実」


 桂はそこまで言ってから、少し考え込む。


「問題は北斗君を含め、そのことを意識していないってところかな」

「詳しく聞かせていただけますか」


 三住が箸を置いて桂に向き直る。三住も部下ではない学生という存在を指導するという立場は初めてだった。そのため試行錯誤を繰り返していることを桂も理解している。その真面目さに多少堅苦しさを感じたりもするが、自分の思考を整理することにもつながるだろう、と桂は判断した。


「最初は常盤(ときわ)がリーダーシップを発揮してクラスをまとめるだろうと予想していたのよ。能力も意欲……責任感かな、そのあたりのモチベーションも申し分ない。そういった責任感から引っ張る存在がいれば、周りの人間もそのことを意識しつつ、それぞれの判断で集団に関わろうとする」


 でも、北斗が本人も無意識のうちに自然と皆の中心位置に収まってしまったことで、集団としてのクラスが安定してしまった。そのため、集団を維持するためのさまざまなストレスが誰も気づかないうちに自然と北斗一人に集中してしまうのではないか。


「そして、当の北斗にも問題がある」


 桂は脚を組み替えた。


「柔軟性に富んでいるといえば長所のように聞こえるけど、言い方を変えると諦めが早い。目の前の現実に流されることがあたりまえで、その負担を全部自分自身で受け止めてしまう」

「北斗君、例の情報流出事件の解決にあたっている彼ですよね。今まで目立たなかっただけで、実は能力を隠し持っていたというだけでは。実際に組織にはそういう人間もいたりしますし」


 三住の言葉に頷きつつも、桂は素直に肯定することはできなかった。さまざまな経験を経て、大人になる過程で結果的にそうなったのであれば得がたい資質となるだろう。だが、彼はまだ一般で言う高校生になったばかりの少年だ。天賦(てんぶ)の才ということであれば僥倖(ぎょうこう)というべきだが、教育者として、そんな低確率の幸運をあてにしてはいけない。そして、実際に(ほころ)びも見え始めている。


「さっき、施設保守の南仲(みなみなか)教官と話してきたのだけど、彼、たまにすごい集中力をみせることがあって、複数のタスクを普通に並行して進めちゃったりすることがあるらしいのよ。南仲教官が見る限り本人は意識してないらしいけどね。ただ、ここ数日はその集中力を欠くことも多くて、ミスも増えているって心配してたわ」

「……さすがに疲労が出てきたと」

「ええ、大抵の人間は自分のキャパシティを超える負荷がかかった場合は無意識のうちに手を抜くものなのよね。それを訓練することで自分で力の配分をコントロールできるようになるのがプロなんだと思う。でも、彼、北斗君の場合はなんでも受け入れてしまって、しかも、それを無意識のうちに全て自分で処理してしまおうとしているのではないのかしら。それが今まで中学校までのレベルならなんとかなってきたのかもしれない」

「でも、ここは違う」


 三住が難しい顔で腕を組む。桂も似たような表情で眉間を指で軽くつまんだ。


「そうね、学園での実習でさえ、一歩間違えれば命の危険に繋がりかねない。そして、プライベートでもミスが間接的に命取りになるような事件に巻き込まれている。そのことに気づいた時、自分の器の限界が見えてしまった時、壊れてしまわないだろうか」


 小さく息をついてから、三住が笑みを浮かべる。


「彼は担当が桂教官で幸運でしたね」

「あ、そういう言い方するんだ」


 拗ねたような口調になった桂だったが、その口元は笑っていた。


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