第26話 ラピスという少女
少し前のT.S.O.内でのエピソード。
それはラピスとの思い出のひとつ──
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「ちょっと、どいてどいて、そこどいてー!」
「え?」
T.S.O.内のとある山岳地帯。サファイアさんに頼まれていた服を作るため、材料を探しに来ていた僕が振り向くと、急な斜面をものすごい勢いで駆け下りてくるエルフの少女と視線が合った……と、思った瞬間、正面から激突する。
「うああっ!」
何が何だかわからないまま視界が回転し、ようやく落ち着いたかと思うと、同じように目を回しているエルフの少女が目の前に座り込んでいることに気がついた。
「ちょ、ちょっと」
僕が声をかけると、エフェクトが消えて、ハッとしたようにこちらへ振り向く少女。
「突然、ぶつかっちゃってゴメンなさい」
握り拳で自分の頭を軽く小突いてテヘッと笑みを浮かべる少女。
なんだ、そのあざとさ。
「でもって、もういっこ、ゴメンナサイ☆」
それと同時だった、視界の左上に危険を知らせるマーカーが点滅した。
──シギャアアアアッ
反射的に振り向くと、そこには巨大な鷲、いや、鷲に見えるのは上半身で、下半身は獅子という姿のモンスターが斜面を滑り降りてきていた。
「え、エンシェント・グリフォン!?」
思わず声が裏返る。
いや、こんなところに出るレベルのモンスターじゃないし、いくら僕でも一人じゃ太刀打ちできない……って、あれ?
動揺を隠しつつ立ち上がりながら、エルフの少女に状況説明を請おうと視線を戻したのだが、すでにそこに彼女の姿はなかった。
「はやく逃げた方がいいよぉーーーーー……」
「ちょっと待てぃ!」
こちらに背を向けて走り去ろうとする少女の姿を、慌てて追いかける。
視界全体に赤い光が短くフラッシュした。
強敵の攻撃対象になってしまったことを報せる警告。
──シギャアアアアッ
「そんなんありかよ!」
レベルによる移動速度の差があるせいか、さほど苦労せずに逃げる少女の横に並ぶことができた。
「ちょっと、なんで同じ方向に逃げてくるのよ!」
「山道なんだからしかたないだろ! っていうか、どっから連れてきたんだよ、このあたりに出てくるモンスターじゃないだろ!!」
「ちょっとペットにできる動物を探してたら偶然出くわしちゃったのよねー」
走りながら無邪気に笑う少女。
この山の頂上付近にはグリフォンの巣があって、冒険者レベルが上限に達した複数のキャラクターたちがパーティを組まないと攻略できない場所だったりする。なので、素材調達目的で一人で入山していた僕も、安全を考えてこれ以上、山を登るつもりはなかった。
だが、この少女、逃げるさなかで確認したが僕よりも遥かにレベルが低い。というか、そもそもこの山に入るべきレベルではない。
さらに、エンシェント・グリフォンは極めて稀に姿を見せるレアモンスターで、倒すことで入手できるアイテムは高い値で取引される。だが、その強さは通常のグリフォンなんか足下に及ばないレベルで、熟練のプレイヤーで編成された複数のパーティが協力して挑む必要がある程の存在なのだ。
なのに、このエルフの少女ときたら。
「キミ、このあたりは詳しいの? どこか広いところまで誘い込んで反撃しましょ」
「ふざけんなー」
広い場所なんかに誘い込んだって、空を飛べるグリフォンが有利になるだけ。そもそも二人だけで戦える相手なんかじゃない。
再び、視界が赤くフラッシュする。
首だけで振り返ると、エンシェント・グリフォンが一瞬、動きを止め、大きく胸を反らす様子が見えた。
まずい!
「止まって!」
そう叫んでから、指を走らせて魔法の詠唱準備に入る。
「障壁の加護!」
──シギャアアアアッ!
僕が叫ぶと同時に、グリフォンの羽根が大きくはためき、猛烈な勢いの風が吹き付けてくる。
「きゃああああっ……って、あれ?」
彼女の声が聞こえ、とりあえず自分の背後に隠れてくれたことがわかってホッとする。
薄い光の膜が僕と彼女を包み込み、襲い来る暴風を受け流していく。
「これって、魔法なのよね、すごい!」
「まだ、だ……」
僕は上部に表示される魔法の効果時間を示す棒グラフに集中していた。
これが切れるタイミングを見計らって、次の行動を考えないといけない。
エンシェント・グリフォンの【切り刻む風】攻撃の方が、先に終わるはずだ。
あれだけの攻撃なら硬直時間も長いはず。だったら、魔法をキャンセルして、その隙に距離を稼いで……
「!!」
瞬間、HMDが振動すると同時に、ダメージを受けたことを報せる赤い光とサウンドエフェクトが発生する。
いつの間にか左肩に、鳥の羽のようなモノが刺さっていた。
そして、同じモノが次々と光の壁を突き破ってくる。
魔法発動中で動けない僕の身体に容赦なく突き刺さり、その度に自分の体力を示す棒グラフが大きく削れ、色も緑から黄色、赤へとかわり、ついには完全に消滅する。
「反則だろ……」
視界全体が上へと移動し、僕はキャラクターが膝をつき、地面に倒れ込んだことを察する。
とりあえず、ギルドチャットのチャンネルに接続して救助要請の依頼を出す。
戦闘不能状態ではチャットをすることができないので、もし、しばらく待って反応がなければ装備品や所持品のロストを覚悟の上で、ホームポイントに指定してあるギルドハウスで強制蘇生されることになる。
「M.P.K.かよ……アイテム無くなったら恨むぞ」
M.P.K.とは、モンスターから逃げる時、一定の距離を取ると、そのモンスターの標的がいったんリセットされるのだが、その仕様を利用して、モンスターを他のプレイヤーに押しつけて、結果としてそのプレイヤーを殺害する行為のことだ。プレイヤー同士が殺し合うP.K.システムがないT.S.O.では、抜け道というか、こういう仕様を利用して楽しむプレイヤーも少なからずいたりする。
だが、今回の少女に悪意があったようには思えない。
というか、彼女はどうなっただろうか。
などと考えていると、救助要請承諾の返事があったことを報せるアイコンが表示された。
「とりあえずは最悪回避かな」
僕はホッと一息ついて、いったんHMDを外す。みんなが来てくれるまで少し時間があるだろうから、その間にトイレを済ませて、机の脇に置いておいたからっぽのグラスに新しい飲み物を調達してくるつもりだった。




