第1話 プロローグ
──そうだ、あの日は雨が降っていた。
「ねぇ……大丈夫?」
中学校に入学してから数日後、季節外れの雷雨が力を失いつつある桜の花びらを容赦なくたたき落としていた。
時間は夕方になろうというあたりだが、分厚い雨雲のせいで、あたりは夜の光景になっている。
「ねぇ……」
僕が再び声をかけた瞬間、雷光があたりを照らし、一瞬遅れて轟音が背中を叩く。
乱雑に積まれたゴミとも思える荷物の間に、自分と同じくらいの少年が膝を抱えるようにしてうずくまっていた。
再度、雷が光り、手入れがされていない乱れた銀色の髪を浮かび上がらせる。
「なにしてんだよ、早く帰らないとびしょ濡れになる……って、なんだコイツ」
遅れてきた幼なじみの少年が驚きの声を上げた。
「コイツ、外国人か……珍しいな、こんなところに……って、おい、まさか……」
おそるおそるのぞき込もうとする少年に、僕は軽く頭を振った。
「大丈夫だよ、まだ生きてるよ、たぶん」
「そか、おーい……もしかして、言葉わからなかったりするとか?」
少年は持っていた傘を僕に押しつけると、ズボンが汚れることも気にせずに片膝をついて銀髪少年の顔をのぞき込む。
「なぁ、とりあえずオレの家に行こうぜ、ボロっちいけどさ、ここで濡れてるよりマシだし。それに……」
チラリとこちらを見上げて呆れたような笑いを見せる。
「このまま放っておいたら、コイツが気にしちゃって手がかかるからな。人のためだと思ってさ、素直にこいよ」
「ムチャクチャだ……」
僕は小さくため息をついてから、押しつけられた傘を無理矢理返しながら、反応を見せない銀髪少年へ声をかける。
「でも、やっぱり、ここにいたら風邪ひいちゃうよ」
そう言いながら、恐る恐る銀髪少年の手に自分の手を重ねた。完全に冷えきっていて、体温が感じられないことに焦りに似た恐怖を感じる。
澄んだすみれ色の瞳がこちらに向けられた。
──あっちにいけ。
無言の視線の中に強い意志が読み取れたが、何度目かの雷光を反射した瞳の奥に助けを求める光も見えたような気がした。もちろん、根拠はないけど……
「ほら、とっとと行くぜ」
幼なじみが有無を言わさず銀髪少年の右脇に手を入れて、力任せに立ち上がらせようとする。
抵抗の素振りを見せなかったので、僕も覚悟を決めて左脇に同じように手を差し込み、少年の上体を持ち上げた。
想像以上に身体が軽い。
「…………」
「んー? なんか言ったかー?」
「…………」
銀髪の少年はさらに何か呟いたようだったが、勢いを増した雨の音にかき消されてしまって聞き取れなかった。
なんとなく言葉を見つけられず、無言のまま濡れそぼった身体を支えながら、誰もいない道を進んでいく。
その少年の体温がどんどん奪われていってしまうように感じて、救急車か大人の助けを呼んだ方が良いのかもと焦りを感じたとき、幼なじみの少年が傘を持つ手を傾けた。
「お、雨が止んできた」
その声に顔を上げると、いつの間にか遠い西の空は雲がまばらになっていて、濃い赤色から夜空の色へ、みごとなグラデーションへと姿を変えていた。
幼なじみが器用に傘を閉じながら、肩にかけていたカバンを下ろし、中からスポーツタオルを取りだした。
「安心しろ、予備のヤツだ。オマエ運がよかったな」
そう言いながら銀髪少年の頭をわしゃわしゃと拭き始める。
「……」
隣の少年が煩わしいとばかりに上げた頭の動きが一瞬止まる。
視線を追うと頭の上あたりの分厚い雲が急速に後へと流れていて、深い藍色の空が姿を現していくところだった。
雨上がりの澄んだ夜空、そして、無数の煌めく星々の中で、一際輝く三つの星。
気がつくと他の二人も僕と同じように空を見上げていた。