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エピローグ

 南向きに面したリビングダイニングには、春の麗らかな陽射しが穏やかに、狂おしいほどに優しく降り注いでいた。開け放たれた窓からはカーテンを揺らす風が舞い込んで、微かに花々の生きている香りを運び込んできた。

 キッチンでは今日の朝食当番である海青が忙しく手元を動かしていた。昨日は白米と味噌汁、焼き魚にだし巻き卵、とお手本のような和食が並べられていたからか、洋食を得意とする海青はコンソメスープにクルトンを割り入れているところだった。

「おはよ、いい香り~」

 湯気がふわりと室内を満たす中、リビングへと入ってきたのはしっかりとメイクの終わった深月と、休日だからとだらしなく寝間着にカーディガンを羽織っただけの萌だ。

 肩先で揺れる髪の毛は落ち着いたラベンダーピンクに染められていて、耳横でひょこり、と一筋の髪が跳ねている。起きたばかりで寝癖にも気が付いていない萌を、隣に立つ深月は呆れたように笑いながらも、愛おしさを隠すこともしないで寝癖を直してやっていた。

「おはよう、二人とも」

 挨拶を返したのは海青の隣でコーヒーを淹れていた櫟で、彼の頭にも寝癖がひょっこり、といくつも宙を舞っている。微かに濡れた毛先からは直そうと奮闘したあとが窺えるが、癖付いた髪の毛の意地に負けて放置してしまったらしい。

 最年長の幼い姿に、笑みを溢したのは深月も萌も同じであった。スープをかき混ぜている海青は洗面台の前で頑張っている櫟の姿もしっかりと目撃していて、彼の胸には可愛らしい恋人の姿がくっきりと残っていた。

 ダイニングテーブルに入って来たばかりの二人が真っ直ぐ向かい、座ったことを確認してから櫟は淹れ立てのコーヒーをテーブルに置いた。今日もブラックコーヒーが三つと、牛乳が半分以上も入ったカフェオレが一つ。

 海青がコンソメスープを運んできて、四人が無事に揃ったら両手を合わせていただきます、と声の調子を重ねた。この日の朝食はピザトーストにコンソメスープ、根菜のサラダと少しだけ焦げの目立つ、スクランブルエッグだ。

「珍しいですね、海青さんが焦がすなんて」

 もしかして寝ぼけてましたか、とこんがりと茶色に色付いた卵を掬って小首を傾げる萌に、苦笑を浮かべて答えたのは櫟だった。恥ずかしそうにスクランブルエッグをかき混ぜて、上に乗ったケチャップがぐちゃりと音を醸し出す。

「あはは、ごめんね。今日は俺が作ったんだ」

「えっ!? 櫟さんが!? ……また、どうして?」

 上擦った声を吐き出したのは深月であったが、問いかけた本人である萌は驚きに掬った卵を落としてしまっていた。

 櫟は作り手として仕事を熟しているくせに、三人が揃って匙を投げてしまう程度に不器用であった。一人暮らしの経験はあるのだと胸を張ってはいたものの、洗濯物を畳めば皺くちゃにし、米は洗剤で洗おうとしてしまう始末である。コーヒーを淹れようとやかんに火をかけて、指先に火傷を負ってからは火元に近付くことさえ許されなかった。

 それなのに、一体どういう心境の変化なのだろうか。驚きと戸惑いに、深月と萌は海青へと視線を向ける。電子ケトルを買い与えたこの男が許すはずはないと思っての視線だったのだが、諦めたように溜息を溢す姿に、惚れた弱みに付け込まれたのだとすぐに悟ってしまう。

「俺が隣で見てたし。食えないほどじゃないだろ」

 焦げたスクランブルエッグを器用に箸で掬い上げる海青は、嚥下した味に満更でもなさそうな笑みを浮かべる。それを見届けた櫟は、自分の淹れたコーヒーで唇を潤してから、今度は満足したように微笑んで見せた。

「ちょっとずつ、ね。一緒にキッチンで料理するの、憧れだったから」

 照れたように頬を染める櫟と、そんな彼に温かな眼差しを向ける海青と、二人の薬指には揃いの指輪が収められている。いつの日だったか、出掛けて行った二人が泊りがけで帰ってきたその日からずっと、シルバーに光るそれが二人を輝かせていた。

 そんな二人に憧れて、深月と萌もピンキーリングを贈り合っていた。デザインも、カラーも違うものではあったが、二人の中では特別で、唯一の宝物へと変化していた。

「えー、じゃあ私も萌と一緒になんか作ろうかな」

「あ、じゃあさ、今度一緒にお菓子作ろうよ!」

 焦げの目立つスクランブルエッグをしっかりと食べきって、二人へと軽やかな眼差しを送る深月は何とはなしに言葉を漏らす。その音の響きをしっかりと受け取った萌は、きらきらと春の陽気にも負けない輝きを瞳に湛え、面白そうに両手を挙げた。

 平日の、まだ早い時間だ。街はまだ起き始めたばかりで、鳥の囀りは天高く舞い踊る。だけれど築十年になるこの一軒家では、笑い声が絶えずに沸き起こっていた。当たり前から外れた四人が、それでも互いの胸に芽生える感情を抱えて、毎日を生きている。

 積み重なった陽気が熱に身を焦がし、枯れ葉が落ちては雪に沈む。巡っていく季節の中、彼らははみ出した当たり前の中で、幸せに吐息を漏らす。

 穏やかな風が一際大きく靡き、薄いレースカーテンは衣擦れの音を鳴らす。塗り潰すように青さばかりを残す空からは淡い黄金色が降り注ぎ、目を細めてしまうほどの輝きはリビングの中を明るく照らす。テレビの横にはリモコンと一緒に置かれた写真立てがひとつ、朝陽にきらりと光りを溢す。

 それはあの日に撮った、白さを纏った幸せの集合だった。


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