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 家に帰り着いて、わたしと楓は縁側で飲み直すことにする。祖母は先にお風呂を溜めて入るという。わたしは、さっさと着替えてしまうのがなんとなく惜しかったのだが、楓の方はどうだろう。



「・・・・・うひゃっ!」



ぼんやりと縁側で座っていれば頬に冷たいものを当てられる。何かと思えば、先程買ったアイスキャンデだった。



「やめてよ!びっくりした。」


「いや、なんかぼーっとしてたから。」



笑いながら言う楓を睨みつけるが、全く気にしていない様子に、楓の弱点である脇腹を小突く。



「ちょ、そこはやめて。」


「人のこと驚かしといて、自分はだめってか?」


「いや、ごめん。ごめんて。」



くすぐったさに悶える楓に満足して手を離せば、手を塞ぐようにアイスキャンディを握らされた。



「ビール冷やした方が良さそうだから、こっちから先に食べよ。」


「あ、うん。・・・溶けてないもんだね。」



暑い中持って帰ってきたので溶けているかと思ったが、それほどではなかった。包み紙を剥がすと、なかなかのけばけばしい色である。大人になって改めて見ると体に悪そう、なんて思ってしまったが、じゃあ気にするかというと気にしない。



「あーこれすごい久しぶりに食べる。コンビニとかじゃ売ってないもんね。」


「そういえば、俺も 他で見かけたことないな。・・・これさ、すごい舌に色着くやつだよね。」


「えっ、あっ、そうだ。」



幼い頃、舌を出し合って色を確認したのを思い出す。このアイスもそうだが、かき氷のシロップでも同じことをやった気がする。


 気になったので、舌を出して楓に見せ、確認させた。



「色、変わってる?」


「あー・・・赤い、気がする。」


「ああ、赤じゃ目立たないか・・・。楓のも見せて。」


「ん。」


「うわっ、青!科学物質の色だー。」


「なにそれ。」



 互いに舌を出し合って、色を確認し合う。子どもの頃もこんなことをしたな、なんて思い出していると、楓がぽつりと言った。



「・・・・これさ、混ぜたら紫色になるのかな。」


「えー?どうだろ。」


「っていう会話をさ、あれはかき氷だったけど、大昔にしたの、覚えてる?」


「ああ、あったねそんなこと、も・・・・。」



 言われて思いだしたのは、わたしと一緒に楓がこの家に来た夏のこと、わたし達がまだ小学校の低学年だった頃だ。わたしは新しい浴衣を着せてもらってご機嫌で、楓は浴衣が動きづらいとやや不機嫌だったくせに、二人とも屋台を見ると、すぐにそちらに意識が向いた。


 毎年かき氷は半額で、あの時もわたしは赤のいちご、楓は昔から青の、ブルーハワイだった。互いの舌を見せ合って笑い合った後、楓が言ったのだ、「色を混ぜてみたい。」と。


 もう二人ともかき氷を食べ終えていて、かき氷自体を混ぜることはできなかった。じゃあ舌を合わせてみようか、といったのも楓で、面白そうだと了承したのがわたし。実行したのかといえば、それは未遂に終わった。いくら子ども同士だからと言って、一緒にいた祖父と祖母とが止めないはずはない。「大人になってからにしろ。」と大笑いしながら言う祖父を、祖母がたしなめていたのも思い出した。



「うわあ、物を知らない子どもって怖いなあ。」


「だね。っていうか、強い。」



 我がことながら呆れて言うわたしに、楓も面白そうに返してくる。


 懐かしいなあ、と笑っているわたしを、楓がやけに熱心に見つめてくるのに気付いた。そちらに目を向ければ、楓の熱っぽい視線とかち合って、狼狽える。



「・・・・・今ならどう?」


「え、」


「俺も夏織も、もう大人だけど。今なら、どう?」



言われた内容を処理仕切れなくて固まると、楓の顔が近づいてくる。咄嗟に楓の肩に手を置いて止めれば、楓は不満そうな顔をした。



「嫌?」


「嫌・・・では、ないのかもしれないけど・・・・、え、だって、わたしと楓だよ?」


「うん。」



きょうだい同然の彼と、わたしが?まさか楓がそんなことを言い出すとは思いもしなくて、混乱する。



「し、したいの?」


「したいけど。」


「・・・そ、れは、色を混ぜるのが?」


「ううん、昔とは違う理由の方が大きいかな。」



 この歳になって、さすがに楓の言うことの意味が分からない訳がない。



「お、おばあちゃんいるし。」


「大丈夫、さっきお風呂入るって言ってたでしょ。」


「あ、また行って、かき氷同士を混ぜれば、」


「やだ。」


「やだ、って・・・。」


「ごめん。」



短く謝った楓は、わたしの顔を上に向けて、そのまま口付けた。アイスキャンディーで冷えた互いの唇の感触に、ぞくりとする。そうしている間に、口の中に楓の舌が入ってきて、わたしの舌を捉えた。


 気持ちよさを追うというよりも、互いの舌を擦り合わせて色を混ぜようというような動きがくすぐったくて、状況を忘れてつい笑いそうになった。すると、今度は歯列をなぞったり、唇を啄んだりとしてくる。わたしの肩がびくりとしたことに気をよくしたのか、楓はようやく顔を離した。



「・・・ああ、案外混ざんないんだね。」


「・・・・食べてから、少し時間経ってるから。」



わたしの舌を確認してから冷静に言う楓が少し憎たらしくて、かといってそれに怒ってみせるのも癪で、口調を平坦にして言ってみた。しかし、楓はそんなことを気にする素振りもなく。



「混ざればよかったのに・・・、もっとやれば、混ざるかな。」


「むぐっ、」



もう一度顔を近づけて口付けられる。口の端から水音が零れるのがなんとも言えず、頬が熱くなるのを感じた。


 しばらく放してもらえず、ようやく離れていったところで、ついつい余計な感想が口をついた。



「・・・色じゃなくて、ビールのにおいとシロップのにおいが混ざってる。」


「あー、そうかも。」



ぺろりと、なんてことないように自分の唇を舐める楓を腹立たしく思う。自分ばかりが同様しているようで、悔しい。しかし、よくよく見てみれば、楓の耳の端が赤く染まっていることに気付く。どうやら、楓も照れているらしい。それを見て、ほんの少し溜飲が下がった。だから、多分次の一言も、楓なりの照れ隠しだったのだろう。



「ビール、飲みたくなった?」


「え?」


「夏織、甘いのよりもビールのが好きでしょ。」



そう言って立ち上がった楓は、お勝手へ向かったらしい。冷蔵庫を開け閉めする音がしたと思うと、缶ビールをニ本もって縁側に戻ってきた。縁側に座り込み、飲むか、と目で尋ねてくる。



「あー・・・・、飲もっかな。」


「うん、それがいいよ。ほら。」



 わたしが答えると、楓がプルタブを開けて、こちらに缶を差し出しす。爽快な音に少しだけ肩の力が抜ける。新しく開けた缶を、やたら熱い顔を手で仰ぎながら受け取った。ぐっと飲み干すと、喉を流れる炭酸の刺激。しかし、今日ばかりはそれだけで頭を切り換えられそうにもなかった。


 ぐぐっと二、三度煽ってから、ふうと一息吐く。それを待ったように、楓がぽつりと言葉を落とした。



「俺、ずっと変わらないものと変えるべきものとは、分けた方が良いと思う。」



ぽつりと、独り言のように楓が言う。しかし、確かに聞かせようと意図されたのであろう。その証拠に、楓はわたしのことを見つめていた。



「俺は、変わっていくことを否定するのは、寂しいし悲しいと、思う。」



 変わらないもの。この家や、そこに詰まった思い出。変えるべきもの。どうしようにも過ぎ去っていく時間に合わせての、様々なものごと。


 変わらないもの、変えたくないものを守るために、変わっていくことを忌避したり、変わっていく自分を否定したりする必要は、ない。



「・・・楓は、賢いね。」


「そんなことないけど。・・・・、ずっと変えたくない気持ちも、分からなくはない。でも、それで夏織、ずっと元気なかったから。」


「え?」


「お祖父さん、亡くなってからずっと。」



そうか、気付かれていたうえに、心配されていたのか。



「・・・・すごくよく見て、わかってるなあ。」


「まあね。・・・だから、しょっちゅうこの家に来てたんでしょ。」


「そっか・・・・。」



 祖母のことを言えないな、と内心苦笑する。変わっていくものについていけなくて沈んでしまっていたのは、わたしも同じだった。


 祖母のために、と動くことで、それを紛らわしていたのかもしれない。それについては、楓に指摘されるまで無意識だった。


 気恥ずかしい部分が多分で、素直にお礼は言えない。しかし、とてもありがたいとは思う。



「その元気のなさにつけ込むようで悪いんだけど、俺は、変わっていくのも悪いもんじゃないって、夏織にも気付いてほしい。」


「・・・・うん。」



どう答えたものか、と悩むわたしを慮ってか、楓は少し明るい声を出して言った。



「まあさ、どんなことも、あとは夏織次第なんじゃない。」


「身も蓋もないこと言うね。」


「気が置けないからね。」



 冗談めかしていて、その実、気遣いに満ちた言葉だった。それに、ふっと背中を押される。



「・・・そろそろ、腹をくくるかな。」


「・・・・・・。」


「待たせた、のかな。楓。」


「・・・・うん、待ったよ。」


「ありがとう。」



 薄く微笑む楓が、今まで見たことのない人に見えて、でもそれが嫌じゃなくて、自分でも混乱する。


 一方的に気まずくて、それを紛らわすためにビールを煽る。缶ビールはよく冷えていて、今の、大人になったわたしには、かき氷よりこちらの方が美味しい。・・・そうか、そんな変化もあるのか。変化は悪いものばかりではないし、良いものばかりでもない。全てがそうだろう。


・・・ああそうか、こうして変わっていくのか。突然腑に落ちた。それは少し怖くて、楽しみでもあり、面映ゆくもある。その決断を迫る場所としてこの場所を選んでくれたのは、きっと楓の優しさなのだろう。小さな思い出たちを集めれば、過去を失わなくて済む。でも、きっと、それだけじゃ。

 

 ぼんやりと思考しながら、蚊取り線香の香りをつまみに、一気にビールを流し込む。そうして呼吸が整ったわたしがもう一度楓に目を遣れば、楓もこちらを見ていたらしく、目が合った。しばらく無言で見つめ合った後、互いにふっと、笑みが漏れる。



「とりあえず、おばあさんに報告する?」


「・・・せめて、明日にしていただけると。」


「じゃあ明日。そんで、お盆にはまだ早いけど、おじいさんにも報告にいこっか。」



さっぱりと言う楓に、そばにはいなくなった人を想う。そうか、離れてもこんな風に、近しく想っていいのか。


 少し気が楽になった気がして、楓に教えられることは多いのだと気付く。そうか、こんな風にも変化していくものなのか。



「・・・二人とも、どんな反応するかな。」


「俺は、喜んでもらいたいけど。」


「・・・・わたしも、そうかな。」



 照れくさくて、思わず顔を背ける。そんなわたしを楓が笑った。それがやや悔しくて睨み付けたところで、ふと思い出す。



「あ、二人への報告の前に。ちゃんと言葉にしてよ。」


「えー。」


「えー、じゃなくて。・・・おばあちゃんやおじいちゃんの前に、わたしが最初がいいんだけど。」


「・・・・なるほど、照れるね。」


「ね。」



 締まらないな、なんて思っているのは、おそらくお互い様だろう。それでも一応、互いに背筋を伸ばして、少し距離を詰めた。



「えーと・・・、夏織さん。」


「何でさん付け?」


「・・・・茶化さないでよ。」


「ごめんなさい、楓さん。」



突然改まった楓がおかしくて笑えば、頭を軽く小突かれる。それでも笑うわたしを嗜めるように、楓はわたしの肩を抱き、耳元に口を寄せた。



「夏織。」


「はい。」


「俺と、これから先も・・・・、一緒に過ごしてください?」


「・・・何で疑問形だよ。」


「照れ隠しだよ。分かってるくせに。・・・返事は?」


「・・・・もちろん、喜んで。」



 子どもの頃の内緒話みたいに肩を寄せ合って、これから先の、変わっていく関係の話をする。そうして、これから先も、わたしたちは繋がっていくのだろう。

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