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わたしはといえば、楓が去ったあとに、顔を洗ってメイクして髪を簡単に結い上げた。着付けは昔、祖母に教えてもらったので、自分でできる。浴衣を取りに行くと、すでに着替え終わった楓が浴衣姿で寛いでいた。背中を見て、祖父とはまた違うなと感じる。
「おばあちゃんに着せてもらったの?」
「ううん。」
「着方知ってたんだ。」
「ううん、調べた。」
敢えて何もなかったように声を掛けると、楓も特に蒸し返すようなことはせず応じてくれた。スマホで調べただけで、初めてでも自分で着付けできるのが、器用な楓らしい。羨ましいことである。
「かおるちゃん、これ浴衣。着替えたら、ぼちぼち出ましょうかね。」
「ありがとう、おばあちゃん。」
祖母も、何も言わずにいつも通りに振る舞ってくれる。だから、わたしはまた能天気な孫でいることができた。
二階に場所を移して、着替える。此処は父の実家なのだが、この部屋は子どもの頃父が使っていたらしい。部屋の扉や押し入れに、色の変わったシールやステッカーが貼られているのが、時間の流れを感じさせる。当たり前だが、父にも子どもの頃があったのだと、見る度に気付かされる。
久しぶりに着た浴衣は、さらりとして気持ちが良かった。汗をかくとまた感じ方は変わりそうだが、色合いといい感触といい爽やかで、なんとなく落ち着く。祖母が仕立ててくれた、というのも、大いにわたしの心理に働いていたのかもしれない。
帯は、凝ったことはできないので、基本中の基本、文庫結びにする。というか、これ以外の結び方は知らないので、選択肢はない。共布で作られた巾着まであって、さすが祖母だなと思う。入れるのは、財布やハンカチくらいで十分だろうか。
巾着だけ持って階下に降りれば、玄関で祖母が下駄を出してくれていた。
「おばあちゃん、着たんだけど、変なとこない?」
「あら、可愛い。作った甲斐があるわあ。」
にこにこ言う祖母の目には、まだわたしは小学生くらいに映っているのかもしれない。しかし、ここで変に否定するほどにはもう子どもでないわたしは、ありがとう、と一言返した。
「なに、夏織、着替え終わったの?」
「ああ、楓お待たせ。」
振り向けば、楓がいた。背の高い人が浴衣を着ると迫力があるな、なんて改めて思いながら眺めていると、何故か楓は固まっている。なんでだ。
「おばあちゃんが作ってくれたの、似合うでしょ?褒めてよ。」
「・・・・・。」
「ちょっと。」
戯けて見せても無言のままの楓に詰め寄ると、はっとしたような表情をする。
「・・・あー、夏織、浴衣着たのいつぶり?」
「え?高校・・・いや、中学生ぶりとか?あ、いや、高校の文化祭でも着たかもしれん。」
あまりはっきり思い出せない昔のことを掘り返していると、そっか、と楓がし小さく呟いた。自分から訊いといてなんなんだ。
「いや、通りで見たことない感じだと・・・。俺が最後に夏織の浴衣を見たの、多分小学生の頃だな。」
「え、そう?」
「なんか、知らない人みたいに見える。」
「・・・・・・。」
その言葉に、ふと腑に落ちる。そうか、変わっているのはわたしもだったか。
「とりあえずそろそろ行こう。ビール飲みたい。」
「・・・・いや、マイペースかよ。」
いつも通りの調子で言う楓に脱力する。さっさと下駄を履き始めた楓の隣に並んで下駄を履く。
「財布とハンカチくらいでいいよね。」
「あと、スマホ?」
「あー・・・・、わたしはいいや。」
「じゃあ俺も置いてこ。」
そんな会話をしながら、玄関を出る。祖母も続いて出てきて、わたしたちに声を掛ける。
「二人とも、念のため虫除け付けてきなさい。」
「はあい。」
「ありがとうございます。」
各々答えて、虫除けスプレーを掛ける。独特な匂いがまた、夏らしい気がする。祖母は最後に自分にもスプレーし、玄関の棚にスプレー缶を置いてから鍵をかけた。
「じゃあ、しゅっぱーつ。」
わたしが緩く言うと、祖母が笑った。楓は特に反応しない。通常運転だ。
カナカナカナカナカナ・・・・・
ヒグラシの声が切なく響いてくる。夕暮れにはまだ少し早いが、着実に近付いてくることを知らせるようである。
夏祭りの会場は、大して遠くない。ぶらぶら歩くうちに、太鼓の音が聞こえて来る。笛の音も聞こえ始めた。
まずはお参り、というのを常としていたため、で店をチェックしながらもまずは神社に向かう。楓も覚えていたのか、
神社の階段を降りているとき、先を歩く楓が突然振り返って言った。
「浴衣、似合ってる。」
「・・・・ありがとう。」
何だか変なタイミングで告げられた感想に、反応が遅れる。しかし、わたしの反応なんて気にしないかのように前を向いた楓、なんとも言えないものを感じつつ、その思いに名前を付けるのはやめておいた。
その後は、ふらふらと出店を冷やかして回った。最初に半額に釣られてかき氷を買い、溶けない内にと食べた後は、欲しいと思ったものを欲望のままに買う。わたしはいちご、楓はブルーハワイ。なんだかんだ、いつも同じ味を選んでしまう。祖母はいらないというので、一口だけ分けた。大人の特権である。いくつも袋をぶら下げて、広場に設営されている休憩所に陣取り、買ってきたものを並べる。
ビールとフランクフルトと焼きそばと焼き鳥、イカ焼きにたこ焼きに大判焼き。たくさん買っても、何せ楓が一緒なので安心だ。何でもきれいに食べてくれる。
こうしてみると、しょっぱいものばかりだ。昔は大好きだった綿菓子やりんご飴は、今のわたしには甘すぎる。しかし、唯一ベビーカステラだけは、今も好き。祖父も、夏祭りでは必ず大きい袋で買って、自分の口だけではなく、わたしや楓の口にも放り込んでいた。
祭囃子に、子どもたちのはしゃぐ声。出店からの煙、ソースの香ばしい匂いに、砂糖の甘い匂い。空気がまさにお祭り、という感じで、その中にいると年甲斐もなくわくわくとしてくる。
小さな子は親に手を引かれて歩いていく。駆け出す小学生の群れに、気怠げな中学生たち。こうして見ると、高校生くらいの子達はまだいない。もう少し遅い時間に来るのだろうか。
周りを眺めながら、だらだらとビールを飲み、あれこれつまむ。ビールが切れたら、また買いに行って飲む。わたしも楓のよく飲む方なのだが、それが昔の祖父と似ていたらしく、自分は飲まない祖母も楽しそうに加わってくれた。
空気感は昔から変わっていないが、その只中にいる自分は確かに変わっていて、当然のような気も、すごいことのような気もして、不思議だ。
お腹が膨れて満足したところで、祖母のことも考えて早々に帰ることにする。その前に金魚すくいと射的だけしようと楓を誘うと、見た目が変わったところで中身は変わらないね、と笑われた。そのくせ、金魚すくいも射的もわたしより上手い。そして、その成果でわたしを揶揄ってくるあたり、楓だってまだまだ子どもっぽい。
金魚は逃がし、お土産は射的のお菓子と帰り掛けに買ったアイスキャンディー、それから飲み足りないという楓が酒屋さんで買ったビール缶のパックとなった。
アイスキャンディーは駄菓子屋さんの出店に売られていたもので、懐かしさに惹かれてついつい買ってしまった。かき氷も食べたのに、なんて祖母には言われたが、虫取りや海遊びの帰りに、いつも祖父に買ってもらっていたことを思い出したのだ。赤のいちごがわたしの、青のサイダーが楓の。これも、昔から変わらない。
買ったものをぶら下げて、ゆっくりと帰り道を歩く。その時に高校生くらいの女の子たちが、浴衣姿ではしゃぎながら歩いているのとすれ違った。可愛いな、なんて思って、自分にもあんな時期があったことと、そこから大分時間が経っていることとに気付いて、内心苦笑してしまう。
わたしがあれくらいの時は、楓とは別の高校に通っていた。それでも交流が途絶えなかったのは、家の近さか、気の置けなさか。男女の幼馴染なんて、疎遠になってもよさそうなものなのにそうはならなかった。
いや、本当は気付いているくせに、見ないふりをしたと言うべきだろう。
・・・自分へのつっこみには、そっと蓋をしておく。このことに関しては、わたしはひどく臆病な自覚がある。
孫のわたしを差し置いて、祖母と並んで前を行く楓の背中を目で追う。わたしの大切な人たちは、わたしより先に進んでしまうらしい、なんて、我ながら馬鹿なことを考えるものだ。祖母に言われた言葉が、今更頭の中でぐるぐると回る。・・・あれくらいのビールで、酔いが回ったのだろうか。