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 目を覚まして時計を見ると、一時間と少し経っていた。短い眠りだったはずなのに、やけにすっきりしている。思えば、こんなに深く眠ったもの久しぶりだったかもしれない。このところ忙しさにかまけて、睡眠を疎かにしてきた自覚はある。


 ぼんやりする意識は徐々に覚醒していく。ふと、隣を見ると、楓はまだ眠っていた。幼く見える寝顔に笑みが溢れるが、とは言え記憶の中の寝顔よりも余程成長している。大きくなったなあ、なんて、どこからの視点なのか分からないことを思いながら、楓を起こしてしまわぬように気を付けて体を起こした。


 喉の渇きを覚え、お勝手に向かう。食器棚から、小さい頃からわたし専用になっている、猫がプリントされたコップを手に取る。間の抜けた顔が何とも可愛らしいのだが、子供の頃は変な顔、としか思わなかった。冷蔵庫から、麦茶の入ったガラスのボトルを取り出して、コップに注ぐ。ゆっくり飲み干せば、寝起きの火照った体が冷えていくようで心地よい。もう一杯、と注いでから居間に向かうと、縁側に祖母が座っていた。蚊遣りの煙と、軒先の風鈴と、小さな祖母の背中。何故か込み上げてくるものを感じて、ぐっと堪える。きちんと笑顔を作ってから、驚かさないように声を掛けた。



「おばあちゃん、おはよー。」


「ああ、起きたの。よく眠れた?」


「うん。あ、楓はまだ寝てる。」



どうやらレース編みをしていたらしい祖母は、編み棒を置いて老眼鏡を外した。手芸全般得意な祖母に憧れはするが、せっかちで大雑把なわたしに手芸は向いていない。ボタンの付け方やなみぬい返し縫いなど、基本的なことは祖母に教わってできはするが、一つのものにじっくり取り組む根気が足りないのだろう。



「まだ、着付けには早いわねえ。」


「うん、もう少しゆっくりしてからでいいよ。」



 祖母の隣に座り、庭に目をやると、陽の光がほんの少し、橙色を帯びてきている。夕方が近付いてきているのを感じながらぼんやりしていると、祖母がぽつりと言った。



「かおるちゃん、長いこと心配掛けたわね。」


「・・・・へ?」



ぼんやりしていたところに投げられた言葉を上手くキャッチできず、間の抜けた声を出してしまった。そんなわたしに、祖母は穏やかに続けた。



「わたしのこと、ずっと心配してくれていたでしょ?」


「・・・・・。」



肯定すればよいのか、否定すればよいのか。答えあぐねたわたしに、祖母は諭すように、一方で自分に言い聞かせるように言った。



「あの人が、行ってしまって・・・、覚悟はしてたはずなのに、びっくりするくらい、周りがぼんやり霞んじゃってね。そんな繊細なつもりなかったから、驚いちゃったわ。」


「・・・繊細じゃなくても、悲しいものは悲しいでしょ。」


「まあ、そうなんだけど。でもね、もう、いいの。」


「・・・ほんと、に?本当に、もう、いいの?」



祖母の言いたいことは分かっているくせに、答えを聞くのが怖くて、そのくせ言わずにはいられなくて。声が震えるのを感じながら、ああ、自分の方が余程未練をもっていたのでは、気付く。



「いいのよ、繋がっていくんだから。・・・最近、ようやくそう思えるようになったの。」



目を瞑り、手を胸の前で握り合わせて、祖母は言う。祈るように。遠い誰かに伝えるように。それでいてきっぱりとした言葉に、祖母が強がっているわけではないことが伝わる。


 それがあんまり嬉しくて。その反面、あんまり悲しくて。わたしは、ただ黙って祖母の横顔を見つめていた。



「寂しいし辛かったけど、悪いことばかりじゃないの。あの人が見られなかったものやことをたーくさん持って向こうに行けるのなら、それ以上のお土産はないでしょう?『こんなに素敵なことがあったのよ。』って、自慢してやるんだから。」


「・・・例えば、どんなこと?」


「うーん、そうねえ。あの人と庭に植えた花が、毎年きれいな花を咲かせたり、ひとりでふっと物思いにふけってあの人を思い出すことが、案外素敵な時間だったり。・・・あとはもちろん、可愛い孫達が大人になってもこうして遊びに来てくれたり、お話をしてくれたりすることも、ちゃあんと伝えなきゃね。」



 すっきりとした顔で笑う祖母は、吹っ切れたようにも見える。


 ようやく。


 わたしを置いて。


 相反する二つの想いは、結局はといえば、前者の方がよほど大きかった。込み上げてくるさまざまなものが、わたしの涙腺を刺激する。しかし、そんな顔を見せたくはなくて、両手で顔を覆った。



「・・・・やめておばあちゃん、ちょっと泣きそう。」


「ふふふ、かおるちゃんってば。」



小さな頃されたのと同じように、わたしの頭を優しく撫でる祖母に、いよいよ涙腺が決壊した。


 指の隙間から、涙が溢れていくのを感じる。ただ、まだその涙に名前はつけられないくらいには、気持ちが混乱していた。そんなわたしを宥めるような優しい声音で祖母は言う。



「心配掛けたわね、ありがとうね。」


「・・・・わたしがしたくて、してきたことだから。」


「そう言ってくれるのも、ありがとう。」



いよいよ止まらない涙に、嗚咽だけは堪える。しばらくそうしている内に、徐々に涙は落ち着いてきた。できる限り深く呼吸して、息を整える。それでも、ぐしゃぐしゃな顔を見られたくはなくて、俯いたままでいた。すると、祖母がすっとわたしから離れる。



「じゃあ、わたしは浴衣の用意をしておくから。・・・あとは、楓ちゃんお願いね。」


「え、」


「はい。」



 そこでようやく、楓もいたのだと思い出した。いつのまにか起き出していた彼は、わたしたちの会話を背後で聞いていたらしい。


 祖母がいたのと反対側に、とすんと、楓が座るのを感じた。祖母は立ち上がって去って行く。ぐしゃぐしゃになっている顔を考えると手が離せないのと、なんとなくの気まずさから黙っていると、楓は用意したらしい冷たい濡れタオルで、ごしごしとわたしの顔を擦った。



「ちょ、かえで、」


「どうせすっぴんなんだから文句言わない。さっぱりするでしょ。」



冷たいタオルは確かに気持ちが良いが、拭き方は若干乱暴である。タオルが離れたところで抗議の意を込めて睨みつけると、目元に二本目のタオルを押しつけられる。じんわりと冷たい。



「このあとメイクするんだったら、腫れないようにちゃんと冷やしときなよ。」


「・・・ありがと。」



素直になりきれなくて、不貞腐れたような声が出る。楓がそんなわたしを笑う気配がして、それがまた悔しい。子どもじみているな、と思っていると、突然、わたしの体に手が回って引き寄せられた。



「・・・ちょっと、楓?」


「ほら、昔はこうして泣き止ませたから。」


「・・・子どもじゃないんだから。」



口ではそう言いつつ、子どもの頃のように、楓の背に腕を回し、ぎゅうと抱きつく。すると、頭をぽんぽんと撫でられた。それが、昔お互いのどちらかが泣いている時に慰め合う方法だったことに気付き、笑ってしまう。自分とは違う体温と、ほんの少しの汗の匂いに、気持ちが落ち着いていくのを感じた。


 普段だったら、わたしが泣こうものなら揶揄ってきそうな楓だが、今回はただ、黙ってそばにいてくれた。わたしが落ち着いたのを見計らって、そっとそばを離れる。その気遣いがありがたかった。



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