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ジジジジジジッ、ジジジジジジジッ・・・・・


 汗を拭うために顔を上げると、響くアブラゼミの鳴き声に気付かされた。熱さにゆだった頭が更に掻き乱される。これがせめてミンミンゼミだったらなあ、なんて思いつつ、元来それほど繊細でもないわたしは、意識せずとも作業に没頭すれば、頭の中からその音はすぐに排除されてしまった。


 炎天下、真っ青な空と容赦なく照りつける日光のもと、齢四半世紀となんなんとするいい歳した女が何をやっているかと言えば、それは、一人暮らしの祖母宅における草むしりである。わたしの実家から車で一時間たらず、現在一人暮らしをするわたしの自宅からは、より近く、電車とバスで四十五分ほどの場所だ。


 祖父を亡くして以来一人となった祖母は、わたしの両親の「心配だから一緒に暮らそう」という申し出を断り、今なお一人きりでこの家に住み続けている。祖母曰わく、大変なことも楽しいことも全て詰まったこの場所から離れたくないとのことだ。それをわたしの両親は、遠慮してのことだと考えたようだが、実際は違う。


 孫の目から見てもとても仲の良かった祖父母夫妻は、本当にお互いを大切に思い合っていた。三年前に祖父が亡くなった時、「歳が歳だから。順番は変えられないね。」と落ち着いた様子を見せていた祖母が、内心、とても悲しんでいたのをわたしは知っている。孫だから逆に言いやすかったのか、彼女はこの家を離れたくない理由を、「あの人の思い出を少しでも辿りながら、残りの人生を生きたいの。」と、そっとわたしに耳打ちした。わたしはそれを、わざわざ他の親戚や両親に伝えることはせず、しかし、彼女がこの家で穏やかに過ごす手伝いはしたいと、時折通ってきている。


 祖父を亡くしてから、祖母は段々と小さくなっていくように感じる。もちろん加齢もあるのだろうが、なんとなく、彼女は早く祖父の元に行きたがっている感じがするのだ。しかし、孫であるわたしは相当のおばあちゃん子、おじいちゃん子であった。我が儘かも知れないが、祖母にはまだまだ元気でいてもらって、祖父との惚気話を聞かせてもらったり、わたしの大好物である、彼女お手製のとんでもなく美味しいいなり寿司やポテトサラダを作ってもらったりしたいのだ。だから、仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたりする度に、わたしは祖父に『もう少しだけ、おばあちゃんとの時間を過ごさせてね。』とお願いする。祖母のことが大好きだった祖父は、孫であるわたしにも随分甘い人だったので、きっと待ってくれると思う。



「かおるちゃん、そろそろ休憩にしてちょうだい!」


「ありがとー!」



 縁側から、祖母が声をかけてくれる。ちょうど頭がぼんやりとしていた頃だ。熱中症になって迷惑を掛けるよりは、お言葉に甘えて休み休みやるべきだろう。



「楓ー、休憩にしよー。」


「おー。」



声を掛けると、庭の向こうで長身の男がぬっと立ち上がる。そう、実は今日は助っ人がいるのだ。


 頭に麦わら帽子を被り、小鎌を持って、半袖Tシャツの袖を更に肩までまくりあげた姿の彼は、わたしの幼馴染みの楓だ。彼はわたしの実家のご近所さんで、同級生でもある。昔から家族ぐるみの付き合いがあり、長期の休みなどは、海にほど近いこの家に、一緒に遊びに来たこともあった。


 思春期を経ても、別々の大学に進学しても疎遠にならなかったわたし達は、腐れ縁というかなんというか、社会人になった今でもまだ繋がりがある。楓も一人暮らしをしているのだが、それがわたしの住んでいる町から電車で三駅分離れた町で、一緒に出かけたり食事をしたり、というのに誘い合いやすい距離なのだ。ちょっと飲みたい時、一人では行きづらい場所に行きたい時に、お互いに声を掛け合う。気の置けない、家族同然の友人といった感じだ。きょうだいくらいの感覚かもしれない。


 今週末一緒に出かけないか、という彼からの誘いを、祖母宅の手入れに行くと断ったのだが、「じゃあ俺も。」といって着いてきたのだ。その上、有給消化のために月火と二日間休みを延長しているわたしに合わせて、自分まで有給をとった。最初は申し訳なさが勝ったのだが、知らない間柄ではないし、俺がやりたいから、と言われれば、まあそこまで恐縮する必要もないのかな、と思い、お願いした。とはいえ、せっかくの休日に手を借りるというのは少々気が引けるので、今度食事でもごちそうしようと思う。



「かおるちゃん、かえでちゃん、お疲れ様。ほら、麦茶と梅ゼリー。」


「わあい!いただきまーす。」


「いただきます。」



 祖母が持ってきてくれた盆には、きちんと煮出して淹れられた麦茶と、祖母特製の梅ジュースを使って作られたゼリーとが乗っていた。どちらもよく冷やされ、日光に灼かれた頭をすうっと冷やしてくれる。


 縁側に座ると、ちりりん、と、軒先に吊された風鈴が、控えめな音を立てた。汗に濡れ背中に張り付くTシャツが、扇風機の風に冷やされる。徐々に火照った身体が冷まされていくのが心地よいが、作業が終わったらシャワーを浴びたいな、とも思う。


 ふと香るのは、蚊取り線香の香りだ。蚊は嫌がる匂いなのだろうが、わたしはこの、夏を感じるにおいが好きだ。一人暮らしを始めてからも、アパートのベランダでわざわざ焚くくらいには好きで、焚く時には必ず、この祖母宅で余っていた愛らしいぶた型の香立てを使う。


 ゼリーのつるりとした食感や鼻に抜ける甘酸っぱく爽やかな香りをゆっくりと楽しみながら、庭を眺める。それほど広い庭でもないが、夏になると草木は勢いづくものである。ここまで休憩を挟みつつ作業を続けて二時間ほど、ようやく三分の二くらいが終わった。今の時間が十一時なので、頑張れば、昼食の時間までには終わりそうである。午後になると更に気温が高くなるだろうから、できれば午前中に終わらせたいものだ。


 ふと、隣に腰掛け、祖母と話す楓を見る。彼も汗だくで、着ている紺色のTシャツは、元々の色よりも大分濃い色になっている。そんな彼の姿がなんとなく懐かしいのは、幼い頃にこの場所で、同じような時間を過ごしたことがあるからだろうか。


 昔はわたしの方が背が高かった。一緒に歩くと、姉弟に間違われたものだ。その度に、わたしは楓が寄り身近なものに感じられて嬉しくなり、一方の楓は、小さいということかと少々むくれた。そんな彼が、いつのまにこんなに大きくなったのか。思春期にぐいぐいと身長を伸ばしてわたしを追い抜いた彼は、女にしては長身のわたしよりも、さらに十五センチメートル程上を行く。最近小さく感じられる祖母と並ぶと、余計に大きく見える。歳をとってからは多少縮んだらしいが、祖父も大きな人だった。もしかすると、若い頃は今の楓と同じくらいだったのかも知れない。


 時間というのは、気付かない間にもどんどん過ぎるものだな、なんて当たり前のことを、今はもういない祖父との思い出や、様子を変えていく人たちの姿に重ねて思う。



「夏織、まだへばってない?」


「――うん、大丈夫。」



ぼんやりしていたわたしを気遣ってか、楓がわたしの顔をのぞき込んでくる。楓は無表情だと言われることが多いが、一緒に過ごした時間が長い分か、表情を見れば、わたしはなんとなく楓の考えていることが分かる。他の人からすればぼんやりした表情に見えるかもしれないが、今は、わりと本気で心配している顔だ。これだけ暑ければ、当然かも知れない。



「楓こそ大丈夫?今日は本当にありがとうね。」


「それもう、何回目か分かんないくらい言われてるけど。」


「いいじゃん、感謝は何度伝えたって。」



わたしの言葉に、楓がふっと小さく笑う。大きくなった楓とのやりとりはいつも通りで、距離の変わらなさを感じる。変わらないものが却って嬉しい事もあるな、なんてとりとめもなく考えた。



「さあて!もうひと仕事、頑張るかあ!」


「おー。」


「ふふふ、二人ともありがと、無理しないようにね。」



やる気のなさそうな声を出す楓と共に、祖母の声を背中に受けながら、照りつける日差しの下に戻る。ぎらぎらと容赦がないが、それが逆に夏という季節を分かりやすく身体に教えてくれるようで気持ちが良い。あと少し、と自分を励ましながら、作業に戻った。

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