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第五話 中編

 彼はしばらく、父の胸に顔をつけて泣いていた。ようやく誰かが通報したのだろうか、どこかから救急車のサイレンの音が聞こえてくる。

 

 どれくらい泣いていたのかは、正直分からない。気づくと、肩に誰かの手がそっと触れているのがわかった。

 

 「藤沢。ひかりが……人質に取られていると思う」

 

 相楽は秀樹の傍にしゃがみこみ、彼の肩をさすった。

 

 秀樹は嗚咽を漏らしていたが、やがて無理やり深く深呼吸をした。鼻水にまぎれて、粉塵交じりの空気が入り込んでくる。

 

 「ああ。オレも、そう思う」

 

 ゆっくりと立ち上がると、ポケットからハンカチを取り出して思い切り鼻をかんだ。

 

 「ふう……すぐに行こう。牧原を助けないと」


 いろいろと付いて汚くなったハンカチは投げ捨てた。

 

 手首に着いた装置を起動し、再び銀色のアーマーを装着する。そして左手のコアを覚醒させた。

 

 「その前に……龍二さん、聞こえる?」

 

 ヘルメットに耳を当て、いつもの相手に通信を試みた。

 

 「そう……そう……あとは頼むよ。オレは秋也を止める」

 

 足早に用件を伝え、彼は通信を切った。

 

 すぐに空中に飛翔し、高度を上げる。振り返らなくても、相楽がついてきているのは分かった。

 

 「今の、沢井龍二に何か頼んだんでしょ?」

 

 雲の層を抜けるとき、黒マントをはためかせる相楽が隣に並んできた。

 

 「さすが、龍二さんのことも知ってたか。まあ、そうだよ」

 

 「業界の中では、かなり有名な兵士だからね……ってブルームが言ってた。で、何を頼んだの?」

 

 秀樹は背後をチラッと振り返る。

 

 「父さんの遺体の回収を頼んだ。一番信頼できる人に頼みたかったから」

 

 もう既に、父が亡くなった都市の風景は見えなかった。

 

 行きと同じ航路を進み、彼らはただ海が眼下に広がる光景を眺めていた。フォルティアの超能力によって、彼らの周りだけ気圧が保たれており、楽に呼吸も会話もできた。

 

 もう足元に延々と続く、地面のないことへの違和感に悩まされることはない。相楽に連れられて、かなりの長距離を無理やり飛行したことで、すぐに順応することができていた。

 

 そのため、行きよりも秀樹は、自身の身体に負担がないように感じた。もちろん、父を失ったことの喪失感は差し置いて。

 

 「見えたね」

 

 相楽が先に、二人が住む町の姿を発見した。

 

 時間は明け方近くになっていた。背後から追いかけてくる太陽が、地球の陰から顔をのぞかせ始めている。

 

 秀樹は少しスピードを緩ませ始めたが、ライトの戦場に向かっていたときほど緩めなかった。視界にぐんぐんビルや道路が入ってくるのにも関わらず、まっすぐに一点へ向かって降りていく。

 

 最後にもう一度スピードを緩め、秀樹は一人で着地した。

 

 立ち上がる時、地面に足の跡がくっきりと残った。これに誰かがトンボ掛けをするのだろうか。

 

 そこは秀樹が何度も訪れた公園。リーディックと戦い、牧原とデートし、そして――

  

 「待ってたよ、秀樹」

 

 この憎き宿敵。近藤秋也と初めて会った場所だ。

 

 秋也はドーム型の遊具のてっぺんに座っていた。その隣には牧原ひかりが、手錠をはめられて口をテープでふさがれ、無理やり座らされている。

 

 牧原の顔は青ざめていた。秋也がどんなに危ない能力を持っていて――そして性格も危ないやつだということを知っているからだ。

 

 「約束通り、来たぞ」

 

 「うんうん。いいよ……まずはそのふざけたマスクを脱ぎ棄てんかいコラアッ!」

 

 いきなり目が血走り、凶器に満ちた顔で秋也は怒鳴った。

 

 秀樹は何も言わず、手首のスイッチを操作してアーマーを解除した。一瞬光に包まれ、学ラン姿の高校生に戻る。

 

 「脱いだぞ」

 

 落ち着いた声で秀樹は告げた。幾多の修羅場を潜り抜けてきた秀樹にとっては、たかが高校生に怒鳴られることくらい、なんてことはない。

 

 彼が本人であることを確認すると、秋也は指をパチンと鳴らした。


 すると、どこに隠れていたのか――公園の四方八方から、明らかに【プロ】の雰囲気を醸し出す男たちが現れた。

 

 「お前の部下か?」

 

 「そう。もちろん全員リーディックに改造済みだ。もしきみがコアを使えなくなれば、ぼくが直接手を下さずとも、きみは終わりってこと」

 

 くっくっくと、秋也は手を口に当てて笑う。激怒したかと思ったら含み笑いとは、情緒不安定なやつだと秀樹は思った。

 

 「お前が組織のボスらしいな、秋也」

 

 「そうだよ。ブルームに初めて会って逃亡したあと、やつに確実に勝つ力をつけるために組織に近づいた。構成員たちに力を示すために、手っ取り早い手段と思ったから、当時のボスを暗殺したのさ」

 

 秋也の口調は軽い。本当に、人を殺すことを何とも思っていないようだ。

 

 「どうやら昔最強だったレドウィンってやつの力を、その……なんとかっていうドイツ人は持ってたみたいだけど、背後からブスリで一発だった。ブルームを不意打ちで追い詰めたらしいけど、まさか自分自身が不意打ちされるとは思ってなかったみたい」

 

 「その後、組織を手中に収めて、レドウィンをベースとしたリーディックに自分を改造したのか?」

 

 「お、よくわかったね。そうだよ。メルバの力も加えて、最強のリーディックと言われたレドウィンの力も取り込んだ。これでブルームに負けるはずはないと思うが……念のためだよ。もう一つ、ぼくの力を完璧にする」

 

 秋也は遊具の上で立ち上がると、秀樹の方に手を差し出した。

 

 「さあ、コアを渡すんだ。それできみは力を失い、ヒーローとしての責務から解放される。ついでに、生きる責務からもね」

 

 秋也の言葉に合わせるかのように、周囲を取り囲む組織の男たちの輪が、一歩ずつ縮まった。そして全員が、いつでも秀樹を攻撃できるように、両目から紫色の光を放ち――身体強化のスイッチを入れている。

 

 秀樹は黙って、自分に手のひらを向ける秋也を見つめていた。次に牧原の方を見て、怯える彼女を励ますかのように、ニコリと笑う。


 やがて地面に目線を落とすと、ふううう……と長いため息をついた。


 「わかったよ。渡そう」


 秀樹は左手を掲げた。秋也に見えるように手の甲を向ける。


 緑色に光りだし、そして楕円形の半球が手の甲に現れる。まさしく、フォルティアの力の源である、コアだ。


 「それがあったからこそ、きみは力を出せたんだね。フォルティアと地球人のハーフだなんて……嘘だったわけだ」


 「ああ。その通りだな」


 秀樹は感情のない声で応えると、高く掲げた左手の甲に向かって自分の右手を伸ばした。


 今こそ、最強の力が手に入る。秋也は舌なめずりをして、秀樹がコアを取り外すのを見守った――


 ふと、組織の部下たちの一人が空を見上げた。


 「ボス、何かが……」


 その男に吊られて、他の者たちも上空に目線を移す。秋也は秀樹の方を注視していたが、やがてめんどくさそうな顔をして、彼も空を見上げた。


 何かが降ってきた。いや、誰かが。


 黒マントの人物が秀樹の前に着地した時、秋也は立ち上がった。


 「ブルーム!」


 彼の全ての行動原理が、ブルームへの復讐のためにある。その勢いは凄まじく、誰にでも止められるものではない。


 秋也の両目が紫色に光った。そして背中から触手のようなビームが大量に飛び出す。


 「死ねえ!」


 右手を黒マントに向ける。すると、空高く登った黒いビームが一斉に向きを変え、黒マントめがけて降り注いだ。


 秋也の頭の中は、ブルームへの復讐でいっぱいだった。確実に、殺す。その一点だけしか考えていない。


 黒いビームの群れが、黒マントに全弾到達し、その古風な布で織られた膜を貫く。


 「……ん?」


 秋也は気づいた。黒マントは、ビームが貫通すると同時に、まるで陶器の花瓶のように砕け散ってしまったことに。


 フェイク。ただのダミー人形。その事実が秋也の頭に染み込み、血管の中身が沸騰していくのが分かる。


 だがこれで終わらない。動きはもう一つあった。


 貫通したビームが地面に着弾するのと同時に、秀樹が空中に飛び上がっていた。


 「プレゼント、だ!」


 秀樹は思い切り振りかぶると、秋也の方に何かを投げた。


 すかさず、部下の一人が秋也の前に飛び上がり、投げられた物体を空中で叩き落す。


 ザっと土を払う音と共に、カプセル状の物体が地面に落ちた。


 「なんだ、こ――」


 秋也の言葉をかき消すように、物体から銀色の光が炸裂した。


 まだ薄闇が消えていない明け方の公園を、目を貫かんばかりの閃光が満たす。


 「目くらましか! そんなもの、効くと思うか!」


 部下たちが秋也を守るように集まり、秋也が立つドーム状の遊具の前に壁となって立ちふさがる。


 全員が、目を紫色に光らせたリーディックだ。これ以上の鉄壁のボディガードは、存在しないだろう。


 「そりゃあ。目くらましだったら、な」


 秀樹が跪くように着地した瞬間だった。


 公園内の至る所で、バチバチとした放電が発生する。局所的に地面を穿つように落ちてきた電気の波は、まだ先ほどの閃光がやんだばかりの公園の中を騒々しく彩った。


 放電が発生した場所に、一斉に黒い戦闘スーツを着た隊員たちが現れる。


 彼らは周囲をクルリと見回すと、秀樹の姿を認め、装備していた小銃を一様に上に掲げた。


 「藤沢隊長、ご指示を!」


 1人、胸に青いラインが入った隊員が秀樹に張りのある声をかける。


 秋也はあっけに取られていたが、すぐに状況を飲み込んだのか、再度手をパチンと鳴らした。彼の号令により、組織の部下たちが一斉に散開する。


 秋也は憤慨したように歯ぎしりし、足元で震えている牧原を引き寄せた。いくら秀樹が策を練ろうと、人質を有効利用すれば済む話だ。


 「まったく。それがきみの奥の手――」


 秋也の後頭部に衝撃が走り、しゃべりかけていた彼は舌を噛んだ。


 何か黒い影が彼の横に踊り出る。それは牧原ひかりの身体を秋也から奪い取ると、空高く跳躍して公園の端に着地する。


 一瞬の浮遊感から解放された牧原は、ゆっくりと自分を助けてくれた人物を見やる。その顔には、はっきりと見覚えがあった。


 「ルミナ……?」


 「よくがんばったね、ひかり」


 黒いマントの奥から笑いかけると、相楽ルミナは牧原の手を拘束する手錠に指で触れる。


 青い光が相楽の指から手錠に伝わる。パキッという音がして、手錠が外れて落ちた。


 「ひかりは大丈夫! やっちゃえ藤沢!」


 快活な声で相楽は叫んだ。どこか、祭りを楽しむような雰囲気すらある。


 秀樹も口角が上がるのを押さえられなかった。色々策は用意したが、まさかここまで上手くいくとは思わなかった。


 「あとは、戦うだけ。だな」


 彼は右手を高く上げると、公園にテレポートしてきた隊員たちに目線を配る。


 「各員、リーディック改造兵士を攻撃しろ!」


 秀樹の号令に反応し、隊員たちは一斉に銃をかまえた。


 そしてその動きに対応するように、両目を紫色に発光させていた組織の兵士たちが、皆一様に紫色の光の奔流に包まれる。


 そして、秀樹の目の前に、目がほぼ真っ赤に血走った青年が跳んできた。


 「よくもまた、はめやがってえエエエっ!」


 秋也の両目の光が点滅し、そして右目が赤、左目が紫で固定する。


 「ウオオオオオオオッ!」


 全身から、赤と紫の入り混じったオーラを解き放つ秋也。自分の身体を抱くように腕を回した後、大きく身体を開き、光の奔流に包まれた。


 その範囲は、いつものリーディックの放つ範囲よりも遥かに広い。目の前に立っていたら容易に飲み込まれてしまう。すぐに秀樹は左手にコアを出現させると、飛行能力を発動して空高く飛翔する。


 秋也を包む光が、一瞬で何十倍にも膨らんだ。


 光の奔流がやんだとき、空中でホバリングする秀樹の目前に巨大な怪獣が現れる。それは高校の校舎よりも大きく、立ち上がった奈良の大仏よりも遥かに大きいような印象すらあった。


 秋也の身体は、トカゲの顔をした化け物の姿に変わっていた。しっかり二本足で立っており、腕も足も胴体も、何もかもが太い。


 そして、そのトカゲの紫色の巨躯を覆うように、赤い鎧が秋也の身体を覆っている。各部から伸びるとげのようなパーツは、秀樹も見覚えがあった。


 「あれが、レドウィンの姿……か?」


 『そう。そこに近藤秋也がメルバと作り出した鎧を身に着けている。つまり』


 空中に飛翔する秀樹に、彼の中に棲むルクスは答えた。


 『500年前のレドウィンよりも、火力は上だろう』


 秋也が太い右手を前に向ける。その手のひらに、大きな火球が形成される。


 『よけろ』


 「もちろん!」


 緑色のオーラに包まれた秀樹は、学ランをはためかせながら真横に急加速した。


 火球が秋也の手から放たれ、一瞬前に秀樹が滞空していた空間を通り過ぎる。


 遥か後方数十キロ、川を望む山の斜面に激突し、山が猛火と共に粉々に砕け散った。


 秀樹はその破壊の様子を見て目を見開く。そして空高く上昇していく。


 「カクジツニ……コロス!」


 もう人間であったとは思えない、トカゲの化け物。それは秀樹を追って、巨体に見合わない運動能力で地面を蹴ると、大空へ飛翔していく。


 蹴られた地面ははじけ飛び、巨大な地震が街を襲った。


 化け物は飛びながら両手を前に出すと、深紅のロングソードを召喚した。灼熱の炎をまとった長剣を両手で握り、秀樹を追ってさらに加速する。


 「行くぞ、ルクス。最後の戦いだ!」


 化け物を眼の端でとらえていた秀樹は、くるりと振り向いて標的を見据える。


 『ああ。終わらせよう、若き友よ!』


 秀樹の左手にあるコアが光り輝き、ルクスの透明なビジョンが彼の身体から飛び出る。

 

 そして急にルクスは後退し、秀樹の身体にピタリと重なった。


 「ユナイト!」


 秀樹の身体全体を、まばゆい銀色の光が覆った。


 そして光が収まった時には、全身をフォルティアに酷似した銀色の鎧が包む。そして。


 火花を挙げながら身体の各部分に緑色のラインが刻まれる。


 秋也の深紅の鎧とも、父ライトのフォルティア型リーディックの姿とも違う。誰のでもない、彼だけのオリジナルの鎧が完成した。


 「秋也。お前を止める」


 「フジサワ……ヒデキイイイイッ!」


 赤黒い閃光と、銀と緑の流れ星が、空中で激突した。




 ◇◇◇




 「勇猛果敢だな。さすがルクスの息子だ」


 背後から声がする。急いで振り返る秀樹。


 黒い物体が視野に入った瞬間、彼は襟をつかまれて持ち上げられた。


 目に見えないスピードで、背後に回り込んだブルーム。秀樹の顔を、自分の目の高さに持ち上げて言う。


 「さっき言ったことを忘れのか? お前を見逃してやると言ったんだ」


 「殺して……やる」


 足が宙に浮いていたが、秀樹は必死の形相でブルームをにらみつけた。


 ククク、と笑い声が聞こえる。マントの暗闇の中で、何か仮面のようなものが動いたように見えた。


 「どうやって? その小さな手で、私を殴り殺すのか?」


 それは愚問だと、小さな秀樹にも分かった。


 おそらくこの怪人は、人間よりも遥かに強いパワーを持っている。何も武器を持たず一瞬で母を殺したことから、何か超能力のようなものを持っているのだろう。


 そもそもの体格差からしても、やつを倒す勝算は薄い。寝込みを襲うのではなく、この場で、真正面から殺すなんてことは。


 「無理でも……やってやる!」


 秀樹はぐっと歯を食いしばると、マントの奥の顔に向けて手を伸ばした。


 カツン、という音と共に指が弾かれるのが分かった。相手の表皮の硬さに驚き、秀樹は指が何か曲がっていけない方向に曲がるのも感覚を覚えた。


 「きっさま……」


 急にブルームが顔を押さえてうつむき、秀樹をつかむ手を離した。


 何が起こったのかは分からない。でも何かしらのダメージを相手に与えたことを秀樹は理解した。


 床に尻もちをついたが、すぐに立ち上がり、ブルームの腰をめがけて突進する。

 

 組みついて、押し倒すつもりだった。

 

 「えっ、動かない……」

 

 まるで鋼鉄の柱に向かって体当たりをしているかのような感覚だった。どう見ても人間と同じ身長なのに、地面から生えているかのようにブルームは頑丈で、秀樹があと何十回突撃してもビクともしないであろうと感じた。

 

 ぐいと、首の後ろをつかまれる感覚があった。すぐにまた、ブルームの顔の辺りまで秀樹の身体が持ち上げられた。

 

 「小僧……調子に乗るな!」

 

 ブルームが怒鳴ると同時に、秀樹の周りの世界が回転した。

 

 いや、自分が投げられたということが分かった。そして分かった時には、気持ち悪くなるほど鈍い衝突音と共に、全身に激痛が走った。

 

 「あっ……」

 

 かろうじて出たのはうめき声だけ。自分の身体が何かに埋もれ、そして、上からいくつもの重いものが落ちてきたように思った。

 

 急に世界が、シンと静まり返る。耳の奥に変な震えが起き、気持ち悪くなって吐いた。

 

 時間の感覚が分からなくなった。ブルームにつかまれたのは何秒前? 何分前? それとも何時間前?

 

 全身の激痛は既に、じんじんとした痺れに変わっていた。そして、腹部から先の感覚がない。

 

 周囲を見回して、自分の身体に何が起こったのか見ることもできない。恐らく家が崩れてその下敷きになったのかと思うが、指一本動かせず、そして周りが暗闇ということでは、とてもケガの具合を確かめることは困難だった。

 

 ふと、どこか遠くで父の声が聞こえた気がした。

 

 「……ブルーム、きさま!」

 

 「息子はまだ生きているはずだぞ」

 

 誰かが遠くに去っていく音。そして誰かが近づいてくる音が聞こえた。

 

 それきり、音もにおいも重さも熱さも冷たさも、全てがわからなくなった。

 

 その後、秀樹は何もないところを漂っていた。

 

 自分が何者か。何歳で、普段何をしていたのかが分からなくなる。自分という存在そのものが、いったい何を意味しているのかどうかも。

 

 無限に続く、虚無の空間。何もするでもなく、秀樹の意識はただそこにあった。

 

 ふと、どこかから何かが聞こえてくるのを感じた。

 

 誰かの、声だと思った。だが聞いてことがない声。

 

 父の声、母の声、どれでもない。そこまで考えた時、全ての記憶が一気によみがえってきた。

 

 母を失った。いや、殺された。謎の怪人が現れ、大切な肉親の命を奪った。

 

 自分は全力で戦ったが、遠く及ばなかった。人間ではない、強大な力を持った者、ブルーム。

 

 秀樹の中に生まれたのは、深く強い思い。母を失ったことで芽生えたのは、父を守りたいという思い。

 

 「ブルームを……止める」

 

 父が危ない。あんな怪人がいては、父も、友人も、今まで秀樹が接してきた全ての人が危ない。

 

 「みんなを……守らなきゃ」

 

 秀樹は強く思う。もう誰にも、あんな目には遭わせたくないと。

 

 大事な人を失う、身を引き裂かれるような気持ちを味わうなんてことは、これ以上あってはいけない。誰にも、誰にだって、させたくない。

 

 その思いに応えるかのように、どこかから聞こえてくる声が言った。

 

 『なんと立派な思いだ。小さき戦士よ』

 

 聞こえてくる声。それは温かく、荘厳で、どこまでも広がる包容力があった。

 

 直感的に秀樹は、声の主は人間ではないと悟った。

 

 だが同時に、自分の味方だとも確信していた。彼は力になってくれる。絶対に。

 

 その声の主が持つ姿が、見えてきたような気がした。

 

 銀色の光の塊。それはやがて、頭、腕、足を持った人影となり、そして竜に似た顔をした、銀色の四肢を持つ戦士の姿となった。

 

 なぜか、戦士だとわかった。風格というのか。その筋骨隆々のたくましい体は、戦いのために鍛え抜かれたのだろうと。

 

 「きみは、誰?」

 

 秀樹は尋ねる。恐れはない。ただ希望だけがあった。

 

 『私はルクスだ。ライトの息子よ』

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