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今夜も琥珀亭で  作者: 深水千世
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第3話 ライク・ア・メーカーズマーク 後編

 まず名前と年齢を訊かれた後、早速俺の苦手な質問がきた。


「志望動機は?」


 どこの面接でもまず訊かれると思うんだけど、まさか「勢いです」なんて言えない。躊躇していると、お凛さんは鼻を鳴らした。


「あんた、この店に来たのも初めてだろう?」


「は、はい」


 質問の答えを待たず、お凛さんは更に別の質問を畳み掛けてくる。


「酒は飲めるのかい?」


「いえ、好きだと思いますが、強くはありません」


「作れるカクテルはあるかい?」


「......ありません」


「ウイスキーは嗜むかい?」


「......飲んだことありません」


「猫は嫌いかい?」


「大好きです」


 なんだか、絶望的だった。猫の質問は意図がわからないけど、それ以外は撃沈だ。

 お凛さんは「ふぅん」と呟くと、俺をじっと見つめた。


「あのね、私はありきたりの志望動機なんざ聞きたくないんだ」


「え?」


「お酒に興味があってとか、バーテンダーに憧れてとか、私が求めているのはそんな答えじゃないんでね。正直に言うといいよ。何故、この店に入ってきた?」


 こちらを真っ直ぐ見つめるお凛さんの目に吸い込まれそうだった。

 不思議だ。さっきまで気圧されていたのに、突然お凛さんに『すがってもいい』と言われた気がした。


「実は......」


 俺はありのままを話した。大学を卒業してなんとなく暮らしてきたこと。

バイト生活を抜け出そうと、横浜の友人の話にのったこと。横浜行きが駄目になったこと。貯金もほとんどないし、今月中には仕事と家を見つけたいこと。


「だから俺......働きたいんです。正直、バーテンダーって何をするのかもわかりません。お酒についても知識はありません。でも、お金が必要なんです! 飲めないけど、飲めるようになりますから! オーナーさんの迷惑にはなりません! ......お願いします! 働かせてください!」


 言うだけ言って深々を頭を下げた俺は、奇妙なことにすっきりしていた。こんなに赤裸々に志望動機を語った面接は初めてだった。同時に、これほど自分が情けない面接も初めてだった。

 ありのままの自分をさらけ出した気がしたんだ。これで駄目なら、しょうがない。悔いはない。素直にそう思えた。


「......あんたは二つ誤解しているようだ」


 おそるおそる顔を上げると、お凛さんはジーンズのポケットからくしゃくしゃになったハイライトを取り出すところだった。


 彼女は煙草を一本抜き取ってカウンターにトントンと叩き付ける。すると、女性バーテンダーが無言で灰皿を差し出した。

 お凛さんは唇の端をつり上げ、ふと俺を見つめた。


「バーテンダーってのはね、お酒が飲めないほうがなにかといいもんだ。知識なんざ、後から黙っててもついてくるもんさ。この琥珀亭では、働く意志と根性があればいい」


 よれたハイライトに火をつけ、いかにも美味そうに煙を吐いた。


「あんたの部屋はこのビルの三階だよ。明日にでも鍵を取りにくるといい。履歴書はそのときでいいだろうさ」


「あ......ありがとうございます!」


 深々とお辞儀をした俺に、お凛さんは低く笑う。


「なぁ、真輝。なかなか鍛え甲斐のありそうなのがきたね」


 俺は女性バーテンダーに顔を向けた。マキと呼ばれた赤い月のひとは、にこにこと微笑んでこちらを見ている。


「あの! よろしくお願いします!」


 慌てて立ち上がり、また深々とお辞儀をした。信じられない。赤い月のひとが、明日から俺の先輩になるなんて!


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 穏やかにそう言われた途端だった。


「......はぁ!」


 俺は変なため息とともに、その場にへたりこんでしまった。目を丸くする真輝さんに、俺は情けなく笑う。


「あ、あの......緊張の糸が......」


 お凛さんが大口を開けて、派手に笑った。


「真輝、こいつに私から一杯あげてくれ」


 そして、お凛さんは俺に向かって悪戯っぽく口角をつり上げた。


「教えてやるよ。もう一つの誤解ってのはね。ここのオーナーは私じゃないってことさ」


 そう言うと、お凛さんは顎で目の前のバーテンダーを指した。


「琥珀亭のオーナーは、この真輝なんだよ。私はただの客にすぎないのさ」


「えぇ?」


 思わず大声を上げた俺を、お凛さんがまた笑う。


「いいリアクションだねぇ」


「だって、今、面接したから、俺、てっきり!」


 真輝さんは照れ臭そうに、はにかんでいた。


「驚かせたみたいでごめんなさい。あらかじめお凛さんに面接官を頼んでいたんですよ」


 それを横目に、お凛さんが呆れ口調で呟いた。


「私と話してるのを客観的にじっくり見て、どんな人か判断したかったんだと。性格悪いよ、こいつも本当」


「あの、じゃあ、表の張り紙はお凛さんが書いたんじゃ?」


「どさくさに紛れてお凛さんなんて呼ぶんじゃないよ」


「あ、すみません!」


「まぁ、いいさ。付き合いも長くなるだろうし」


 今度は真輝さんが口を開いた。


「実は私、すごい癖字なんです。お店の張り紙は全部、お凛さんにお願いしてるんですよ」


 なるほど。そう納得したものの、それでも不安は消えない。


「お凛さんが俺を合格にしちゃっていいんですか? いや、俺は嬉しいですけれど」


 そう言うと、お凛さんが右の眉を吊り上げた。


「別に私が決めたことじゃない。ちゃんと合格の合図があったからさ」


「合図?」


 お凛さんは右手のハイライトで灰皿を指し示す。


「煙草を取り出したとき、灰皿が出ただろ。あれが合格の合図。不合格なら灰皿が出ないって取り決めだった」


「......なんで、そんなこと」


「面倒な取り決めだろう? 真輝は、昔から面倒なことが好きなんだ」


「いいじゃないですか、人見知りなんですよ。お凛さんだって面白そうだって言ってたんだから」


 お、面白そうって......俺の人生を左右する面接なのに......。

 ちょっと口許をひきつらせていると、真輝さんがロック・グラスを取り出した。そして、お凛さんの前に置いてあった琥珀色の液体が詰まったボトルを俺のそばに寄せる。その蓋は赤い蝋で封されていた。


「メーカーズマークです」


 グラスに手際よく氷を入れ、真輝さんはボトルを持ち上げる。


「お凛さんから歓迎の一杯ですよ」


 酒を注ぐ気持ちのいい音がする。琥珀色の酒を浴びた氷が、パキッと乾いた音をたてた。


「こいつはバーボンだ。バーボンくらいは知ってるだろう?」


「名前は聞いたことがあります」


「まぁ、簡単に言うと、アメリカン・ウイスキーの一種だ」


「へぇ、アメリカの酒なんですか」


「あんた、本当に下戸なんだね。これからどう化けるか見ものだな」


 お凛さんは俺の無知を馬鹿にすることも呆れることもなく、ただ面白がるような顔をしていた。

 お凛さんがすっと自分のグラスを差し出すと、何も言わなくてお真輝さんがすかさず氷を足してメーカーズマークを注ぎ入れる。


「真輝、あんたも飲みな」


「はい、いただきます」


 真輝さんはウーロン茶を飲むようだ。

 三人分のグラスが出揃うまでお凛さんは頬杖をついていたが、不意ににやりとした。


「おやおや、今のあんたにぴったりの曲だ」


 そのとき、俺は初めて店内にBGMがあったことに気づいた。さり気ない音量で、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』が流れている。


 ボブの独特の歌声がやたらとゆっくり聴こえた。まるで俺に『まぁ、もう少し、のんびりして落ち着きなよ』って言っているみたいだ。少しずつ、肩の力が抜けていく。


 全員のグラスが用意されたのを見届けると、お凛さんは自分のウイスキーを軽く持ち上げた。


「無理に飾ったり、見栄をはったりしなくていいよ。あんたはド素人だ。出来ることを誠実にやるんだ。あとはこのバーボンみたいに堂々と自分を誇ればいい」


 真輝さんが微笑む。


「新しい仲間に」


 仲間という響きの良さに、俺は思わず頬を染めた。


「よろしくお願いします」


「乾杯!」


 俺たちはボブ・ディランの歌声に包まれて、初めての乾杯を交わした。ウイスキーは少し刺激的で、でも美味かった。


「俺には強いけど、でも美味いです」


 お凛さんはまるで自分を褒められたかのように嬉しそうだった。

 彼女は、昔からメーカーズマークをボトルキープしているようだった。一度も他のウイスキーに変えたことはないと、彼女は豪語した。何故、そんなにもメーカーズマークにこだわるかは、そのときは話してくれなかったけど。


 俺と真輝さんは給与面や家賃の話をつけ、生活に困らない分はもらえることになった。


 その後、俺は『ライク・ア・ローリング・ストーン』の歌詞の意味を調べて、ちょっと複雑な気持ちになったもんだ。


 とにもかくにも、その夜は一杯だけごちそうになって帰った。酔っぱらってはいたけど、興奮のあまりアパートまで走った。玄関が見えてきたとき、思わず叫びそうになった。


 本当は琥珀亭を出た瞬間に、「うおおお!」と、思い切り叫びたかったんだ。でも、さすがに恥ずかしくて堪えた。


 いろんなことが起こり過ぎて、キャパシティが限界だった。息が上がった苦しさに顔を歪ませ、鍵を開ける。

 スニーカーを脱いだ途端、ため息とともにその場にへたり込んでしまった。情けないけどね。


「ぶえっくしょん!」


 派手な親父臭いくしゃみが飛び出た。気がつけば、背中まで汗でびっしょりだった。


 こうして俺は、琥珀亭のバーテンダーになった。


 琥珀亭のあるビルは三階建だった。築年数は古いが、小綺麗だ。

 一階部分が二店舗分のテナントになっていて、向かって右半分に入っているのが琥珀亭だった。そして左半分はというと、お凛さんの主宰するバイオリン教室『アンバータイム』だ。


 そう、お凛さんはバイオリン教師だったんだ。ただの客にすぎないと言っていたけれど、実は店子だったと知り、真輝さんが信頼を置いているのも頷けた。

 お凛さんはバイオリン教室での仕事が終わると、必ず琥珀亭にやって来て、毎晩カウンターの同じ席に座る。そして閉店までちびちび飲んでいくのが日課だった。


 琥珀亭のあるビルの二階と三階部分はアパートになっていて、全部で四部屋あった。二階に真輝さんとお凛さんが住んでいて、三階は俺だけ。まぁ、後にもう一人増えるわけだが、それはまた別の話だ。


 琥珀亭に勤めることが決まると、俺は思い切って両親に電話して、バーテンダーになったことを告げた。母親は『今度こそ正社員に就いて欲しい』と言っていたが、父親が手に職をつけるのならいいかもしれないと説得してくれたっけ。


 そうそう、お凛さんが俺にした質問で猫のことがあったが、あれは、この琥珀亭には小さな先輩たちがいたからだった。黒猫の『スモーキー』と、白猫の『ピーティー』という、真輝さんの愛猫たちだ。彼らはアパート中を我が物顔でうろついてる。ただし、食べ物を扱うバーの中には決して入らないお利口さんたちだ。


 引っ越した俺は、何故か白猫のピーティーにえらく気に入られてしまった。最近では真輝さんの部屋に戻らず、俺の部屋のドアを「開けろ」とカリカリひっかくことが多い。


 今日も仕事の時間が迫ってきた。


「さて、行ってくるよ、ピーティー」


 膝の上で眠っていたピーティーは目を開けて小さく鳴いた。音もなく起き上がると、ドアの前へ立ち「じゃあ、あたし他所に行ってるわね」と言わんばかりに振り返る。物わかりの良い子だ。


 真輝さんは今頃、丸氷を仕込んでいるはずだ。お凛さんはいつものように、カウンターの奥の席を占領するんだろう。バーで垣間みえるお客様たちの人生の一幕を肴にしてメーカーズマークをちびちびやる。


 そして俺は、今夜も琥珀亭でライク・ア・ローリング・ストーンするのさ。

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