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8.悪魔召喚②

「それじゃあ、始めるよー」


「………………はい」


 再び家の外に出たマリアンヌは、地面に描いた円形の魔方陣の中心に立った。

 魔方陣の外からはラクシャータが明るい声で呼びかけてくるが、マリアンヌの表情は硬く凍りついたままである。


 それもそうだろう。

 マリアンヌはこれから、悪魔という超常の存在を呼び出して契約を交わそうというのだから。


「緊張するなとは言わないけど、少し肩の力を抜いたほうがいいわね。緊張して思考を止めちゃったら、悪魔に騙されて不利な条件で契約を結ばれるわよ?」


「ぜ、善処します」


 重々しく頷くマリアンヌにやれやれと首を振って、ラクシャータは魔方陣に手を当てて魔力を注ぎだす。


「えーと………あどに、える、えるおーひむ………えーさいむ、おなかすいた………えーと………わすれちゃった………じゃなくて………」


「そ、それは正しい呪文なのですか!?」


 激しく不安をかき立てる呪文の羅列に、マリアンヌが思わず叫ぶ。

 しかし、呪文の成否はともかくとして、ラクシャータの声とともに地面の魔方陣が激しく明滅する。


「あ、うまくいった………マリアンヌちゃん、来るよー」


「へ・・ええっ………!?」


 激しく光を放つ魔法陣。

 マリアンヌが両手で顔を覆い、強く瞼を閉じてしまう。


『私を呼び出したのは、お前か………?』


「っ………!?」


 視界を閉じたマリアンヌの耳に、澄んだ男の声が響いた。

 マリアンヌが恐る恐る瞼を開けると、そこには青白い光をまとった男性の姿があった。


 背の高い男性は、肌、瞳、髪、その存在の全てが半透明の青白い雷光から成されていた。

 周囲にはバチバチと雷光が火花を立てており、引き締まった身体には上品なウール布を巻きつけている。


「あなたが、悪魔………!?」


「………人型。やばいわねー、上級悪魔じゃないの」


 驚いて声を上げるマリアンヌ。

 背後で様子をうかがうラクシャータの声も、数トーンほど固くなっていた。


 悪魔は上位の者であればあるほど、プライドが高く下賤な人間に力を貸すことを嫌がるものである。

 仮に契約を結ぶことができたとしても、どれほど重い対価を要求されるかわかったものではない。


 ラクシャータは額に汗を浮かべて、儀式を止めるタイミングを慎重にうかがった。


『応えよ、娘。お前が私を呼び出したのか?』


「は、はい! そうです!」


 マリアンヌは必死に緊張と恐怖を振り払い、悪魔の声に応えた。


「私が貴方との契約を望む者です! 名前は………マリアンヌといいます!」


「ああっ………!」


 マリアンヌの背後でラクシャータが顔を青ざめさせた。

 悪魔は名前を利用して人間に呪いをかけることができる。

 ゆえに、悪魔と対話をするときには、名前を伏せたり偽名を使ったりするものである。

 当然ながら悪魔について知識を持たないマリアンヌはそんなことは知らなかった。

 これは事前にきちんと教えておかなかったラクシャータのミスである。


(サロメ………)


『無理だ、あれは勝てぬ』


 ラクシャータは縋るように肩の上に乗ったトカゲに呼びかけるが、サロメは小さな首を横に振る。


『あれは雷の上位悪魔。その気になれば、一柱で国を落とせる災厄だ。どうにもならぬ、諦めろ』


(そんな、困ったわね………)


 ラクシャータは祈るような気持ちでマリアンヌの背中を見つめる。


『ほう。我と契約を望むか、娘………いや、マリアンヌよ』


「はい………」


『ふっ、悪魔である我の力が無償で手に入るとは思っていまい? 対価を支払う覚悟はあるのだろうな』


 その問いに、マリアンヌはそっと溜息をついた。

 もう一度、生まれた国と婚約者から受けた仕打ちを思い返す。

 マリアンヌの全てを否定した彼らに復讐ができないのであれば、このまま生きていても意味がない。


「私に支払える対価であれば、全てを差し出します」


「ちょ、マリアンヌちゃん!?」


 ラクシャータが悲痛な声を漏らす。

 対する悪魔は、満足そうにうなずいた。


『ほう………いい覚悟だ。それでは、対価を支払ってもらおうか』


 悪魔はゆっくりと腕を上げて、人差し指をマリアンヌへと突きつける。

 緊張した面持ちのマリアンヌへと、厳かに告げる。


『それでは、新たなる魔女マリアンヌよ! 我と結婚を前提に交際してもらおう!』


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