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1.婚約破棄①

 国境につながる山道を一台の馬車が走っていた。

 馬車の周囲には武装した兵士が馬に乗って並走しており、ときおり厳しい目線で馬車を睨みつけてくる。


「どうして、こんなことになったのでしょう………」


 ゴトゴトと断続的に揺れる馬車の中、マリアンヌ・カーティスはひっそりとため息をついた。

 箱形の馬車の中にはマリアンヌ以外の姿はない。

 見張り………もとい護衛として付けられている男達も馬車の外で馬に乗っており、従者や話し相手の一人すら与えられていなかった。


「お父様、お母様………それに、レイフェルト様………」


 父と母、そして婚約者。

 自分を裏切り、切り捨てた者達の名前を呼んで、マリアンヌは青い瞳から涙をこぼした。


 マリアンヌはカーティス侯爵家に生まれた令嬢であり、神殿から『聖女』の位を与えられた少女である。

 聖女とは彼女が生まれたロクサルト王国において『癒し』の属性を使いこなす乙女に与えられる称号であり、神の寵愛を受けた乙女として敬愛を向けられている。


 マリアンヌは先代聖女であった母親から受け継いだ『癒し』に加えて、先代の魔術師団長である祖父から『雷』の属性も受け継いでいた。


 二つの属性を有する稀代の聖女であったマリアンヌが、どうしてこんな国境沿いの道を見張りに囲まれて走っているのか。


 それは1週間前まで時間をさかのぼる。






 その事件は、ロクサルト王国の王宮で開かれた舞踏会で起こった。


「マリアンヌ・カーティス。お前との婚約を破棄し、聖女の位を剥奪する!」


「え………」


 婚約者であるレイフェルト・ロクサルト。この国の王太子から告げられた言葉に、マリアンヌは凍りついたように言葉を失った。

 周囲には大勢の貴族がいて、困惑した視線をマリアンヌとレイフェルトへと交互に向けてくる。


「ど、どうしてでしょう。私に至らぬ点があったでしょうか………?」


「言わなければわからないのか………この痴れ者めが!」


 マリアンヌの疑問に、レイフェルトは冷たい視線で答えた。


「お前が私という婚約者がありながら、他の男との間に不貞をしていることはわかっている! 貴様のような汚れた女を王妃にするわけにはいかない!」


「なっ………!」


 マリアンヌは驚いて目を剥いた。

 それは全くと言っていいほど身に覚えのないものであった。


「私は不貞などしていません! いったい、何の証拠があって………」


「証拠? 証拠だと!」


 レイフェルは視線の温度をさらに下げて、軽蔑に染まった声で吐き捨てるように怒鳴る。


「お前が聖女の力を失ったのがその証拠だ! 神に見放された汚れた聖女め!」


「っ………!」


 レイフェルトの言葉に、マリアンヌの肩がビクリと跳ねる。

 聖女が力を失う、その聞き捨てならない内容に周囲で見守っていた貴族達がざわめき立った。


 そう、マリアンヌは13歳の頃に『癒し』と『雷』の二種類の魔法を発現し、これにより聖女の位を授かった。


 しかし、1ヵ月ほど前から突然、魔法が使えなくなってしまったのだ。


 王宮内でもごく一部の人間にしか知られていない事実は、マリアンヌが神の加護を失ってしまったことを示していた。


「そ、それと不貞とは何の関係もないではありませんか!」


 もちろん、魔法が使えなくなってしまったことは大いに恥じることである。

 このまま力が戻らなければ、いずれ聖女の位を返上することになるかもしれない。

 しかし、それと不貞とは何の関係もない問題である。


「ふん、最後まで言わなければわからないとはな………つくづく見下げ果てたぞ」


 必死の抗弁をするマリアンヌであったが、その思いは婚約者に伝わることはなかった。

 レイフェルトは絶対零度の表情を崩すことはなく、一冊の本を取り出してマリアンヌへと突きつけた。


「その本は………?」


「これは信頼できる神官に頼んで探してもらった、歴代の聖女についてまとめられた記録だ」


「………………」


「ロクサルト王国の建国以来、聖女の位を授かった者は貴様を合わせて57人。その中にはお前の他にもう一人だけ、若くして聖女の力を失ったものがいる」


「え………?」


 レイフェルトの言葉にマリアンヌは目を見開き、やがて婚約者が言わんとしていることを理解して顔を青ざめさせた。

 レイフェルトの手の中の本を指差して、震える声で尋ねる。


「そ、その聖女とは………?」


「堕落の聖女ラクシャータ・イワン。婚約者がいる身でありながら複数の男性との間で不貞を働いて、男を惑わす傾国の魔女としてこの国を追放された女だ!」

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