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002

僕と雫が一緒に歩いて、雫が自分の好きなアニメや漫画の話をして、僕がそれに適当な相槌を打つ。それが、僕たちのよくある放課後の姿だった。

「――それでですね先輩、あの時代は何といっても奴隷制全盛期の時代じゃないっすか。いやーほんと酷いっすよ。これなら古代の方が断然マシっすよ。知ってます、古代の奴隷、ひいては労働者のホワイトぶり!」

「古代の方がホワイトなのか?」

 昔というと、古代エジプトで、燦々と輝く太陽の下、汗水たらしてピラミッドを作るための岩を運んだりして働く――という、ブラック企業のようなイメージしか沸かないのだが。違うのだろうか。

「違うっす!」

 強い口調で言い返された。

「いやまあ最近わかったことらしいんすけど、なんとピラミッドには、労働に疲れて書いた落書きが書かれていたりしたらしいんすよ!」

「神聖なピラミッドにか?」

「神聖なピラミッドにっす!」

 ……なんだろう。急に古代エジプト人が現代日本で苦労するサラリーマンのように思えてきた。

「上司の愚痴とかも書いてあったらしいっす」

「いや、もうそれは現代サラリーマンと変わらないのでは!?」

 神秘と神聖さを持った古代エジプトのイメージが崩れていく! 神殿崩壊のように。

 ネットの掲示板かよ。

「いやでも、そんなのを書くってことは、やっぱりブラックだったんじゃないか?」

「上司が、こいつら働かなくてマジ大変、という書き込みがあったらしいっす」

「……」

 なんたるフリーダム。

 上司よ、そんなこと書いて、王様とかに見つからなかったのだろうか……。仮にも王――ファラオの墓の筈なのだが。いいのかそれで。

「ああ、早く帰ってビール飲みてー、とか。親戚が亡くなったので今日は休みます、昨日二日酔いしたので……。などと明らかにサボ……休暇申請を書かれたパピルスが発見されたりもしているらしいっす」

「そんな感じでも休めるっていいなあ」

 現代日本は休むことに対して厳しいからなぁ。

 ああ、厳しいというわけではないのか、厳しいとはつまりそれをしなければならないことに意味がある時に使うんだった。

 必要な休暇を取らせない風潮は、厳しいとは言うまい。

「あと、今までの話で、何か気付かなかったっすか?」

「は、気付く? 今までの、エジプトとかの話で?」

「はい」

「ふうむ……」

 彼女がそう言うからには重要そうな事柄ではありそうなのだが、如何せん自分は古代について詳しいわけでもなし、さらに推理力もあるわけではない。

 それに加えて、鈍い自分は今までの会話で何か気になったことがあるわけでもない。

「まあ、強いて言うなら岩に書くなってことというか……でも古代だからなあ。紙とかも貴重だったろうし……ん、紙?」

 あれ、紙が珍しいだろうってことは――どうやって平民の方々は字を書けるようになったんだ?

「お、先輩気付きましたね。そうっす、字――つまり識字率が異常に高かったっす。ファラオのおかげっすね」

 ちなみに、紙ではなく石に書いてたんすよ、それと植物の紙みたいなパピルスにっす。と雫は付け加えた――なるほど、ピラミッドに書いているんだから、書くのも石だよな。

 そして、識字率――つまりはその国や地域でどれだけの割合の民が、文字を扱えるかという割合だ。

 確か、江戸時代の日本は寺子屋があったとかで、その識字率というものが異様に高かったという話を、雫から聞いたことがあった(多分学校で習っているのかもしれないが、忘れていた。仕方ない)。江戸くらい――つまり十七、八世紀頃では、まだ義務教育なんて言葉はない。そのため、海外のほとんどでは字を扱える――書く、読むことは位の高い規則などしか出来なかったのだ。だからこそ、日本の識字率は他と比べて際立っていたという。

 そして――それより遥か二千年も昔で、労働者が字を扱えた、ということは。

「ああ、労働者だけでなく奴隷もっす」

「……」

 まあ、それも含めて。

 その事実は――もの凄いことだろう。

 現代でさえ、国によっては読み書きできない人々も大勢いるというのに。 

 遥か古代で、奴隷ですら読み書きが出来るなんて。

 ホワイト企業どころか、ホワイト国家だ。

 スケールがでかい労働環境である。

「まあファラオは良い人が多かったらしいですからね。そんなファラオで、ラムセス二世という人とか、それにマケドニアの――」

 その後も、彼女はとても明るい――太陽のような顔で、話続けてくれた。

 彼女の話は、とても楽しく、面白い。

 教科書のように、事実を淡々と書くような内容とは違う――本当に好きだという、熱意が感じられるのだ。

 本当に、太陽のような――触れれば燃やされてしまう、熱さ。

 そんな彼女は、こうも言っていた――いや、これが彼女の本質なのだろう。

 ――それでですね、そのラムセス二世のキャラがもうかっこよくて――

 キャラ――つまりキャラクター。

 漫画か、アニメか。いや、今回は、ゲームのキャラクターのようだ。

 手の広いこって。

 やはり、好きなものだからこそ、彼女はここまで詳細に知ることが出来るのだろう――今までのエジプトの話もきっと、そのラムセスとやらの話から、ファラオを調べ、当時の環境や行政などを調べた、といった所だろう。

 趣味と実益を兼ねている――いや、きっと勉強自体は雫もそんなに好きではない。成績も今は普通より上くらいなのだ。

 それでも彼女がここまで詳細な歴史を知るのは、それが、勉強したという認識ではないからだと、僕は思う――その知識は、きっとついでなのだ。

 だけど。

 そのついでに、僕は助けられている。

 彼女の話は、勉強として聞いても、雑談として聞いても、とても楽しいのだ。

「……」

 ふと、僕は自分の足元に視線を落とす。

 沈みゆく夕日はとても綺麗だが、それを見ようともせず。

 住宅街の中、歩く僕たち。

 そして彼女の笑顔からも、僕は視線を逸らす。

 目を逸らし、顔を逸らし、意識も逸らす。

 こんなことをしていると、つくづく僕は嫌な先輩だな、と思う。

 雫は今も、クレオパトラとカエサルの話をしている――マケドニアから随分飛んだような気がするが、そこはマケドニアの王様の部下がその後ファラオになったとかそんな感じの飛躍だった。ような気がする。

 あまり、彼女の話が頭に入ってこない。

 自分の思考で、頭の中は鮨詰め状態だった――考えることなんて、簡単なことの筈なのに。

 ここらではっきりとしておこう。と、自分に言い聞かせるように思考する。

 自分には――好きなものが、ない。

 愛するものがない。

 いや、僕にも、好きな人くらい、本当はいるのだ――ただ、そう言うことに自信がなくなってきただけで。

 僕の周りには、僕より凄い人たちがたくさんいる。

 それは何も、凄い資格を持っているとか、オリンピック選手だとか、そんな肩書ではなく。

 雫は自分のことをオタクと卑下することもある。実際に、世間はそういう認識をすることもあるだろう。

 だが、僕にはそれが、あまりに眩しい。

 瞳が、肌が、心臓が、心が焼けてしまいそうになる――それほど眩しく、温かい。

 熱い。

 灼熱の太陽のように、感じてしまう。

 僕は秋雨雫という少女を見るたび、胸が苦しくなる――自己嫌悪に陥るのだ。

 ――ああ、僕は、彼女ほど、何かを好きになったことはない――なんて、そんな、自分勝手な自己嫌悪。

 オタクというのは、僕にはとても羨ましく見える。彼らは自分の好きなものについて妥協せず、好きなもののために努力することが出来る人種だと、僕は思っている。当然、全員がそうではないかもしれないが、オタクというのはやはりそういうものだろう。

 野球バカ、サッカーバカという言葉がある。 

 あれは言い換えれば、野球オタク、サッカーオタクとも言える。だって、意味で言ってしまえば、それは同じだからだ。

 何かが好きだ。

 それをもっと知りたい。

 それをもっと努力したい。

 それをさらに極めたい。

 だって――好きだから。

 ……僕はそこまで、何かに没頭することは出来なかった。

 演劇部にいるのも、周りの人間から顔が良いとかスタイルがかっこいいとかそう褒められて、意外と演技が得意だからやっているのだ――もし、周りに誰もいなかったら、僕は練習なんてやっていない。

 台本なんて、一度も目を通さなかったろう。

 昔は野球をやっていたけれど、それも中学になったらやめてしまった。試合に出れなかったのがつまらなかったのだ。本当に野球が好きなら、それでも努力するなりチームのために何か出来ただろうに、何もしなかった。

 今まで何かを本気で好きになったことなんて、本当にないんだ。

 成績も中の上。運動も普通より少し上程度。

 何もかも中途半端。

 聞いている音楽も、歌の名前は知っていても歌手の名前は知らないし、映画を見ても役者の名前なんて覚えていないし、漫画を読んでも裏話なんて知らないし。

「……ほんと、何をしてきたんだっけ」

 雫には聞こえない程度の小さな呟きを漏らす。

 本当に、何かを残してきたかなんて、僕は言えないのだ。

 ふと、横目で今度はアーサー王の話をしている雫を見る――いや、今度はどうしてそこまで飛んだんだ。ああいや、まあそこはどうでもいい。

 例えば、それでも、こう彼女のことを評する人がいたとする。というかいた。

――いや、そいつなんて、好きなものしか知らないじゃないか。その話だけ妙に熱くなって、気持ち悪い。

 私はそんなことを言う奴に、こう言うだろう。というか言った。

――好きなことですら禄に知らない奴に、言われたくはないよ。

……そいつは、自分の好きなバンドの過去の話、親の記憶がないという割と重要そうな話すら、知らなかった。その程度なのだろう。

いや、きっと、普通の人はそんなものなのかもしれない。好きなものでも、調べたりしなければ知らないこともあるだろう。  

でも、雫はそれをちゃんと調べるのだ。徹底的に。

自分と同じ部活の仲間にも、演劇バカ――演劇オタクと呼ばれる奴がいた。そいつは台本を読むだけでも良いはずの演目でも手を抜かず、その演目の過去の作者や演じた人物とかをちゃんと調べてくる。 

そうした上で、面白いアレンジなどを提案してくる。

本当にオリジナリティのある意見というのは、知らないから言える適当なことではなく、こうしてその作品を熟知しているからこそ出るのだろう。

彼女たちは、そういった意味で、凄い人たちなのだ。

僕とは――違う。

今好きな人がいたとして、でも、彼女たちの前だと、その思いを儚く、薄いものだと思えてしまう――本当に、薄弱な意思しか、僕は持っていない。

薄っぺらいなあ、と溜息をついてしまう。そんな僕を見て雫は空気を読んだのか、黙って並んで歩いてくれた。小首を傾げていたので何について悩んでいるかの察しはついていないようだったが、それでいい――むしろ、その方がいい。

「……」

「……」

 少しずつ暮れる夕焼けは、住宅街の屋根を紅く照らし、視界をも光で埋め、炎の中にいる錯覚を思わせる。

 そんな錯覚も、涼しさを通り越した凍てつく風に打ち消される。

 息を吐く。はぁ、と。その息を冬の大気は真っ白な気体へと変換させ、それは虚空へと霧散していく。

 もうすぐ、この光景も、この景色も、この時間も、終わりがくる。

 僕のことを、置いていってしまうような、そんな気がした。時間は悩んでいる人間を、待ってはくれない。そんなことをわかっていても――それをやめることは、できなかった。

少し、切り替えよう。いつまでも考えていても埒が明かない。それにそろそろ、雫の家も近くなってきた。彼女の家は僕の家と学校の間にあるため、いつも僕は彼女をそこまで送っている。

だが。

その家があと少しとなってきた所で。

「……先輩、あれ、なんすか?」

 と、雫が空き地の方を指さして、僕に問いかけてきた――その空き地はかつて廃屋があり、最近取り壊しが行われた――のだが。

「……えっと、なんだ、あれ?」

「あ、やっぱり先輩にも見えますよね、あれ」

 空き地のはずの空間には、奇妙なものがあった。

 いや――奇妙なもの(・・)なのか? あれは。

 それはまるで――いや、形容しようと思ったが、まるで形容できない。わかるのは、ドアがあることだけだ。

 なぜって――周りがわからないのだ。

 見えないのではなく、わからない。 

 ドアノブのある洋風のドアは、ある。それは、それだけは断定出来るのだが、周りはまるで、蜃気楼のように歪んでいる。

 歪――ゆらぎ。

 ゆらゆらと、まるで悩み続ける心のように。

 定まらない周りの空間は、蠢く。

「……気になりますね、先輩」

「いや、気にならない。もうすぐ家だ、さあ――」

「レッツ、ゴー! です!」

「わ、待てってば雫!」

「オタクは面白いことには貪欲なんすよ!」

「せめてその欲は二次元だけにしてくれ!」

 グリードは特撮っすよー! という訳のわからない掛け声と共に、僕の手を引っ張ってそのドアに向かう雫。

「いや、だから待てって! どうどう」

 必死で静止を試みて、なんとか立ち止まらせることには成功した。

「えー、絶対面白そうっすよー」

「そんな理由で怪しいドアに近寄るんじゃありません」

 なんだろう、この親子のような掛け合いは。

「じゃあ、家の近くの空き地になんかよくわからないものがあって、わからないままだと夜も眠れないので、これは一目見て正体を確かめよう――ってのなら、どうっすか?」

 はにかみながら提案する雫。

「……まあ、うーん、それなら」

 怪しいとはいえ、まさか異次元に繋がっている扉、なんてこともあるまい。多少なりとも危険はあるかもしれないが、少し確かめるくらいなら。

「じゃあ、ちょっとだけ」

「はいっすーっ」

 うきうきとした様子の後輩とそのドアに近づくが、それでもまだドアの周りの風景が安定しない。ゆらゆらゆらめく陽炎のようだ。

「なんかの店、みたいな感じっすけどねー。このドア。喫茶店とか」

「ああ、言えてるな、それ」

 言いながら、雫はドアに手をかけようとする。

「あ、待った」

「はい?」

「危なそうだし、僕が開けよう」

「おー、先輩、イケメンっすね」

「あんまり嬉しくないこと言うなよ」

 軽口を叩きながら、もう乗り掛かった舟だと半ば諦めつつ、僕はこの手をドアノブにかけた。

 その時だった。

「あ」

「え?」

「はい?」

 唐突に、僕と雫が背後から突き飛ばされた。

 そのまま、ドアの中へと雪崩れ込むようにして入っていく。

 そしてその声の、二番目が自分、三番目が雫――あれ、じゃあ、最初の声の主は――とか、一瞬考えようともしたが、そんな余裕はなかった。

 今更ながらに気付いた。その、体中に広がる浮遊感に。

 そう。つまり、言うなれば。

「落ちるーっ!?」

「きゃーっ!?」

 落下である――もうわけがらからない。雫の家の近くの空き地に、よくわからないドアがあって、そのドアを開けたら、今度はよくわからないうちに落ちていた。

 どこに落ちているかは、わからない。

 困ったことに、ドアの中も揺らめいていたのだ。それでいて色を識別しようにも白っぽいとしか形容できない。自分の語彙が少ないならば良いのだが、そういうわけでもないのだ。

 ゆらゆらゆらゆら。

 落下しながらそれを見ると、目が回りそうだった。

「いやぁぁぁーっ!?」

「ん!?」

 そんな時、隣で雫の声ではない、女性の声が聞こえた。

 どうやら、先ほど自分たちを突き落とした――状況を見るに、突き落としたというより巻き込まれたような形みたいだが――その人も、どうやら落下中らしい。

 空中(?)で強引に体を動かし、声のした方に顔を向けてみた。どうやら、向こうも似たようなことをしたらしく、僕とその人は至近距離で見つめ合うような形になった。

 パラシュートでのパフォーマンスみたいな絵だったろう。

 だが僕はそんな絵よりも、もっと綺麗なものを見たと、そう断言出来るその人、いや、その女性は、とても綺麗だった。

 風になびくさらさら銀髪、首に小さなクリスタルのような宝石を下げていて、整った顔立ちに綺麗な瞳、どれをとっても一級品といえる、まるでハリウッド女優のような美しさを持つ女性だ。

 彼女は僕の方を見て、ぎょっと目を見開いた。

 そして――


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