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「―雫の知る中でも、その時代にはウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニアことビリー・ザ・キッドや二コラ・テスラ、トーマス・アルバ・エジソンに初代アメリカ大統領ワシントンや、戦争と関連して覚えやすいフローレンス・ナイチンゲールさんなどがいるんすけど」
「待て、待て待て、多いよ、雫」
彼女の口から羅列される多くの人名に、頭と筆のスピードが追いつけなくなり、手を挙げて静止を求める。
「なんですと。ふうむ、仕方ないですね、では厳選して、トーマス・エジソンの人生を語りましょう。彼の人生にはあのアメリカの車社会を作り出したヘンリー・フォードや、電話で有名なアレクサンダー・グラハム・ベルや二コラ・テスラなどもおりましてー」
「さらに待って、それこそ教科書に出ていないような人名ばっかりなんだから。少し落ち着きましょう。はい、深呼吸」
「あー……そうですね、はい。反省します。熱くなりすぎました。そうですよね、彼らはこの時代出てきませんからねえ」
「うん、教科書に載ってない奴は、こういう勉強の場以外で頼むよ」
「はい、了解っす!」
びしっと敬礼をする可愛い後輩に、自然と笑みがこぼれた。きっと僕の顔は随分と緩んでいたことだろう。
放課後の赤い夕陽が刺す.黄昏時に、僕は演劇部の後輩から歴史の講義を受けていた。そう、後輩から勉強を教わっているのである。僕は二年生の上級生ではあるため、後輩の彼女に教わるのは若干の躊躇いもあったのだが、先の講座でそれも払拭された。
二つの机を挟んで対面に座る後輩――秋雨雫。
黒髪をサイドテールにしたチャーミングな髪型と、チェックのベストがとても似合っており、黒のストッキングは彼女の細い脚を魅力的に見せている。
僕の主観だが、小ぢんまりとした印象を受ける女の子のため、小動物的な可愛さがある。演劇部で可愛がられている理由の一つあろう。僕も入っているその部活ではマスコットキャラのような扱いでもあるのだ。
そんな後輩はマスコットのような外見だけでは判断しにくい要素として、オタクとしての側面も持つ。ああ、歴史オタク――歴女とは違って、彼女は基本的にはアニメや漫画が好きなタイプのオタクだ。
ではなぜ先ほどのように歴史上の偉人を簡単に羅列出来たのかというと、その解はとても簡単で、彼女の好きなアニメ(原作はゲームらしいが、詳しくは知らない)にその人物たちが登場したからとのこと。当然フィクションのため本人ではないが、そのアニメを楽しむために歴史を調べたら、本物の偉人の方も好きになってしまったとのこと。
そのため、彼女は高校二年生の冬を迎えた自分よりも歴史が得意なのである――人物だけでなく歴史それ自体を学ぶことで、彼らがどのような生き方をしたのかを詳しく知ることが出来たという。まさに、趣味と実益を兼ねるだ。まだ一年生の彼女は世界史の授業はないが、きっと彼女は実際にその時代のテストを受けるような学年になれば、満点近い点数を叩き出せるだろう。なにせ――好きなことなのだから。
そしてそう。
高校二年生の冬である。
「……なあ、雫」
「はい、なんですか、先輩」
「いやさ、雫はどうしてそんなにアニメとかが好きなのかなーって、思ってさ」
「?」
僕の唐突な質問に、小首を傾げる雫。その仕草がまた小動物のようで可愛らしい。
それはともかく。
理由――いや、理由というほど大したものでもない。
現在午後五時を回った時間。普段ならば演劇部の活動に励んでいる筈の僕らだが、今日は半日授業ということで、午後の演劇部の活動も早めに終了。そのため、演劇の練習時から変わらない学ランだ。ああ、こっちの活動が早めに終わったのは、テストが二週間前を切ったから。だからこそ、僕があまり得意ではない歴史に詳しい雫に教鞭を振るってもらっているのだ。
半日授業である理由は、学校全体で担任との進路相談があったからだ。
高校二年生の冬。
いい加減、進路を考えなくてはならない時期である。
――お前は何か、好きなものとか、夢中になれるものとかはないのか?
その時の言葉を、頭の中で反芻する。
「……」
わかっている。
「…………」
そんなことは、何度も考えたのだから。
わかっている。
わかっている、はずなんだ。
「ふーむ、どうして、理由ですか、いやですがどうしてと言われると……ってあの、先輩、聞いてます?」
「ん、え、あ、すまん、聞いてなかった」
「もー、先輩から言い出したことじゃないっすか。ちゃんと耳の穴かっぽじって聞いてくださいよ。ほんとに」
「はいはい、ごめんね雫」
頬を膨らませ、腕を組んで起こるポーズをとる彼女に謝る僕。なんというか、考え事をしていた自分が全面的に悪いなこれは。
「ではまあ自分がなぜアニメを好きかというと、そりゃあ勿論、好きだからっす!」
「……ええと」
それは答えとしてどうなのだろうか?
「もうちょっと具体的なのが欲しいんだが。曖昧なものじゃなくて」
「曖昧じゃないっすよ。大体、理由なんて後付けっすよ、後付け」
雫は身を乗り出して、僕の目の前にその小さな顔をずずっと寄せた。その瞳は曇りなく、宝石のように輝いていた。
純粋に、輝いていた。
「……いや、後付けってのも」
この反論も、その論だと困るというだけである。
誰でもない自分が、だ。
「いやほんとに後付けなんすよ、恋とかも同じっす。好きな異性のタイプとかがあって、それに合致する人がいたとして、だからその人を好きになるか? という話です。好意的に見るのでも、異性として見るでもなく、恋の対象として見るかっすよ」
「恋の対象――好きの対象、か」
「はい、だから、その好きの対象になったものの理由を言えと言われても、そんなものはないんすよ」
好きだから、好きなんすよ。彼女はそう結論した。
相変わらず、演劇部員だというのに運動部員のような口調である。
いや、目を逸らしてはいけない――思考を逸らしてはいけないのだ。
彼女の結論はまさにその通りで、覆しようのないもので、本当に――素晴らしく、それでいて聞きたくない現実でもあった。
どうして、
なんで。
どうして君は、そんなに――
「で、どうしたんすか? そんなこと聞いて。こんないきなり」
「いや、どうということもないんだけどね」
「ふーむ、何すか、昨日の進路相談で、好きなものとか聞かれたんすか?」
「……別に」
鋭い後輩である。
可愛い後輩なのに。
それがたまに、煩わしくなる――いや、きっとそれは、誰だって思うことだろう。
人を悪く思うことくらい。
その人を良いと思うのと同じくらい、ある筈だ。
誰だって、そうなんだ――きっと私は、こうやって言い訳を考えていたのだと思う。
「……あ、もうこんな時間か」
「え……あー、まあ確かに、もう六時っすね」
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
「えー、まだ大丈夫っすよ。というか、まだ話足りませんしね!」
「趣味としての世界史の話は歩きながらでも聞いてやるよ。ほら、あまり夜遅くの道を後輩に歩かせたくないからな」
「むー、仕方ないです。じゃあ先輩、ちゃんと復習するっすよ! 予習はいいです、復習大事! これ暗記科目の重要事項っす!」
「はは、はいはい」
広がったノートや教科書を片付ける自分に指を刺す後輩と軽い雑談をしながら、今日のお勉強会は終了となった。
外では運動部の頑張る声が聞こえてくる。
それを僕は、無意識の内に聞いていた。