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私の知らない顔でエルフレッド様が笑っている。心からの笑みでリュシカお姉様も笑ってる。ボロボロになっていく心が表情に表れれしまったのだろう。エルフレッド様が驚愕した表情で私に声を掛けてくる。リュシカお姉様は......しまった。やってしまったと後悔するような表情を浮かべていた。
「あ、ご、ごめんなさい。私、まだ緊張の反動が残ってたみたいで......少しお部屋で休みますので、お、お母様に伝えてもらえますか?」
「リュシカ、ちょっとユエルミーニエ様に伝えてもらっていいか?俺はフェルミナ様を部屋まで送ってくる」
「ーーいや、それは、しかしだな......」
エルフレッド様は心から心配している。しかし、察したリュシカお姉様が言葉を探している。感情が高ぶって言いたくもない言葉が出てきそうだ。ここまで惨めな思いをしても気づいてもらえないのかと憔悴しそうだった。
「だ、大丈夫です。少し冷や汗などをかいてしまって。恥ずかしいので......お願い致します」
「......だそうだ。エルフレッド。意固地になるな。最優先は何かわかるだろう?」
「......わかった。フェルミナ様、体調が悪くなったら直ぐに侍女に言ってください!行ってきます!」
エルフレッド様が走り始めた。リュシカお姉様がそれに追従する振りをして足を止めた。私の体が優しい光に包まれた。
「謝って済むような話じゃないが......すまない」
それだけ言って彼女もまた去って行った。二人の気配が消えて私は座り込んだ。涙が音もなく零れ落ちた。
「なんだ......そうだったんだ......」
私自身の言葉が私には遠かった。もっと鈍感なーー、いや普通の人間だったらこんな思いをする必要はなかったのだろうかーー。
「はじめから......頑張るだけ無駄だったんだ......」
「エルフレッド‼︎少し待ってくれ‼︎」
リュシカの苛立った声にエルフレッドは足を止めてーー。
「いや、そんなこと言っている場合ではないだろう‼︎あの顔色は普通ではない‼︎」
青を通り越した蒼白はとてもじゃないが健常な人間がするような顔色ではない。あの僅かな一幕で虐めを思い出させるような何かがあったのかも知れない。そう焦るエルフレッドにリュシカの怒声が響いた。
「落ち着けと言っている‼︎私が聖魔法を掛けたから一先ずは落ち着いていた‼︎大体、エルフレッドお前と言う奴は......‼︎ 」
そこまで言ってリュシカは自身の髪の毛をクシャリと掴んで吐き捨てた。
「いや、責められるべきは愚かな私だ......‼︎クソッ‼︎もっと早く気づいていればこんな不意打ちのような真似など......‼︎」
そんなリュシカの言葉はエルフレッドには届いていない。しかし、聖魔法で回復したと聞いて少し落ち着いたのか彼はリュシカの方へと歩いてくる。
「......すまん。任せられたにも関わらず、またミスをしてしまったのじゃないかと冷静さを欠いていた」
苦悶の表情を浮かべるエルフレッドにリュシカは後悔するような表情のまま告げる。
「そこは問題無いだろう。ただ、少し時間が必要だろうな......まずはユエルミーニエ様に状況を説明に行こう」
彼女は悲しげな表情で俯いた。その表情の意味は解らなかったが冷静になった頭でエルフレッドは頷いた。
○●○●
無意識の内に自身の部屋の前まで辿り着いていたフェルミナは慌てて駆け寄ってくる専属の侍女に顔を向ける。
「ど、どうしたのです‼︎フェルミナ様‼︎......その......‼︎」
言えないくらい酷い顔をしているのか、とフェルミナは自身のことを内心鼻で笑った。
「......クレナ」
「は、はい」
「......クレナは私の専属の侍女ですよね?」
「え、ええ、勿論です!勿論でございます‼︎」
「でしたら、ここであった事は絶対に内緒にして下さい......お母様にも」
「......フェルミナ様」
彼女が息を飲んだのがわかった。体が震えている。あんなに我慢したのに私はまたこんな思いを味わなくてならないのか、そう思うと冷たい心が溶け出したような涙が溢れてきた。いっそまた壊れてしまいたいと思うと心を回復する聖魔法ですら憎たらしく思えるのだから不思議だ。
不意に体が暖かくなった。誰にも見えないようにとクレナが抱きしめて部屋の中へと導いてくれる。前に私はクレナのことが好きでもない嫌いでもないと言った。しかし、どんな時であっても変わらずに対応してくれたのもクレナだったなと今では思い返すことが出来る。
「こんなに冷たくなってしまって......本当に辛い思いをされたのですね......」
私は泣いた。煩いほどに、叫ぶほどに、壊れたと思うくらいに泣いた。それがあたりに聞こえないように配慮してくれる自身専属の侍女に初めて感謝の気持ちを覚えたのだった。
目元を温め回復魔法で腫れを隠して、一見何もなかったかのようにクレナが細工してくれた頃に騒ぎを聞きつけたお母様がやって来た。
「フェルミナ‼︎大丈夫ですの⁉︎」
「もう!お母様ったら!心配し過ぎですよ!緊張しすぎた反動だって伝えてもらったのに会場を放ってきてしまうなんて‼︎」
私の明るい声と心にお母様が安堵の息を吐いた。
「それなら良かったですの......折角回復したのに式典でどうにかなってしまったのではないかと思ったら私は気が気ではないですの......」
「ふふふ、心配性なお母様......でも、もう大丈夫ですよ!後半は戻った方が良いですか?」
「いえね、フェルミナが体調を崩したと聞いて中止にしてしまったのですの......今はもう心配そうにしていたエルフレッド君しか居ないのでしてよ?でも、元気になったのなら帰ってもらった方が良いかもしれませんね......」
エルフレッド様が居るんだ。と少し心が騙せなくなりそうになる。
「そうですね!でしたらお見送りしないと!」
私はそれを隠すように飛び出した。
「あらあら、フェルミナったら......」
と何も知らないお母様が呟いた。私の想像はあっていたようだ。表情を見られなければこの力は発動しない。私はあの冷たい声を落としたお母様と同じ虚無の表情を浮かべながらエントランスへと向かうのだった。
「エルフレッド様!」
「あっ、フェルミナ様!大丈夫でしたか⁉︎」
心配げな表情で駆け寄ってくる優しい人ーー。エルフレッド様は何も変わっていないのに私の心は変わってしまった。それを尽く思い知った。
「ええ!エルフレッド様も心配性ですね!緊張の反動だと伝えたじゃないですか‼︎」
そう告げるとエルフレッド様は「良かった」と呟いて私の頭を撫でてくれるーー。
私はその手をゆっくりと外すとまだ残ってたんだなぁ、と愛おしげに見つめた。そして彼に見えないように涙を落として彼へと振り返った。
「......え?」
何も知らないお母様が驚愕の表情を浮かべているのを端に捉えながら私は満面の笑みを貼り付けてーー。
「もう!レディー何ですから!そういうのは禁止ですよ!”エルお兄様”‼︎」
冗談めかして私が言うとエルフレッド様は苦笑しながらーー。
「ハハハ、これはこれは手厳しい。確かにレディーの頭を気安く撫でるものではないですね!」
そう言って丁寧に帰宅の口上を告げて去っていく。それを笑顔で手を振りながら見送って姿が見えなくなるのを確認した私は困惑の表情を浮かべているお母様へと振り返った。
「お話しましょう?お母様」
私は自分がどんな表情を浮かべているか解らなかった。でも、少し怯えるような表情を浮かべる母を見て、きっと何も表情がないのだろうなぁ......と理解するに至ったのだ。




