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アードヤード王国において公爵家といえば元は王族に連なる王位継承権を持つ貴族のことである。その中でも特に力を持ち国の根幹を支えている公爵家が三家ーー。身分問わず、全ての国民は彼らのことを畏怖や尊敬の念を込めて”三大公爵家”と称した。
司法を司る[ホーデンハイド家]。財政を司る[カーネルマック家]。そして、軍事を司る[ヤルギス家]。
時には王族に代わり国を治めるものとして崇められている存在だ。その中でも特に他家の随従を許さない公爵家がある。近年は王家であっても自由恋愛が叫ばれ王族以外の血が交じる中で唯一王族以外の血が混じらぬ家ーー。青き血とされる貴族の中にあって時に王家以上に尊まれ敬愛される一族。
"史上最高の血"三大公爵家筆頭ヤルギス公爵家ーー。
そのヤルギス公爵家の中でも特に話題を持つ御令嬢がエルフレッドの眼前に降り立ったのだった。
「元はと言えば御者。其方の言動に問題があったのだ。そこで頭を冷やすが良い」
「リュシカ様......」
彼女が諭すように告げると御者はバツが悪そうに押し黙り頭を垂れる。思うところがあったとして彼女がそう言えば御者に言葉を放つ権利は一切無いのである。その光景にエルフレッドは暫し思考を止めてしまったが、思考が戻るや否や流れるように最敬礼ーー片膝をつくと騎士の如く頭を垂れた。
「”史上最高の血”と称されるヤルギス公爵家御令嬢リュシカ=ヘレーナ=ヤルギス様とは知らずに商家の令嬢と蔑んだこと深くお詫びすると同時にどのような罰も受ける所存でございます」
「良い。私としてはアードヤード王立学園校則、第一則、”学園に通う者は皆平等である”に則って荷馬車を選んだつもりだったが商家の者と勘違いされる可能性は考えていなかった。咎めるつもりはない」
「しかし」と不機嫌な表情を浮かべた彼女は方眉を上げながら少々低い声色でーー。
「その”史上最高の血”と称されることについては不快と言わざるを得ない。そう称されるべきは我が王[リュードベック=クロス=アードヤード国王陛下]並び[レーベン=ライン=アードヤード王太子殿下]以外あり得ない。永劫間違えぬよう心得よ」
貴族においてはその誇り高き青き血を褒めることは最高の褒め言葉とされていたが、王族に忠誠を誓う彼女にとっては、あまりお気に召すものでは無かったようだ。
「ハッ‼申し訳ありません!しかと承ります!」
確かに地上最高の血と称されるべきは王族であると間違いを認めた彼が張りのある声で答えれば彼女は声色を和らげる。
「ならば良い。私とて史上最高の血と称されることについては不快だが、この身に流れる青き血ーー、ヤルギス公爵家の血には誇りを持っている。故に其方の青き血を褒めようとする言動自体は非常に好感が持てた。立ち上がり面を上げよ」
「ハッ‼」
彼女の一言は彼の命運を握っている。そんな考えが頭を過ぎり、内心、どうにも心臓に悪いなと思いながらも彼は言われた通りに立ち上がった。
「さて、子爵家ということだが社交の場では見たことがないな。そなたは何処の子爵家の者か?」
彼女が不思議に思うのも無理はない。確かに子爵位まで上り詰めたエルフレッドだったが、それはあくまでも魔物退治の功績だ。彼自身が社交の場に顔を出した事など一度たりとも無い。そして、その必要性すらも感じていなかったのである。
「解らないのも無理はありません。私はバーンシュルツ子爵家の嫡男エルフレッド=バーンシュルツでございます」
とはいえ母から礼儀作法は完璧なまでに叩き込まれている。名乗りボウアンドスクレイプで礼の形を取った彼を見て、リュシカは瞳を丸くしてーー。
「バーンシュルツ子爵⁉︎ということは其方があのジュライを倒したエルフレッドか‼」
「はい。私がそのエルフレッドでございます」
瞬間、彼女は大人びた表情を一変させた。とても愛らしい年相応の笑みを浮かべると喜びを表すかのように弾んでみせた。彼女の腰の辺りまで伸びた艶やかな赤髪が動きに合わせてフワリと舞い上がる。
「ハハハッ!そうか!今し方、其方の話をしていたところだ!確かに其方なら龍でも倒せそうぞ‼︎おい、爺!出てくるが良い!あのバーンシュルツ子爵家の子息がいるぞ!」
途端に御者の顔色が悪くなった。巨龍を倒したと噂される人物にあんな口を聞けばどうなることやら、とでも思ったのだろう。
「バーンシュルツ、嘘だろ......」
そう呆然と呟く声がしたが、エルフレッドは公爵令嬢相手に細心の注意を払っていたこともあって聞いてさえいなかった。
それはさておき、公爵令嬢らしからぬ言動で馬車に話しかけていたリュシカは馬車から降りてきた初老の執事にその言動を嗜められる羽目になる。
「リュシカ様、そのような立ち振る舞いはお控えください」
「何がそのような立ち振る舞いだ!普段は堅苦しい令嬢を演じておるのだ!学園生活くらい自由にさせて貰うぞ!」
彼の言葉など意に介さず、晴れやかな笑みを浮かべた彼女の姿に初老の執事は痛くなってきた額を抑えるのだった。
「......お見苦しいところをお見せしました」
「いえ、多少驚きましたが私としては馴染みやすく感じております」
平民暮らしが長いエルフレッドからすれば正しく親しみ易かったのだが、彼の言葉をフォローと捉えた執事は数えるのが億劫になる回数目の溜息を溢した。
「しかしながら、近衛隊で"剣聖"と呼ばれていた[グレミオ=エイガー]様とこうして話す機会が出来るとはーー。改めて私バーンシュルツ子爵家嫡男エルフレッド=バーンシュルツでございます」
剣聖グレミオ=エイガーの名は剣を使う者にとって憧れの名前である。
法衣貴族エイガー男爵家の三男ながら、一般公募の兵士から戦績をもって近衛兵まで上り詰めた人物だからだ。その基礎を完璧に極めた剣術は一種の理想系とも言われている。一線を退いた後も後塵の育成に務め数多の剣豪を輩出した彼が、その後の人生にヤルギス公爵家の執事を務めていたとは思いもしなかった。
「滅相もございません。過去にそのように呼ばれたこともありましたが今は単なる老骨にございますよ」
その言葉と裏腹にグレミオの立ち姿には一切の隙がなく、ただの執事として付いて来ている訳ではないことが感じ取れた。一方でグレミオもエルフレッドから立ち上がるただならぬ風格に隙を突かれぬよう意識を強めていた。
「ーー割って入って済まぬがエルフレッド。一つ知恵をくれないか?」
彼女から声が掛かったのはそんな張り詰めた空気の中だった。驚いて振り返ったエルフレッドは失礼のないように姿勢を整えながら告げる。
「私で良ければ。しかし、戦うことしか脳のない私で役に立てるかどうかーー」
「良い。ただ別の視点から物を見れればと思っただけだ。実際、大した話でもない。今回、荷馬車に乗ったことにより要らぬ誤解を招いた挙句、思惑が外れるに至った。そもそもの経緯としては護衛もつけず馬車にさえ乗らないのはありえないと両親に言われたのが大きい」
リュシカはその時の事を思い出したのだろう。意見も聞かずに抑え込もうとするとは......とあからさまに苛立ち始めた。
実際、公爵家の御令嬢が護衛もつけず馬車にも乗らずに歩いて目的地に向かうなんてことは大問題だ。両親にそう言われたのは当然のことだろうがーー。
「確かに護衛もなしに歩くのは軽率かと思ったが学園に通う者達に身分の平等性を訴えたかった。ならば、護衛は最小限にして荷馬車に乗るのはどうかと思ったのだ。ここまではわかったか?」
「はい。聞き漏らしなく理解しました」
「よし。では、肝心の質問だ。私は身分の差無く平等に意見を言い合える。そのような関係を築くことが校則の目的だと理解した。ならば、それに相応しい立ち振る舞いをしたい。では、どのように行動すれば、その考えが伝わる立ち振る舞いといえるのか?考えを聞かせてほしい」
成る程と心の中で呟いて彼は思考する。
この御令嬢は自身の考えられる範囲の平等を模索して、このような行動を取ったのだろう。そして、平等であろうとした事自体は悪くないのだが、いかんせんやり方が安直過ぎた。
彼女が荷馬車に乗ったところで周りは不思議に思うことはあっても平等になったとは思わない。やはり、俗世から遠い存在故に常人とは考え方が違い過ぎるのかもしれない。
「リュシカ様の考え方は非常に良い考えだと存じ上げます。その言葉を賜り私なりの答えが出ました。ですが、それを答える前に、その答えに至った経緯を説明してもよろしいでしょうか?」
「よい。申してみよ」
「ありがとうございます。では、失礼を承知で申しますが馬車は御家の物を使って良かったと考えます」
一度は良い考えと言われて得意気な表情を浮かべた彼女の眉がピクリと動く。
「......ふむ。その心は?」
「私達には身分の差以前に立場というものがございます。立場が違えば、そこに付随した価値が御座います」
「それで?」
「私が平民の頃もそうでしたが戸籍の無い人々の価値というものは外的に見ても無いに等しい。道中で狙うのも精々盗賊や奴隷商人くらいのものです。そして、なにかあっても周りに与える影響は乏しいと言えます」
リュシカはそういうものなのか?と眉を潜めた。
「反対にリュシカ様ともなれば外的な価値は無限とも言えます。手に入れる為には手段を選ばぬ輩も多いはず。心当たりはございませんか?」
確かに、と彼女は苦々しく頷いた。どうやら"手に入れる為に手段も選ばぬ輩"に思い当たる節があるようだ。
「第一の考えとしては外的価値に起因する危険から御身を守ることを考えた時、ヤルギス公爵家の馬車に乗ることが最適であったから、と私は考えました」
「......一理あるな。しかし、防衛の面で言うならば荷馬車に乗るというのも良い考えではないか?まさか、ヤルギス公爵家の者が荷馬車乗っているとも思うまい」
良い着眼点である。そして、そこだけを見れば確かにそういう考えもあるだろう。と彼も頷いた。というより荷馬車に乗る訳がないという考えはあるんだな、と少し驚いた。
「防衛の面だけで言えばそうでしょう。ですが、第ニの考えが御座います」
「第ニの?」
「はい。それはリュシカ様の影響力を高めるためです。ヤルギス公爵家の馬車が通れば人々の目は間違いなくその馬車に向くことでしょう。アードヤードの人々は本日からが学園の入寮日であることを知っておりますから、その存在を大々的にアピール出来ます。その後、平等性の模範となる行動をとれば一早く浸透すると考えました」
「権威を嵩に着るのではなく利用する、ということか。私としたことが......両親に反発するあまり考えることを忘れていたようだ」
その考え方は目から鱗だ、と言わんばかりに目を丸くした彼女を見てエルフレッドは頭を下げた。
「場合によっては不敬と捉えられかねない発言をお許し頂きありがとうございます」
「いや、良い。戦ばかりと言う割に非常に学のある答えで驚いてたところだ。俄然そなたの案を聞くのが楽しみになってきた!」
その期待に満ちた表情を見ていたエルフレッドは渋い表情を浮かべる。実は話している間に一つ問題点を見つけたのだ。しまったと思ったがここ迄話しておいて無かったことには出来ないだろう。少し思考した後にバツが悪そうに告げる。
「......期待して頂きありがたく思いますが、私一つ失念をしておりました。戯言程度で聞いて頂けたら、と」
彼女は彼の言葉にキョトンとした表情を浮かべたかと思えば意地の悪そうな笑みを浮かべてーー。
「ほう?朗々と語っていた割には随分切れが悪いではないか?まさか、答えを用意してなかったのではあるまいな?」
詰め寄り、顔を寄せるようにして見上げてくる彼女に近い近いとエルフレッドは慌てふためいてーー。
「い、いえ!そうではありません!先程、姿を現わすことを止められていたのを思い出しまして!察するに街道であろうとも姿を見せるのは憚られるのではないかとーー」
「......なんだ。そんな事か」
彼女はあからさまにつまらなそうな表情を浮かべると少し思考してーー。
「いや、両親に何かを言われた訳ではない。実際、王都の街道であれば爺と共に歩いたこともある。私の匙加減でどうにもでもなろう。聞かせてみよ」
それならば良かった、とエルフレッドは安堵の息を飲み込んだ。
「わかりました。では、先程の考えを踏まえて答えます。私の案は二つの行動からなります。まず、ここから第三層にある学園まで護衛兼執事のグレミオ様と共に徒歩で向かってもらいます。御家の馬車の代わりに存在をアピールして頂くためです」
「ほう!アピールという面では馬車より効果がありそうだ。それで?」
楽しげな表情で答えるリュシカとは裏腹にグレミオは何処か物言いたげな表情を浮かべている。
「次に学園に入ってからですが近しい友人で極力身分の低い方と対等な口調で話して頂ければ、と。そうすれば自ずと校則通りの関係が見えてくるでしょう」
「なるほどな!面白いな!」
彼女はそう言って笑った後に腕を組み眉を寄せながら瞳を閉じた。そして、暫く思考を巡らせた後に口を開く。
「良い考えだと感じる。ただ、実行に移すならば二つの疑問を解消したい。良いか?」
「......なんなりと」
「まずは一つ目の疑問だが人選がグレミオの理由はなんだ?」
目を細め怪しげな笑みを浮かべる彼女にそれ以外の選択肢があるのか?と問いたくなる気持ちを抑えながらーー。
「私が考えるに強さ、親しさの観点から見て適任かと。敬語にはなっていても親しさを感じさせるのは只の主従関係ではないからだと考えております」
訝しく思いながらも答えれば彼女はわざとらしく頷いた。
「なるほど。確かに爺は私の執事である前に剣術の師であり礼節や勉学を教えてくれた存在だ。なにより幼少より共にあるが故親にも似た存在でもある。剣聖と呼ばれた実力は言わずもがな。エルフレッドの言う通りであろうな」
そうは言うものの何処か引っ掛かる物言いに良くはないと解っていながらも眉根が寄った。
「では、二つ目の疑問だが。極力身分が低いとはどの程度の身分を想定しているのだ?」
「低ければ低いほど良い、と考えます。ですが、リュシカ様の交友関係や選ばれた相手のことを考えますと伯爵家相当の方が適任かと」
「ーーなるほど。選ばれた相手の爵位が低ければ要らぬやっかみを受ける可能性がある故に少なくとも伯爵程度が妥当ということか」
「仰る通りでございます」
妥当と言いながらも何処か納得していないようなーー、否、それが答えではないというような表情を浮かべる彼女にエルフレッドはどうも嫌な予感がしてならなかった。現に彼女はそれを証明するかのように態とらしくもっともらしい表情を作ると胡散臭さに満ちた厳かな声で言うのだ。
「エルフレッド。その二つの考えを聞いた上で私はこう思ったのだ。その答えは最適ではあるが最善ではないと!」
「最善ではない、でございますか?」
「ああ、そうだ!良く考えてみろ!王都では爺と私の関係が知れてる故に街道でのアピールが弱いと考えられる。更にそのアピール役と学園での役割を持つ者が一緒であればより良いと考える」
彼女は独裁者が演説でもするかのように左手を腰にあてて右手を振りながら続ける。
「そのような者がグレミオを超える実力を持ち!更に私の持つ交友関係の中では最も低い位を持ち!更には平民としての過去を持つ!そのような者が居ればより効果的であるとは思わんか?」
その堂々とした身振り手振りに思わず拍手をしそうになりながらエルフレッドは思った。
(確かに。それは最善の策だな)
彼女の交友関係は彼が考える以上に広いらしかった。剣聖よりも強い平民上がりの下級貴族。そんな貴族とも交流があるとは思いもしなかったというのが正直な感想である。
公爵令嬢とは思えぬ程の交友関係の広さに驚きながらも、彼が境遇が近いこともあり、そのような人物がいるのならば是非一度会ってみたいと考えるのは当然であった。
「そのような御友人が居られるのであれば、それ以上の適任はございません。境遇も近い故に是非とも一度ご紹介頂きたいとーー」
「......ククク......」
先程まであからさまに威厳を醸し出していた彼女が今にも吹き出しそうにーー、いや、吹き出して笑い始めた。何が可笑しいのやら腹を抑えて目尻に涙まで浮かべての大笑いである。
その様子を眺めていたグレミオは大きな溜息を吐きながら額を押さえるのだった。
何が起こったのかと唖然とした表情を浮かべるエルフレッドに彼女は「すまん、すまん」と息を整えてーー。
「あー、そこまで解っていて答えに辿りつかんのが少し可笑しくてな。いや、気を悪くしないでくれ。意地の悪い言い方をした自覚はある」
そして、彼女が浮かべた表情がそれはそれは"いい笑顔"だったのをエルフレッドは未来永劫忘れることはないだろう。彼女はそんな輝かんばかりの最高の笑顔を浮かべながら、ウィンクをして見せると人差し指を彼に向けてーー。
「その相手。私の目の前にいるではないか?」