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雲一つない青空と燦々と光る太陽はグランラシア聖国にしては熱い方であったに違いない。しかし、目の前に歩ける程に凍った湖があるとその熱さは半減といったところだろう。否、寧ろ寒くすらある。畔の村の中で最も離れた馬小屋に黒馬を留めてレヌ湖へと繰り出したエルフレッドは眼前に広がる異様な光景に間髪入れず大剣を抜いた。
凍った湖の中を青い鱗が蜷局を巻くように蠢いている。カリカリと氷を削るような異様な音を立てながら異常に下がっているであろう水温を心地良く感じているかの如くグルリグルリと泳いでいるのだ。
そして、そのフィールドがエルキドラにとって非常に有利なフィールドになってることが見て取れた。分厚い氷の中で大きな爬虫類を思わせる瞳がこちらを睨んでいる。
この氷を剥ぐのは中々骨が折れそうであった。何より乗って壊そうものなら下から食い破る算段なのだろう。油断も隙も見当たらない完全な待ちの姿勢である。どうやらエルキドラは中々に慎重な性質を持ち合わせているようだ。エルフレッドとて誘いに乗ってやる気もないので風の魔力で刃を作っては氷の上を走らせては分厚く張った氷を削っていく。無論、それは微々たるものだがこちらは元より長期戦の覚悟でここに来ているのだ。焦れて罠に嵌るくらいなら我慢比べである。風の刃が氷を滑るたびにキーンとした耳障りな音共に分厚い凍りが削られていった。
削られた粉塵が舞い踊り氷が白に変わる。それを繰り返しているとこちらに都合の良い半円系の穴ができる予定だ。こういった我慢比べは相手が嫌なことをしながら、こちらに有利な状況を作るということに意味がある。
特に初めから相手の為に整えられた環境ならば尚更だ。そして、エルフレッドは相手の反応を見逃さぬように視線を光らせた。あまりに持久戦を好むとなれば使いたくはないが毒を使うことも視野に入れなくてはならないだろう。海に逃げられては追い掛けるのは至難の技である。
そして、その作業を繰り返して半時間程、もう少しで半円系のそれが出来ようという時に動いたのはエルキドラの方であった。氷を突き破って跳ね上がったそれが着水すると同時に半円系の氷の塊が鉄砲水のような津波と共に飛んできた。
エルフレッドはそれを大きめの障壁で受けると襲い来るエルキドラに向けて弾き飛ばした。その弾き飛ばした氷をものともせず噛みつかんとするエルキドラの攻撃を避けながら大剣を構えて横っ面を狙う。それを首を立てるようにして避けるエルキドラーー。ピカリと光った口元が見えてエルフレッドは転がった。瞬間、極寒の冷気を思わせるブレスがエルフレッドが居た一面を凍らせた。
「......その為の水か!」
一瞬にして凍りついたフィールドにとられた足を風の魔力の風圧で踏み抜いてエルフレッドは飛び上がる。ウィンドフェザーで飛翔して大剣の連携で一撃を狙う。しかし、エルキドラはその長い胴体を伸縮し左右に動かすことで避けてまともに打合おうとしない。牽制で放った風の刃を氷の障壁で受けて打ち消すように動いている。
(次の狙いはなんだ?)
先程のフィールドは凍りついたことで風の膜を張らなくては歩き辛い状態だ。そこのフィールドに居て魔力を消費しながら戦うのは確かに面倒だが、このまま飛び続けて戦うよりはマシだ。ーー何なら目を眩ませて別のところに飛び移れば良い。
(いや違う‼︎)
後方に沈むこむようにして巨龍が沈み込むのを見てエルフレッドは全身に風の障壁を張り巡らせた。瞬間、背面より尾による強烈な一撃が叩き込まれた。どうやらこの巨龍は水を使えば相当トリッキーな動きが出来るらしい。今のもイメージはオーバーヘッドの動きである。遮蔽物が無いため相当吹っ飛ばされたが地面に叩きつけられた訳ではないのでダメージはない。完璧に防ぎ切っている。
しかし、戦いに戻らんとするエルフレッドを他所に巨龍はビタンッ!ビタンッ!と湖を打っては津波を起こしては辺りを凍らせて自身に有利なフィールドを広げているのである。
(面倒な戦い方をするタイプだな......)
知性的かつ理性的な理詰めが好きなタイプといったところかーー。こちらが不利な状況を作って、こちらがそれを打破すれば更に不利な状況を作り出す。いや、こちらに不利でなくても自身に有利な状況を作り出そうとしているといったところだろう。
結果的にエルキドラが水から出る気配がない以上は討伐に来た側の自身が近づかねばならないのは確かである。
(だが、そこは承知の上だ‼︎)
気合い一閃、エルフレッドは空を翔ける。悠々と自身のフィールド作りに勤しんでいるの前で旋回してエルキドラの背面から襲い掛かる。無論それは当たらない。当たらないが関係ない。翻弄するように旋回して立ち回って連撃を繰り出して攻め立てる。
その虫の一匹でも万全に戦うという神経質な戦いを続けるというならば、こちらは虫のようにまとわりついて嫌らしく戦うのみだ。
そこが活路という訳ではないが氷海の巨龍含む水竜は海での生活に特化しているためか尾びれ背びれはあっても手足はない。確かにこちらの攻撃は当たらないだろうが逆に言えばこちらに対して有効な手立てもないのである。ブレスを吐いて噛みつかんとしているものの防戦一方の様相を呈してきた戦いにエルキドラが徐々に焦れ始めているのが見て取れた。
我ながら魔力を度外視した無茶な戦い方をするーと思うと同時に、しかし、有効な手立てであるならば魔力回復薬を飲んででも一生付き合ってやるというのがこちらの心情だ。
そして、そのうざったらしい戦い方に焦れたエルキドラが不用意に牙を出したのを見てエルフレッドは大剣を振った。狙ったのは左目だ。袈裟での一撃だったがエルキドラが首を逸して回避したことで目の下を浅く切り裂く程度に終わる。
ヌメリとした感覚の後に鮮血が舞う。氷で彩られた大地に朱の色が輝いた。もう一撃を狙おうと試みるが口を開いたエルキドラに風の障壁を選択ーー、咆哮の圧を感じながら大剣で牽制して後方へと飛ぶ。巨体がザバンッ‼︎と湖へと潜っていった。目の下の傷は凍らせて止めたようだ。当然エルフレッドも追い掛けるが水の柱がそれを邪魔する。
辺りの木々は塩を含んだ津波と凍傷によって、どんどん倒壊していっている。睨み合いながら氷の上に着地したエルフレッドは風の魔力でその一部を引き剥がすと大剣を構えながらウィンドフェザーを解く。
そして、空間開放から魔法回復薬を取り出して煽るとエルキドラがいる方を睨みつけた。
エルフレッドは次の一手を決めかねていた。夏休みに入る前に氷海の巨龍との前哨戦としてエルフレッドは北東海域におけるクラーケン討伐に乗り出した。水の魔物としてAランクに属する化け物烏賊は水中戦の良いトレーニングとなると考えたからである。そして、実際にそれを行い勝利するのだが、その際に感じたのは水中は魔力消費が激しいということだった。
当然、自身を大地の上と同じくらいに動けるようにして、それが相手にも作用するようにする為には割と大掛かりな空間とそれを維持する必要性が出てくる。そして、その魔力は秒単位で減っていくのだから魔法を使わずに戦ったとして最大二時間程度しかもたない。無論、巨龍相手に魔力を使わないなどという選択肢はあり得ないので実際はより短い時間だ。
このまま空中戦、地上戦にもっていった方が自身としては戦いやすい。しかし、エルキドラもそれを解っている。睨みつけるようにこちらを見ながらも自身の得意とするフィールドに相手が飛び込んでくるのを待っているのだ。
水中戦で陸上に引っ張り出すか地上戦もしくは空中戦のチャンスが来るまで期が熟すのを待つか相対する者の睨み合いは膠着状態を迎えていた。




