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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
終章 偽りの巨龍 編(下)
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 余りにも絶望的な状況に、エルフレッドは自らの前髪を掴むかの様に額を押さえた。最愛の人の危機を前にして、自身は何も出来ないのかと強く歯を食いしばる。


 世界の命運を掛けた戦いから、早くも日常を取り戻した城下街――多くの人々が彼の横を通り過ぎていく。思考の渦に巻き込まれ、立ち尽くす彼だけが、その日常から切り離されたようだった。


 やがて、空は暗くなり、子供達は帰路を急ぐ。早くも仕事を終えた大人達が夜の予定を話し笑い合う。休日だったのだろう、子連れの夫婦が手を取り合って外食へと向かっていく。


 危機は過ぎ去ったものであると言わんばかりの日常が、アードヤード全体に広がっていた。





 それは突然の事だった。アードヤードを駆け巡るかのように一陣の風が吹いた。穏やかな緑の風は人々の間をすり抜けるように吹いていった。





 アードヤードの中心から溢れでるかのように流れていった風に人々は振り返ったものの、それは一瞬の出来事で皆は首を傾げるばかりであった。大事件の後の出来事に警戒した気持ちがあったに違いない。しかし、緑の風に感じた優しさに人々の不安はすっかり消え去っていた。


 その日、体調が良く、王城から城下を見下ろしていたアーニャは思わず苦笑する。


「全く…リュシカの為にそこまでするニャ?本当に呆れた男ミャ」


 呆れたという割にその表情は非常に和やかであった。


「アーニャ。こんな所に居たのかい?体を冷やすのはよくないよ」


 突然、消えたアーニャを心配したのだろう。レーベンは荒い息を吐きながら彼女へと駆け寄る。


「あらあら、心配症な旦那様だミャア。私からすれば病み上がりのレーベン様の方がずっと心配だニャ。アマテラスの一族の出産率は100%だから何も心配することはないのニャ!」


 そう言いながらクスクスと笑うアーニャに「それでも最愛の人を心配するのがパートナーというものじゃないかい?」と眉を下げる。


「でも、君の表情を見て解ったよ。何があったかは解らないけど、何だかとても気分が良さそうだ」


「ふふ、解るミャ?優しい風がアードヤードを飛び回っているニャ。この子達も、とても喜んでいるのニャア」


 大きくなったお腹を優しく撫でながら目を細める彼女――。穏やかな風に感じる魔力、その傲慢さは優しさ故である。


「優しい風……エルフレッド君か。彼は探しているんだね」


 既に大事件の間に起きた出来事はレーベンの耳にも入っていた。その中でエルフレッドが関係し、探している人物がいるとするならば、大会の後に姿を消したリュシカの事だろう。


 アーニャはレーベンの方を振り向くと小さく頷いた。そして、空へと視線をやって目を細めた。


「ここまでくれば、最早神の所業ミャ。きっとリュシカは見つかるハズミャ」


 エルフレッドの頑張りによって遠くない未来に親友との再会は叶うだろう、とアーニャは確信していた。しかし、それと同時に思うこともある。この規模での魔法の行使――それも、どういった原理かは解らないが、この魔法は母シラユキを救った本質魔法と同質の物と思われる。となれば、使っているエルフレッドに掛かる負荷は想像を絶するものと考えられた。


「エルフレッド君は大丈夫だろうか?最後の巨龍を倒したばかりだろう?」


 レーベンも同じことを考えていたようだ。当然と言えば当然だ。未知の魔法、そして、この規模――、この状況を知れば誰もが考えるハズである。アーニャは「それは……何とも言えないのみゃあ」と苦笑した後に城下に背を向けた。


「でもミャ。私は信じているミャ。エルフレッドはきっとリュシカを悲しませるようなことをしないとニャア」


 助かった所で愛する者が居なくなれば、行き着くところは変わらないのだから――。


 そんなことを考えながら、アーニャはレーベンと共に城の中へと戻っていった。













○●○●













 転がるようにして森へと向かったリュシカは扉を破った際に痛めた肩を押え、足を引きずりながら走る。荒い息を吐き、なるべく姿が見えないような道を走るも安心できる所は何処にもなかった。常に恐怖が後ろをついて回る状況に直ぐに胸が痛くなり呼吸が上がる。


 少しでも遠くに距離を稼ぎながら身を隠せる場所を探す、それだけを考えて道なき道を奔走する。


 明りのない森は異常なまでに暗くなり、前は殆ど見えなくなった。異常に心細く感じる恐ろしい闇の中――それでもレディキラーと同じく空間に居るよりは遙かにマシだと思っていた。


 しかし、ある程度追われる恐怖から逃れた状態になって気づいた。今の自分は魔法の使えない手負いの無力な女でしかない。暗い森の中で魔物に襲われでもすれば一溜りもないのである。待っているのは明確な死のみだ。無論、レディキラーの餌食になる方がマシという訳でもないが――。


 肉体の限界を感じ、岩陰に身を隠すようにして辺りを見渡せば闇しかない。時に聞こえる風の音さえ魔物の鳴き声の様に聞こえて、恐ろしくなり体が震える。Sランクの冒険者。時には魔力を封印して戦う練習などもしたが、武器も無く手負いともなれば、そんな物は何の意味も無いのだと気付く。


 ただただ神経を研ぎ澄ませ、害意の接近に注視し、身を隠す他ないのである。


 そんな時間は一秒が異様に長く感じた。精神が酷く消耗していくのを感じる。リュシカは身を震わせながら、助けが来ること祈った。自分でどうにかしようという気力は廃墟から逃げる時に使い果たしたと言っても過言ではない。




 しかし、そんな祈りも虚しく、魔物が現れる。



 Cランクのサンダーウルフ。普段ならば恐れる必要が全くない魔物。しかし、今のリュシカにとっては死の足音でしかない。


 集団行動する魔物、徐々に集まってくる足音。逃げようにも囲まれている。


 リュシカは落ちていた木の枝を掴む。気力が残っている訳でも、何が出来る訳でもないが、このまま何もせずに死ぬのは嫌だった。今にも飛び掛からんと呼気を荒げる魔物達に木の枝を向けて立ち上がる。


 最後に思うことが有るならば、エルフレッドの戦いが無事に終わったのか、彼は生還できたのか、その結末を知ることが出来ずに死んでしまうことになる事に悔いが残りそうだということくらいか――。


 飛び掛かってきた魔物に枝を振るい、躱す。ニ三もしない内に枝が折れ、徒手空手で立ち向かうも、体に傷が増えていくばかり、終わりの時は近い。


 そして、一体に気を取られている内に後ろから近付いてきたもう一体に体当たりで突き飛ばされ、岩に体を打ち付け崩れ落ちた。全身が痛くて立ち上がれない。決着は着いた。


(公爵令嬢に産まれ、最後は魔物の餌か――)


 あまりに惨めな自身の最後に失笑する。もう何をする気にもなれない。


 ジリジリと近づいて来る魔物の群れ。10は下らぬ数にせめて痛みが少ないことを祈るばかりだった。


 飛び掛かってくる姿の一挙一動、その細部まで見える程ゆっくりと流れる時間――食い込む爪、飛び散る血飛沫。仕留められる獲物の最後とはこういうものなのか、と妙に冷静な自身がいる。一匹、ニ匹、三匹と飢えを堪え切れず、群がり飛び掛かってくる魔物、その全ての動きが鮮明であった。


 その内の一体が彼女の細い首を狙って口を開いた。逃れる術はない。


 最後、その一挙一動を見逃さないとでも言わんばかりにリュシカの瞳が開かれた。




 そして、リュシカは――。



 ――。



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