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息を顰めて足音に気を付けながらも最速で駆けた。捕まったらどうなるかなど考える迄もないことだ。広々とした廊下を道沿いに右折、そして、二度目の右折をしようとした所で気付く。
(これではグルグルと回っているだけではないか)
元々、どういった用途の建物だったかは不明だが、檻と廊下で構成された二階、廊下と一つの部屋だけの三階、生活環境が多少存在している一階という状況を見るに何かを閉じ込めているような施設だったのだろうとは予想がついた。
何か、といったのは廊下に着いた窓が通常通り開閉出来るのを見て、少なくとも囚人ではなさそうだと考えたからである。
足の怪我覚悟ならば飛び降りれる高さであるから、牢獄には向かないと判断出来る。それとも、元来は更に逃げられなくするような何かが用意されていたのだろうかーー。
レディキラーが階段を上る音が聞こえた。心臓が激しく高鳴り、息が苦しくなる。音が出ないように後退り、階段側から対角線上の位置にある三階階段の付近に陣取った。
耳を顰め、レディキラーの出方を伺う。ばれないように同じ方向に進み、階段を駆け下りる事が出来れば、逃げることも不可能では無いと彼女はそんな算段を立てていた。
不規則なリズムの足音ーー。バランスが悪く身体を揺らすようにして歩く、レディキラーのそれは非常に解りやすかった。逸る気持ちを抑えながらも、出来る限りの早足でリュシカは下りの階段へと向かう。
レディキラーが上がり階段を上りだし、足音が聞こえなくなる迄は忍び足で下り、そしてーー。
(今しかない‼)
全速力で駆け出し、一気に出口の扉を目指した。忍び足で建物を出れたとして、三階に居なければ魔法でも何でも使って追いかけて来るだろう。そうなれば、捕まるのは時間の問題だ。こちらは魔力を封じられているのだ。目視出来た時点で詰んでいると言っても過言ではない。
ならば、バレるリスクを負ってでも全速力で駆け出し、窓から見えた森へと紛れ込んだ方が捕まる確率は遥かに低くなる筈だと考えた。魔力が封じられていることを逆手に取れば、レディキラーが魔力を感知出来たとて見つかることは無いとーー。
散乱するゴミに足を引っ掛けて無様に転んだ。足を痛めたが走れぬ程ではない。ヒョコヒョコと不格好になりながらも、彼女は眼前に見えた扉を目指した。
そして、リュシカは鍵を開け、体当りするような勢いで外へと飛び出した。
○●○●
「......やってくれましたの」
愛娘の暴挙にショックを受けて、意識を失っていたユエルミーニエは起き上がって早々、妹であるアナスタシアから手渡された雑誌の記事を読み、険しい表情を浮かべた。
「叔母様。私はこの記事に書いてある内容が嘘であると承知しております。ですが、あまり長い間、静観すれば世論がーーいえ、静観せずに早急に対応する必要があると考えます」
訴えかけるように告げるサンダースに「ええ、サンダース君。私もそう考えていたところですのよ?このままでは当家の威信に関わりますからねぇ」と雑誌から視線を外す事なく答える。
記事の主軸はリュシカの婚約が嘘の上で成り立っているというものだったが、それに三大公爵家、全てが関わっているように仄めかしてある。
特に司法を司るホーデンハイド家の関与を強く疑っている書き方には、以前、取材を受けた際に、にべもなく断られたことを逆恨みするような思念が感じられた。
確かに真実を全ては伝えなかったが、嘘を吐いた訳ではなかったーーにも関わらずだ。
世論を味方にすれば、このホーデンハイド公爵家さえ怖くないとでも言うのだろうか?
カーネルマックの面々が心配そうに見つめる中でユエルミーニエは雑誌をクシャリと潰した後にーー。
「面白いですの。誰を敵に回したか解っていないようねぇ」
呟き、笑んだ。その底冷えするような声と冷酷な微笑みに、アナスタシアは自身に向けられた物では無いと解っていながら顔を青くする。
「ヤルギス公爵家の時みたいに遠慮する必要はありませんものねぇ。ーー徹底的に捻り潰してやりますの」
手に持っていた雑誌を床に落とした彼女は、それを踏みつけながら立ち上がった。その様はさながら、蟻を踏み潰しながら無邪気に笑う子供の様であったという。
○●○●
急ぎ、アードヤードに戻ったエルフレッドだったが、焦る気持ちとは裏腹に動き出せずにいた。最も情報を持っているであろうメルトニアと連絡を取り合うも目ぼしい情報がない。
虱潰しも考えてはみたが、そもそも宛がない。そして、連れ去られた状況を見ていたイムジャンヌのメッセージを見るに悠長に構えてられる状況でもないのである。
更に追い打ちを掛けるかの如く、母レイナから齎されたリュシカを中心としたヤルギス公爵家の不義を疑うスキャンダルーー当主、次代共に不在である事も相成って、ヤルギス公爵家が機能不全に陥っている事を知らされる。
リュシカ付きの護衛や影ならば、若しくはという考えも、事態がある程度の落ち着きを見せねば、話を聞くことさえままならないーーそして、それを待つだけの時間があるとも思えなかった。
(仲間達と合流するか?いや、連絡が必要ならば携帯端末で十分だ。だが、このまま立ち往生している訳にはーー)
焦りから無意味に空回る思考が鬱陶しい。落ち着き、冷静にならねば、何か意味のある行動を取らねば、と気持ちばかりが先行してーー、しかし、全く進展を見せない現状に苛立ちが募っていった。
そもそもがエルフレッドはルシフェルとの死闘から生還したばかりということもあって、彼自身、全く本調子ではない。




