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不安は徐々に現実となっていく。帰りの人々が居ても可笑しくない状況の中で、何故だか誰も城門に向かおうとしないのだ。誰もが立ち止まり、話をして、ただ、時間を無駄にしている。
それはまるで城門に向かうという選択肢を"奪われてしまった"かのように見えた。
(何らかの魔法が掛かってる......リュシカーー)
イムジャンヌには軽微な魔法は効かない。アルドゼイレンから貰った桜色の髪飾りに、まじない程度の魔法耐性が付与されている。
イムジャンヌは走る。動かせる限り足を動かして、彼女は駆ける。普段のリュシカならば全く問題無かっただろう状況だろうが、今の彼女は弱っている。いや、もしかすると、彼女が弱っている原因はーー。
最悪の可能性が頭を過ぎった。考えてみれば解ることだった。最終決戦だから戦力は本拠地に集まる筈だと決めつけていた。しかし、ルシフェルの目的を考えれば、何故、その可能性を考慮しなかったのかと頭を抱えたくなる思いだ。
あの悪魔の目的は神の悲願を潰し、自身の前に姿を現せさせることだ。
もし、あの世界政府を乗っ取った世界を揺るがす大事件さえ、大規模な陽動作戦だったとするならばーー、もしくは第二の策を巡らせていたとするならばーー。
自身の考えにイムジャンヌはゾワゾワとした感覚を覚える。エルフレッド含め、世界の名だたる者達全てがルシフェルの手玉に取られていたという事実は、余りにも恐ろしい。
そして、現状、その企みに気付いた者が自分しか居ないことに焦りが増した。乱れた呼吸を繰り返し、荒い息を吐きながらも手足を止めることをしないでいると目的地である城門が遠目に見えた。
蹲りながら携帯端末を耳に当てているリュシカの姿がある。彼女の周りに人影は無い。
その瞬間、イムジャンヌは間に合ったと思った。危険な状況には変わりないが、少なくとも自身より前にリュシカへ接触出来る者は居ないだろうとーー戦う準備さえ出来ていれば、最悪の状況は回避出来るだろうと、現状から判断してしまったのだ。
故に。
突然、眼前に現れた黒の影が。
あっという間に彼女の意識を奪い。
消え去ってしまうという現実を。
受け入れる事が出来なかった。
「リュシカ‼」
イムジャンヌは叫んだ。愛刀を抜き放ち、飛び込んで男が居た空を切る。その行動と黒い影、レディキラーが消えるまでの差は数瞬も無かった。
しかし、結果は文字通り空を切った。レディキラーは既に消え去ってしまっていたのだ。
「どうして、もっと早く気づかなかったの。一人で行かせるべきじゃなかったって......」
呆然と立ち尽くし、項垂れる。守れるチャンスがあったというのに棒に振るってしまった後悔の念に苛まれ、嘆きの言葉が口から溢れた。
"リュシカ?何かあったのですか?返事をして下さいーー"
イムジャンヌは地面に転がった携帯端末に視線を移した。電話を掛けて置きながら応答の無い娘を心配する母の声ーーあまりに必死な様子から、もしかするとイムジャンヌの声が聞こえていたのかもしれない。
夫、息子が戦地へと赴いている中で娘が誘拐されたと聞かされる母親の心境を思うと、一気に気が重くなった。
しかし、このままにしておく事は出来ない。何方にせよ、隠し通せる話では無い上に、リュシカの事を考えると現状を伝えた上で、早急に対策を立てる必要があった。
何より拐われる瞬間を見てしまった者としてーー守るチャンスが有りながら、守る事が出来なかった者として、責任を果たす必要性を感じていた。
彼女は意を決した表情で携帯端末を拾い上げる。
「突然、申し訳ありません。エイガー男爵家の次女イムジャンヌです。はい。何時もお世話になっております」
娘の携帯端末に娘の友人が出て、困惑を隠せないメイリア。しかし、何らかの出来事を察しているのか、焦りや不安を隠せない声色でいる。
そんな心情を聴覚から感じ取り、溢れ出そうになる感情をグッと噛み殺し、イムジャンヌは努めて冷静な声で告げるのだった。
「リュシカが拐われました。レディキラーに......申し訳ありません。間に合いませんでした」
息を飲むような音がした。そして、携帯端末を落としてしまったのだろう。激しい衝突音の後に通話は切れてしまった。
リュシカの携帯端末を握ったまま、ブラリと腕を垂らし、呆然と空を見上げたイムジャンヌ。後悔と自責の念に押し潰されそうになっていた。
「皆に状況を伝えないとーー」
しかし、早急に行動しなくてはならない状況に変わりない。後悔も自責も、今、こうして立ち止まってる場合じゃない事くらい、回らない頭でも解る。
彼女はリュシカの携帯端末を仕舞うと、自身の携帯端末を取り出し、仲間達のグループにメッセージを入れるのだった。
○●○●
メルトニアの最大火力を誇る魔法の名は"天への柱"という。当然、オリジナルの魔法で属性の分類は無属性だ。
対エルフレッド用に作られた多くの魔法とは違い、何らかの頂点への挑戦を考えて作られた魔法であり、彼女の人生を表す魔法でもあった。
思い返せば幼少期は碌な人生では無い。親に捨てられ、孤児院で育ち、引き取られた先で実験動物として扱われ、精神を壊され、捨てられた。
その後、また院長に拾われるまで、語るも忍びない悍ましい経験をしてきた。当然、思い出したくもない記憶だ。壊れた少女に何をさせたいのだろうとも思った。
総括して正に地の底を行くような人生を歩んできた。光の見えない底の底。救いの無い、終わりへの道をただ歩むだけの道だ。死以外にゴールが見出だせない、誰もが禁忌する道をひたすら歩くだけの幼少期だった。
しかし、そこに光が見えた。徐々にだが、道が上向いてきて、多くの光が差し込むようになっていった。
生きていれば幸せだってあるんだと思えたのは、そこからだ。死が最良では無いと言うことを漸く知れた。自ら実験体になるような馬鹿な真似はしたが、それでも幼少期に比べれば遥かにマシだった。そして、多くをこの手に掴むことが出来たのだ。
今ではそれさえも捨ててしまったが、あの時、イメージの中で差し込んできた多くの光を現実に再現出来れば、万物にも勝る究極の魔法が作れるのではないかという考えは、何時しか人生に置ける目標のようなものになっていた。
そして、遂に数十年の時を費して完成した魔法であった。
地の底を歩んできた自身であっても頂点ーー即ち、天へと届きうる魔法であるとして、天への柱と名付けたのである。
実際、影ではあったがルシフェルをも消し炭にしてみせた。ならば、現在、人の身で頂点に立つ英雄さえも越える事が出来るのではないか、と思うようになったのは致し方ないことではないだろうか?
純粋な興味、そして、自身が打ち込んできた事の集大成の場が眼前にあるとして、飛びつかない研究者はいない。
完全にリズムを崩したエルフレッドの強引な一撃をイージスガードが受け止め、流した。彼らしくない冷静さを掻いた一撃は、元来、空を飛ばない生物である人の身に大きな隙を齎すに十分なものであった。
「この時を待ってたよ。エルフレッド君。私の究極の魔法は、私に幸せを齎した光の柱。光の先は天まで届いてるって私は信じてる。ーー受け止められるかな?」
彼女の言葉に呼応するかの如く、エルフレッドを囲むようにして多くの印が展開される。
強い想いが乗った一撃がエルフレッドに対して牙を剥く。
「多重印展開‼究極魔法ーー天への柱‼私の本気の一撃、見せたげる‼」
障壁を張ったエルフレッドを押し潰し、消滅させんとする高濃度の魔力が放たれる。
そして、それは空へと向かって伸びていき、雲を穿ち、一本の柱となって何処までも高く昇っていった。




