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牙を剥き、爪を繰り出すアオバの猛攻にイムジャンヌは汗を散らし、歯を食い縛った。かくも早く、猛々しく、力強い。
聖化や神化の様な圧倒的な付加価値は無いものの、獅子に近づいた分だけ純粋に強化された一撃は、怪力自慢のイムジャンヌですら圧倒される程であった。
「正直、学生に押し負ける事はないと思ってた」
鈍い音を打ち鳴らしながら好戦的な笑みを浮かべながらイムジャンヌが言う。まだ上級魔法という切り札を残しているが、全力を出せばエルフレッドさえ押し負けさせる怪力に自信が無いわけではない。
それを元々身体能力が高い獣人とはいえ、二学年下の少女に押し返されている現状には、素直に驚くしかなかった。
「ヒーローは見えない所で弛まぬ努力をする者なのだ‼自分が大切だと感じる者を守る為に‼」
その瞳には強い熱が滾っていた。燃え盛る炎を思わせる視線と想いがあった。
自身が大切だと感じる者を守る。
その心が今のアオバを強くしているのである。
「アオバちゃん‼また距離が近くなってます‼まだ上級魔法もありますから中距離を維持して下さい‼」
「解ったのだ‼フェルフェル‼」
それはライバルだと教えられてきた虎猫族の少女だ。素晴らしい才能、そして、愛らしき容姿を持った虎猫族の姫君ーー。それ故に辛い経験をして、心を壊し、母国アードヤードから祖国ライジングサンへと渡ってきた少女である。
母は言った。それは猫又の強い魅力に惹かれてるだけだとーー。
強い理力と優れた容姿を持つ猫又は、上位者としての抗い難い本能的な魅力を持っている故に物語の主に据えられるのだと、アオバに語ったのだ。
だが、アオバはそうは思わなかった。確かにフェルミナは素晴らしき才能故に無限の努力をこなし続ける自分を直ぐに超えていく。そして、猫又の魅力と呼ばれる、ある種の常軌を逸した理力に惹かれている者が居るのも事実だ。
しかし、それ以上に彼女は素晴らしい人間性を持っているのだ。心を壊したのは家族に迷惑を掛けたくないという優しさがあったからだ。母型の特殊な能力で人以上に気持ちに敏感で、影響を受けやすく、生き辛いーーそんな中でも家族を守り、迷惑を掛けまいとした優しさにアオバは心動かされたのである。
幼さ故に遣り方を間違った面はあるだろう。そして、ストレスに打ち勝てず、物を壊し、侍女に当たった事は確かに褒められたものではない。結果的には家族に迷惑を掛けてしまったことになるだろう。
しかし、しかしだ。初等部低学年から高学年という長い期間を幼い少女が戦ったのである。
体を壊しがちな母に心配を掛けたくない。
自身より獣人の適性が低い姉を傷付けたくない。
多忙ながら愛する家族の為に奔走する父の邪魔をしたくない。
私が耐えるのだと。周りは敵ばかりの孤立無援で四面楚歌。家族まで疎んじていると囁かれ、吹き込まれ続けても尚、彼女はその優しさを保ち続けた。
その話を聞いた時、アオバは思ったのだ。
彼女の生き方は正しくヒーローの生き方だとーー伝説にしか知らない先祖の生き様をそこに見たのである。
「ーーアオバちゃん‼」
フェルミナの声に意識を分散させれば、イムジャンヌの後ろに瑞々しく生命力に溢れた小さな木が見えた。
上級樹魔法、ホールドユグドラシル。
相手も遂に本気を出してきたという訳だ。傷の再生に全能力の底上げーー厄介な事、この上ない魔法である。事実、獣化をしているアオバでさえ今のイムジャンヌを押し込むのは難しい。とはいえ、押し負けることもないがーー。
ギリリ、と強く食い縛った歯が鳴る音が聞こえた。額に汗を浮かべ、愛刀と拮抗する爪に力を込めるイムジャンヌの表情に余裕は無い。
ホールドユグドラシルを使っても尚、拮抗することしか出来ないとは思ってもいなかったことだろう。そして、それは元々魔力が少ない彼女にとっては大きな誤算でもあった。
「獣化、恐るべし」
思わずといった様子で零したイムジャンヌの言葉にアオバは口角を上げた。今の自分でもAランク冒険者並と言われる実力者と戦えるのだと自信が湧いてきた。
ーーアオバは優しさに満ちた友人を守りたいと思った。
自分よりも強く、才能も上ーー何を取っても自分よりも上に立っているフェルミナ。しかし、そんなことは関係無い。
アオバが守りたいのは彼女の心。
誰もが彼女を裏切ったとして自分は彼女を裏切らない。孤独なヒーローを支える第二のヒーローこそが、今の自分の目指す場所なのだと彼女は心の底から思っているのである。
振り上げた爪がイムジャンヌの愛刀を弾いた。
アオバの気持ちが届いたと瞳を潤ませていたフェルミナがその眼を大きくして、その光景を見詰めている。
しまった、と表情を歪めた彼女の懐に深く潜り込み、アオバは爪を水平に構えた。
「獅子猫流ヒーロー術、奥義ーー」
グワンと地面を歪ませる程に強く踏み込まれた両足は、深く重心を落とした事によるものだ。爆発的な火力を生み出す脚のバネを利用した連撃は、相手の強い想いさえも打ち砕く。
「響牙ッ‼」
遠心力を生み出す為に伸ばされた右手の爪と、後ろ回し気味に繰り出された飛び蹴りを瞬時に叩き込む奥義は、仁王立ちのイムジャンヌを通過して尚、その勢いを失わず、彼女の後ろで小さくも神々しい光を放っていたユグドラシルの木さえ薙ぎ倒し、一撃の元に葬り去った。
「イムジャンヌ選手、立てません‼勝者、ジュウライガーイエロー‼アオバ選手です‼」
「やったのだ‼強い想いの勝利なのだ‼」
喜びを表すが如く、ぴょんぴょん飛び跳ねながらベンチへと戻るアオバ。
「やりましたね‼アオバちゃん‼ーーキャア‼」
出迎えたフェルミナに勢いのままに抱き着いて二人でベンチへと転がった。
「もう‼何するんですか‼危ないじゃないですか‼」
「ごめんって‼フェルフェル‼嬉しさが溢れてしまったのだ‼」
もう、と言いながらも頬を緩めるフェルミナと謝りながらも頬を緩ませるアオバーー。そうこうしてる内に瞳があって、暫し見つめ合った後にクスリと二人で笑い合った。
「負けた。旦那に言って鍛え直さないと......」
「まあ、獣化にフェルミナのセコンドは厄介だから仕方ないのではないか?」
「加えて此方はアマリエ先生もアーニャも居ないしねぇ。あんまり落ち込まないでよねぇ」
動けるようになったイムジャンヌが、よろよろトボトボとベンチに戻って来たのを慰めるリュシカとルーミャ。暫くそうした後に闘技場を見据える。
「ーーアオバちゃん。相当強いけど大丈夫ぅ?」
リュシカに対して思う事があるのだろう。睨みつける様な視線を送ってくるアオバを眺めるように見ながら彼女は笑いーー。
「確かに強いーーが、驚く程ではないさ。ルーミャ含めて私の周りは彼女以上ばかりではないか?正直に言えば負ける理由が無いな。それに私は勝って会わねばならない者が居る」
リュシカの目的はアオバに勝つ事ではない。アードヤード王立学園に栄光を齎すこと。そしてーー。
「まあ、安心して見てくれるといい。日が浅いとはいえ世界に五も居ないSランク冒険者だ。何度か依頼もこしている。この肩書は飾りではない」
入場を告げられ戦いの場へと向かう途中、リュシカは足を止めて振り返る。相手がヒーローを自負するならば、相手方である自分は何なのだろうか?
そう考えた時にリュシカは少し興が高じるのを感じていた。アオバがヒーローでフェルミナがヒロインの物語であれば、こちらは悪の親玉といったところかーー悪くない。
顔合わせ時に悪ノリしていたルーミャを思い出し、リュシカは薄く微笑んだ。地に下りた女神と評されることのある絶世の美貌と相成って、その表情はとても悪の親玉に相応しいーー魔王地味たものに見えたのである。
興が高じ、乗ってきた彼女はポカーンとした表情でこちらを見詰めるルーミャに対して、そのとても悪い笑顔のままで言うのだった。
「ーー格の違いを見せて来る。私がするべき事はそれだけだ」




