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ポカーンと口を開くジャノバを前にして、二人は意味有りげな視線を送り合う。
ーーこれでよいですかな?アズラエル殿。
ーー流石、リュードベック殿、話の解る御仁だ。
きっと、そんなやり取りをしているのだろう。自慢の娘がまるで罰ゲームのような扱いだ、と溜息を吐くリュードベックを前にしてアズラエルは大層満足気な表情で腕を組み頷く。
「はい?え、いや、俺、被害者ーー「リュードベック殿の言う通りだ。まさか未来の婚約者とはいえ、初心な姫を手籠めにするとは何たる所業......正しく愚弟よ。それでも責任を取れば許すと告げるリュードベック殿の寛大さに感謝するが良い」
風向きが怪しいと慌てて口を開いたジャノバの言葉を遮りながら、アズラエルは尤もらしく告げた。そして、言葉を失い呆然としているジャノバを前にして彼は口角を上げーー。
「さて、リュードベック殿。日取りは何時頃にしようか?なるべく早く方が良いのではないか?」
「そうですな。ならばこのルシフェルの騒動が終わった頃は如何だろうか?」
「それが良い。その頃には愚弟も世界を救った英雄の一人。盛大に発表すれば良い景気付けになるだろう」
ハッハッハーーと声を上げて笑う彼を前にしてリュードベックは苦笑いを浮かべた。顔面蒼白で崩れ落ち「ま、まじかよ......お、俺の未来が......」と呻くジャノバーー。そんな茶番を眺めながらシラユキは素知らぬ顔で茶を啜っている。
エルフレッドはそんな王族達を眺めながら思うのだ。
場合によっては世界の命運を賭けた戦いになるかもしれない一大事。
そんな時にこの人達は何の話をしているのだろう?とーー。
○●○●
世界大会当日は作戦決行の日でもある。先行部隊として名を連ねた者達は既に世界政府の島へと進軍を始めていた。軍神ゼルヴィウスの指揮の元、島を包囲すると同時に防衛線を引く部隊が追従する形だ。
エルフレッドの潜入は作戦上、最も遅い。護衛と兼任して人々の救出役を担うヴァルキリーの潜入とほぼ同時だが、転移でミレイユの元へと飛ばされることになるだろう彼女達は移動のロスが無く、エルフレッドが潜入する地点より中心部へ送られる可能性が高いと考えられた。ルシフェルの詮索も兼ねてアルドゼイレンで移動する彼の方が到着が遅れると判断するのは何ら不思議なことではなかった。
本調子とは言えないものの島まで送るくらいならば何ら問題無いくらいにまで回復したアルドゼイレンーー、そして、ユーネ=マリア神の神託により潜入するまで共に向かう事になったアリエルと共に世界大会へと赴くメンバーに出発前の挨拶に来たエルフレッドは予想していた面々より多くの人々が集まっていたことに驚きの表情を浮かべた。
「エルニシア先輩やアーニャは予想していたが......まさか、両親まで来ているとは思わなかった」
特に驚かされたのは自身の両親である。無論、仲が悪いという訳では全くない。母とは顔を合わせれば折り合いが合わないことも多かったが、一方で尊敬している部分もある。父に関しては単純に多忙な人物であり、信頼故に態々顔を出さない事が多かったからだ。
「息子が死地に赴くと聞いて会いに来ない親が何処に居ますか?ーーそれにいくらユーネ=マリア様の頼みとはいえ巨龍以外の存在と戦うことになるなんて......納得出来る筈がありません」
どうやら母は未だに戦地に赴く事に反対しているようだった。思わず苦笑いを浮かべたエルフレッドを眺めながら、立派な鞘に収まったシミターを撫でていたエルニシアは「こういう言い方はあれだけど......何処の母親も同じようなことを言うわけね?」と同じような苦笑いを浮かべている。
「母上。確かに世界の命運とやらもあるかもしれんが自分の為の戦いでもあるんだ。ルシフェルが生きている限り、俺やリュシカを狙い続けるだろう。今の時点で解っている限り、最終的な狙いはあくまでも俺達二人......他の巨龍達と戦う必要が無かったとしてもルシフェルだけは倒さなくてはならなかった。行かないわけにはいかない」
結局、ユーネ=マリア神の悲願の達成が何を意味するかは解らない。ただ、ユーネ=マリア神はリュシカと共になる事を望んでおり、そして、生まれてきた子供をエルフ族の姫であるアリエルと婚姻させることを望んでいる。そして、その悲願とやらはルシフェルにとって最も阻止したい状況であることに他ならない。となれば、機会が変われどルシフェルとの衝突は避けられないのである。
「......平民のままだったら何か変わったのでしょうか?私にはエルフレッドばかりが辛い運命を背負うよう義務付けられているように思えて......貴方の代わりはどこにも居ないというのに......」
「レイナ。私とて今回ばかりはどうにかならないのかと思うが......エルフレッドの言う通りならば、自分を守る為の戦いなのだろう。行かせるしかあるまい」
辛そうな表情のレイナの肩を抱いたエヴァンスは諭すように告げた後に鋭くも情の篭った視線を彼へと向けた。
「エルフレッド。必ず生きて帰って来い。勝てぬと思ったならば引き返すことも念頭に入れておくのだ。周りは何か言うかもしれないが知った事ではない。生き恥を晒そうが死ななければ人生は何度でもやり直せる。しかし、逆はない。死ねば終わりだ。美談になろうが近しい者は悲しみにくれ、無力を嘆く事になる。私達は亡き英雄を歌う詩人の歌よりもお前の生還だけを祈っている。ーーその事を決して忘れるな」
普段は高潔を美徳とし、人々に役立つ人間であれと声高々に告げるエヴァンスだが、それは息子の言葉を信じているからだ。死なずに後を継ぐ為に学ぶーーその約束を守ってきたからこそ今まではそれでよかった。しかし、今回の戦いは避けられぬものだ。死を前にしたとて倒さなくては平穏が訪れることはない。
ーーだからこそ父は慎重であれと言うのだ。敵を前にして逃げ帰ったとなれば世間は手の平を返したかのように彼を責め立てるであろう。その行動によって多くの人々が命を落とし、救われる命が救われなくなるのかもしれない。しかし、父は彼が命を落とすくらいならばそれでも良いと言う。
如何に非難が吹き荒れようと、例え石を投げつけられようと命より重い物はない。多くの無関係な者の怒りより、近しい者の悲しみを......そう願うのは当たり前の事だとーー。
「そうだな。私とて英雄の妻という言葉に惹かれるものがない訳ではないが、其方を失うくらいならば名誉など惜しくもない。それで両親が反対しようものなら共に冒険者として生きるのも良いだろう。エヴァンス様の言う通り、生きづらいことは有っても死に勝る事はない。二人ならばそれで良い」
名誉を重きとする貴族にあって、その考え方は非常に異端な考え方だ。端的に言えば生き恥を晒すくらいなら命で償え、と心から考えている者が多いのが貴族である。しかし、その考え方は恵まれているからこそ生まれる考えなのだ。
例えば明日を生きることで精一杯な人々が暮らす国での自殺者は少ない。
ーーそれは何故か?それは自殺を考えるまでもなく死が近しいからだ。更には生きる為の選択肢がそもそも少ない。その少ない選択肢の中から選び取って精一杯生きている故に命を自ら捨てようとは思わないのである。逆に環境が裕福であり死が遠ければ遠い程、死より上の何かがあるように錯覚するようになる。
それが名誉であり、誇りであり、恥である。特権を持つ貴族という存在は特にその傾向が強いのだ。ある意味では命の価値が平民のそれと比べて軽いのやも知れない。そして、そんな貴族の中でも最たる貴族の令嬢で有りながら、その全て捨てても良いと視線を逸らすことさえせずに言い切るリュシカはやはり異端なのである。




