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学園生活も大分佳境に近付き、周りの生徒達が慌ただしくも悔いの無い生活を送ろうとしている姿を横目に、自身にはどうやらそういった機会は訪れそうもないとエルフレッドは苦笑する。
何時までも見つからぬメルトニアを探し続ける事を良しとしない学園の決定にとりあえず学園へと戻った彼だったが、放課後の大半は転移を駆使した捜索に当っていた。
文化祭等の学園行事もあったのだが結局は参加する事も出来なかった。最後くらい、ゆっくり学園行事を楽しみたいと考えていたことも過去にはあったが今はそうも言ってられない状況だ。
そんな自身の状況に婚約者であるリュシカが理解を示してくれているのがせめてもの救いである。無論、学園内では彼女との時間を大切にしているが、それ以外では顔を合わせる事すら稀であった。
捜索に進展はなく、状況に変わりはない。摩耗するかの如く消耗していく精神に焦りを感じ、疲弊を感じていたエルフレッドの元にエルフ族の第三王女アリエルから火急の知らせが入ったのはそんな状況の時だった。
同時刻ーー。グランラシア聖国の神託の聖女であるカシュミーヌの元にもユーネ=マリアより神託の前兆が降りてきていた。急ぎ、クラリスと神託の間へと向かった彼女はその神託に言葉を失った。
"最古の蛇であり、神の隣にいた者であった堕天使ルシフェルとの聖戦が始まります。神の騎士であるヴァルキリー達に戦いの準備をするように告げるのです"
顔色を真っ青に染め上げ「私の娘に戦いに赴けと言うのですか⁉」と声を荒げるクラリスの隣でカシュミーヌは真剣な表情を浮かべながら思うのである。
(ユーネ=マリア様が真面目な神託をなさるなんて......人生で最も驚いたかも)
○●○●
「ウワアア‼身体が......俺の体がぁ‼」
「わーわー言わないでよ〜。死なないように注意してるんだから〜。気が逸れて殺しちゃったら私も後戻り出来なくなっちゃうでしょ〜」
黒の魔力と人体の結合。魔力が極端に少ない魔力欠乏症の人間を救う名目で行われているその実験は時に人体の変異を齎した。
ルシフェルより黒の魔力の因子を受け取ったメルトニアは世界政府を掌握しつつあるブラントンの指示の下、今回の実験を行っていた。
実際に救われた魔力欠乏症の患者も居る中で、時に上手くいかずに体の一部が黒の魔力に侵蝕される症例を冷徹な瞳で観察する彼女ーー因子の注入を辞め、馴染む前に吸引する事で侵蝕をなかったことに出来る対処方法も既に編み出していた。
元来、魔力欠乏症の治療は自身にあった魔力を健常な人から注入することで行われる。時間が掛かる上に莫大な費用が掛かり、その上で反発する魔力に適応出来ず強い痛みを伴う可能性まであって行う人は稀だ。
しかし、魔力持ちが一般的とされる世の中で魔力欠乏症の人間は非常に生きづらく、一縷の望みを掛けて行う治療でもあった。奇しくも、それはメルトニアに施された違法実験によって編み出された治療方法だ。幼少期に受けたあの激痛は反発し合う魔力に幼い体が耐え切れずに起こる痛みであった。
それは彼女が調べていく内に解ったことである。結果的には人の役に立つ研究になったようだが非常に複雑な感情を抱かされたのは事実だ。
それに比べて、この黒の魔力の因子を移植する方法は術者の技量が問われるものの非常にリスクが少ない。そもそも他の魔力には存在しない魔力の因子が魔力を精製する臓器の根本的な部分を補ってくれる事もあって完全に適合しない場合を除き、ほぼ確実に回復するのである。
とはいえ、元がルシフェルから渡された物であり、細心の注意を払っていたにも関わらず、こうして人体の変質を引き起こすようなものだ。欠乏症が回復したとして、その後どうなるかなどは検討もつかない。そして、メルトニアにとってそんなことはどうでも良いことであった。
「あ〜あ。失神しちゃった〜。まあ、そっちの方がやりやすいから良いか〜」
適当に注入すれば、ほぼ確実に失敗する。それ故にメルトニアに求められる集中力は中々のものだ。意識を高め、魔力を精製する器官の場所を探り当て、その中でも元来魔力を精製する機能を司っている場所へと因子を植え付けるーー。
そして、見事に適合していく様子を確認してホッと息を吐いた。
「メルトニア殿。首尾は如何かな?」
「今回の被検体は適合だね〜。黒の魔力が行き渡っても身体に異常は無いし〜」
「そうか‼流石はSランク兼研究所の所長で有られる‼我が神もお喜びになるだろう‼」
「......それはどうも〜。喜んで貰えて良かった〜」
満面の笑みを浮かべ「神の信徒を増やさねば‼私が王となるために‼」と夢に浸るブラントンを横目にメルトニアは溜め息を漏らす。元々は大した人間ではないのだろう。しかしながら、黒の魔力を自在に操り、ルシフェルにとって都合の良い人間であるから甘い汁にありつけているのである。
こちらの溜め息に「如何がした?溜め息などついて?」と視線をくれるブラントンに「いえいえ〜。連日の研究で疲れただけ〜。部屋に戻るね〜」と後ろ手に答えて彼女は歩き出した。実際に疲れているのは本当だ。
美味しいコーヒーでも飲むかね〜、と自身に充てられた個室に向かう途中、彼女の頭に浮かんだのはアルベルトとの楽しかった日々だ。研究が上手く行かなくても、あーだこーだ言いながら二人で飲んだインスタントのコーヒーがどれ程美味しかったことかーー。目の前でドリップされている仄かに酸味のある最高級のコーヒーもあの味には適うまい。
「何やってるんだろう、私......」
思い出した所で隣に戻る資格は既に無い。名目は政権争いだがブラントンがしている事はテロ行為や革命のそれに当たる。幾ら中枢に関わらずとも、今の自身は犯罪者のようなものだ。
せめて、最後に彼に迷惑を掛けない方法を考えねばなるまいとテーブルに突っ伏しながらコーヒーを待つ。
「いっその事、引き摺りこんじゃおうかな〜。元々、後ろ暗い感情で近付いたんだし〜」
彼女の頭に悪い考えが浮かんだ。よくよく考えてみれば、だ。弟子の名目で実験台にしてやろうくらいの気持ちで近付いた存在だ。想像以上に素晴らしく、愛されて、絆されてしまったが別に妬みなどの悪感情が消えた訳ではない。ならば、共に堕ちていく道を歩ませるのも面白そうではないか、とーー。
出来上がった最高級のコーヒーを口に含むとこれ迄感じる事の出来なかった最高級らしい美味しさを感じた。
(とんだ地雷女に捕まっちゃったね、ダーリンーー)
そんな事を考えながら口角を上げたメルトニア。非常に後ろ向きな感情ながら、彼女の心は非常に浮足立っていたのである。




