16
徐々に秋の色合いが強まってきた頃の話である。世間では世界政府の島で起きている怪事件に対するスクープが相次いで書かれ、人々の関心を攫っていた。
元々は狙われた人物達から派閥争いでは無いかと言われていた怪事件も今では無差別テロのような様相を醸し出し、多くの被害者を産み始めたのである。
連日連夜報告される目撃情報は黒色の身体を持つ異形ということ以外に共通点が無く捜査は難航ーー。有力な容疑者にはアリバイが有り真相は未だ闇の中だ。
中々治まらぬ被害に島外に身内が居る者は島から避難するようになり、混乱は徐々に深まっていった。要人警護を担当するSWDと島の警察隊が手を組んで取締りを強化していくも被害は増える一方である。
そして、ルシフェルはその確かな被害に成功と次なる一手を考え始めていた。人々をさらなる恐怖と混乱に導く方法はーー。
○●○●
とんがり帽子に魔女のマント。古びた屋敷の屋上で綺麗に輝く月を見ながら彼女は小さく溜め息を吐いた。
「......ダーリンが悪いわけじゃないんだけどな〜」
彼は全く悪くなく、自分も全く悪くない。深い愛情に変わりはなく、卒業を目処に結婚したい気持ちは何も変わっていない。
しかしーー。
月夜を眺める彼女の瞳が金色に輝くと同時に湧き上がる強い妬み。彼と自分は同じ全属性持ちの魔法使いだが、その経緯は全く異なる。
完全なる先天的な才能で全属性を操る彼に対して、自身のそれは造り物だ。長寿族とのミックス故に魔力は多かったが、元々は唯の単属性魔法使いだ。
孤児の時、誘拐され改造された後に逃げ出してーー、生活に困り謝礼の為に自身から身を捧げて得た全属性は当然、彼女にとって忌むべきものだった。
それを何の苦労も無くーー先天的に持っている人物を見た時の強い妬みと深い羨望は彼女を大きく狂わせた。近付き、壊してやろうと思う程にーー。自分勝手だとは解っていたが許せなかったのだ。
自身は多くの物を奪われて犠牲の上で手に入れた力だったのにーー、唯一無二の存在だったのに、それを元から持っているような人間が存在する事実が彼女の中の何かを深く抉っていった。
だから、かなり後ろ暗い感情を持って近付いた。弟子の名目で実験台にしてやろう、と酷く荒んだ救えない感情を内に秘めて笑顔を振り撒いて近付いたのだ。
しかし、神はそれを許さなかった。そんな後暗い感情を持って近付いた自分に待っていたのは呆れる程の熱ーー、燃えるような恋と血が巡るような深い愛であった。
会えば会う程に惹かれていった。口では恥ずかしがりながらも自身が困る事の無いようにと、あれやこれや手を差し伸べてくれる彼の行動全てが心を高ぶらせ、その上で掴んで離さない。
隣に居てくれるだけで嬉しくなって柄にもなく嫉妬したり、蔑ろにされたと感じたら寂しくなって怒ったりーー深い愛故に色んな感情に振り回されてしまった。
だが、そんな幸せな日々が続けば続く程、相反する感情も強くなった。少女時代の自分が痛いのを我慢した日々を忘れたのかと声を荒げる。
生活費欲しさに実験台に名乗り出た年頃の自分が、あの尊厳を踏み躙られたような惨めな気持ちを思い出せ、と諭すように告げるのだ。
そして、何よりお金に困って自らを実験台として差し出したような自分が彼に相応しいのだろうか?と、そんな考えが頭に浮かんだ時、深い愛より様々な黒い感情を詰め合わせたそれが勝り、今までの様な態度で接することが出来なくなってしまったのだ。
自身の急な態度の変化に彼が戸惑い、自身が何かしたのだろうかと疑心を抱きながらも、どうにか関係を修復しようと必死に動いてくれることに対しても今は罪悪感しか感じない。
死ぬ事に比べれば生きていることは遥かに幸運でエドガーに語った言葉に全く嘘は無い。今でもそう思っているし、実際、自分は幸せなのだ。相手は何も悪くない、悪いのはあくまでも暗い感情を持つ自分なのだーー。
あまりに綺麗な月の夜は時に自身の醜さを際立たせる。冷たく澄んだ秋の風さえ今の好みには凍えるようだ。
いっその事別れてしまおうか?迷惑を掛けているのが自分ならば、彼の元から去れば互いに幸せな未来があるかもしれないーーとそこまで考えて馬鹿だな。出来る筈ないのにと自嘲する複雑な心模様であった。
それは恋愛の一幕に過ぎなかった。無論、その心模様は軽くなかったが例えば二時間も空を眺めて眠り、内に秘めたまま暮らしていけば、その内ぶつかり合ってまた愛し合うなり、別れの道を選ぶだけの話だ。
個人の運命を揺るがす事になれど世界に影響を与えるような物にはなりえないのである。最も振り幅が降りている時、刹那的な考えを抱いたとして、そのまま鎮火していくだけのそれが世界に影響を与える事など誰も考えやしないだろう。
"ならば一度離れてみれば良いだろう?実験の場は用意してある。まあ、その後どうなるかはお前次第だがなーー"
その声は聞き覚えのあるもので最も忌むべき存在の声だ。友達の婚約者を襲い、友達の腕を奪い、人々を苦しめる害悪だ。鼻で笑って消し飛ばすのが正しくて、それ以外の選択肢など存在してはならない問答だ。
しかし、気配を辿れば眠りにつく婚約者の隣に陣取っていた。そして、自身の心は乱れに乱れていて、真っ当な状態とは呼べなかったのである。
とんがり帽子の女性ーーメルトニアは忌むべき存在である蛇、ルシフェルに鋭く冷めた視線を送りながらも、心の何処かで婚約者を人質に取られた故に従うしかないという免罪符に感謝を覚えている醜い自分を感じ取っていた。
「とりま、ダーリンに手を出さないで。ーー着いていくから」
満足気に表情を歪めたルシフェルの表情を感じ取りながら、メルトニアはあ〜あ......と心の中で溜め息を吐くのである。
(私には貴方の側に居る資格は無いみたいだ。ごめんね)
目の前にポッカリと空いた黒の穴ーー繋がる先は何処だろうか?今なら死であっても飛び込んで行くだろう。
「バイバイ、ダーリン」
彼女は終わりのない穴へと飛び込んだ。その選択は全ての歯車が悪い方に噛み合ったからこそ起きたものだった。
そして、穴が消えた時ーーそこには静寂と綺麗過ぎる月の夜空が、只々輝くばかりだったのだ。
次の日、目を覚ましたアルベルトは蛇の魔力を感じ取り、婚約者の姿を探した。しかし、屋敷の何処にも姿は無く、もぬけの殻であった。
Sランク冒険者のメルトニアの失踪にルシフェル関与の疑い有りーー。アルベルトを通して広まったそれは世界を大きく揺るがす大事件となったのだった。




